信仰

「何これ今回いきなりテーマが重いぞ」


「あ、これは特に宗教がらみって意味じゃないから」


「宗教じゃないって信仰と言えば宗教じゃないか」


「広義的な意味ではそうなんだけどね…」


「何が違うって言うのさ」


「人が何かを生きる基準にしているならそれが信仰って事。例えばお金が好きな人はお金を信仰しているしアーティストが好きな人はアーティスト、偉い人が好きなら…」


「じゃあ無信仰な人は無信仰教の信者って事?」


「そうだね」


「それに信仰そのものは悪いものじゃない。不安を取り除いて心の支えになるからね。ただ基準は自分の良心に依るべきものなんだ」


「つまり?」


「盲信や狂信はダメって事。自分にないものを取り入れるにしても何でも無制限に受け入れないように」


「で、何で今回このテーマで語ってるの?」


「世の中の何かにこだわっている人とかを見ててね。これは信仰だなって思ったから。信仰に特定の神様は必要ないんだよ」


「何だか発言に気をつけた方がいいような発言だな…」


「確かに…信仰的行為と純粋な信仰は分けた方がいいのかも。でも本質は同じものな気がするよ」


「語るのが難しいテーマだけに取り上げ方が浅いねぇ…」


「だって別に私は宗教学者って訳じゃないし、素人だし…」


「思いつきで喋ってるだけかい!まぁそこが馬鹿猫らしいけどな」


 私は無神論者ではありません。でも特定の宗教を信仰している訳でもありません。

 ただの日本の神道が好きな一般人です。以前某宗教に所属していた過去もありますが(汗)。

 今の日本って信仰って言葉を特別に捉え過ぎな気がするんですよね。その割に無意識に信仰的行為をしている人は多いと思うんだけど。

 信仰ってもっと身近な事なんだよって言いたかった、のかな?

 確かに神前に額づいて神様に誓いを立てると見えない力が背中を押してくれているような気がします。そう言うのも信仰の力なのかな?

 信仰って言葉が避けられがちなのは狂信者のイメージがあるからなんでしょうね。信仰に引きずりこもうと強引な勧誘をしたり他宗派を敵と認識して攻撃したり…。

 そう言う度を越した行動で信仰って言葉自体が悪いイメージで捉えられているとしたら残念だなあ。

 宗教って為政者の大義名分に使われた過去もあって胡散臭いイメージを持つ人も多いと思います。宗教戦争とかね、それがその教祖が望んだ姿なのかって思いますよ実際。

 一人ひとりがそれぞれ自分教の教祖でいいんですよ。自分に恥じない生き方をする。それだけでも世の中少しは楽になるんじゃないかな。

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