良い小説が書けるのは頭のいい人
「今回は小説論カナ?中身薄そうだけど」
「タイトル以上の中身はないね、うん」
「馬鹿には良い小説は書けないと」
「そゆ事」
「先日ね、横浜駅の人のTwitter見たんだけどつぶやきが実にレベルが高かった」
「頭のいい人のつぶやきはセンスが違うよね」
「実際、ネタ的つぶやきにしても頭のレベルが如実に現れるから」
「でもさ、頭も体と同じで鍛えれば多少は変わるんじゃない?」
「そうあって欲しいよね…」
「で、体を鍛えるのと頭を鍛えるの、どっちが困難なんだろう?」
「体を鍛える方は効率の良い鍛え方やプロテインなどの栄養系も体系化されているけど」
「マニュアル通りに鍛えたら理想の体型に漏れなくなれそうだもんね。ライザップみたいにさ」
「それ、頭を鍛える時にも同じ事が言えるの?と。きちんと体系化出来ていたら塾や予備校はいらないだろう、と」
「いや、体系化されているのが塾や予備校じゃないの?今でしょ?」
「こほん…。どんどん話がずれていったから元に戻すけど頭がいい人じゃないと良い小説は書けないだろうなと私は思った訳です」
「馬鹿猫は馬鹿猫レベルの小説しか書けないと…至極当然な話だな」
「一応は書き続けることで多種は洗練はされるだろうけど上限が低そうな気がするんだよねぇ」
「まぁ頭を使う話は書けなくても頭をそんなに使わない話ならあるいは…」
「ただ、それを怠ける理由にしたらもったいないとは思うよ」
「ですよね~」
「いつも心に松岡修造ですよ!諦めたらそこで試合終了なんですよ!」
「先生……小説が……書きたいです」
今回の話は頭の良さと小説との関係についてです。当たり前っちゃ当たり前なんですけど頭のいい人の書く小説は面白いです。ええ、間違いなく。
Twitterのつぶやきでもすごくセンスを感じます。センス以上に知性を感じます。
私のつぶやきなんてアホ一色ですからね。知性の欠片もありゃしません。一応下品なつぶやきや攻撃的な言葉は使いませんけどそれだけの話です。
会話文で何故体を鍛える話を出したかと言うと体を鍛えるのはノウハウがきっちりしていてその通りにすれば誰でも筋肉ムキムキになれるのに頭を鍛えるのはそう言うノウハウみたいなのがないなあと思ったから。あるのかも知れませんけど。
頭を鍛えないと良い小説は書けませんよね。取り敢えず本を沢山読めばいいのでしょうか?読んだ先から忘れていく頭でも大丈夫でしょうか?体を鍛える方は60代から始めても間に合うのに頭を鍛えるのは若い内じゃないと無理なんでしょうか?
あれ?これ愚痴だわ。愚痴なんて読んでも面白くないですよね。ごめんなさい。
でも私レベルでも書き続けていればそれなりに少しは文章レベルも上がって来ている気はするんです。天井はかなり低いと思いますけどそこにすらまだ辿り着いていないと思いますので今の目標はそこまで高みに登る事ですね。
もし自分の文章に自信が持てるところまで行けたとしたらその時は腕試しにコンテストにも応募してみたいと思います。いつになるのか分かりませんけど。
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