第35話正常なヤツだな、気に入った。殺すのは最後にしてやる
「ふぅ……まさか、一戸建てを丸ごと掃除する事になろうとは。けど、ここまでやるとさすがに気持ち良いな」
弥富が額の汗を拭った。昼から夕方にかけ、長洲家の隅々を綺麗にした。リビングに始まり、風呂場、トイレ、玄関、キッチン、朱文の部屋。その後は洗濯に庭の草むしり。特別に報酬がもらえるワケでもないのに、この達成感は何だろう。労働って意外とイイもんだねって、求人広告の写真みたいな爽やかフェイスになってる。
「あらヤダ、所帯染みてて気味悪い」
両手にスーパーの袋を携え、しるくが部活から帰ってきた。
「家事を押し付けといて、開口一番にそれかよ」
「冗談だって。朴念仁にも取り柄があって良かったじゃん」
「あ、あの……」
二階から下りてきた朱文が、申し訳なさそうに声をかけてきた。
「おっと、まだドコか掃除し忘れてたっけ?」
「ううん、そうじゃなくて。ボクの部屋も掃除してくれてありがとうって……それだけです、はい」
「ははッ、いいっていいって」
気恥ずかしそうにペコッと頭を下げてくるから、弥富も思わず破顔してしまう。
「あらヤダ、歳の離れた兄貴ができたみたいで気持ち悪い」
買ってきた食材を冷蔵庫に入れながら、しるくが苦笑いしてツッコんだ。
「へいへい、自宅警備の上級者な兄貴で悪かったね。で、後は何すりゃいい?」
「そうねぇ、禁魚の一匹でも用意してくれたら、嬉しくてハグしちゃうかもよ」
「いや、だからその件は……」
「アタシ、決めた」
「は?」
「アンタの件が片付いたら、裏稼業から足を洗う。で、一切の事情をエージェントのオバサンに話して、朱文を管理局で保護してもらう。偽PDSに一番詳しいトコなんだから、もしかしたら、目を治してもらえるかもしれないし」
「そんな済し崩しで上手くいくのか?」
「いたいけなJKが罪を告白し、家族の治療を訴えるのよ。正義の味方的な連中が放っておくハズないじゃん」
清々しいほど単純な思考パターンだ。
「でもよ、俺はどっかの不審者に贈答されるんだよな?」
「う~~ん……なら、今の内に謝っとく。長洲家の未来のため散ってちょうだい」
てへぺろ♪
「うざッ!」
「冗談よ。Mr.ベッカーが引き取りに来たら、掛け合ってあげる。なるべくなら、変なコトにアンタを使わないようにってね」
「そりゃありがたいね。ついでに就職の斡旋でも掛け合ってくれりゃ、お兄さんは感激して泣いちゃうかもよ」
そう言いながらキッチンで手を洗い、冷蔵庫から食材を取り出す。
「むり、ムリ、無理。企業面接で、入室と同時に<不採用>っ言われそうなヤツじゃね。やっぱりさ、うちの専属家政夫になりなよ」
「言ってるコト矛盾し過ぎだろ。雇い主を裏切る気か?」
「う~~ん……もうそれでもいいかな」
「何だって?」
「そろそろ潮時じゃないかってコト。Mr.ベッカーには前から朱文の治療を頼んでるけど、やたらと金がかかるとか、手術方法がまだ実験段階だとかで、まともに掛け合ってくれないんだよね」
「ん? ちょっと待て。実験段階の手術って?」
「ええっと~~、ES細胞とかいうのを使って、新しい臓器が造れたり――」
「ES細胞? ……なあ、ちょっとネット使っていいか?」
「うん? 別にいいけど」
二人は監禁部屋のデスクトップでログインし、医療関係のサイトを開いた。
「これこれ。ES細胞について記述された記事」
弥富がそう言ってモニターを指差す。
「…………んん?」
女子高生の前に見慣れぬ漢字と専門用語の群れが出没 → ダメージカンスト →
「要するに、技術的にはクローンES細胞を得る事が可能だが、成功率が低いため、大量の卵がいるんだよ。しかも、クローン胚を母体の子宮に戻せば、クローン人間を作製できちまう。だから、限定された状況下でよっぽどな難病治療でもない限り、ヒトES細胞を用いた再生医療は実現できないんだ」
微妙にドヤ顔で講釈してやる。
「それじゃあ、存在しないエサで一本釣りされてたっていうの……?」
彼女の顔に落胆の色が滲んだ。
「オマエの弟さんには気の毒だが、コレが現実だ」
「…………」
重苦しい間が訪れる。
「どうでもいいけどさ、何でこんな事に詳しいの?」
「オレ、ニート。サボタージュ、ネンジュウムキュウ。ネットサーフィン、ヒマツブシ」
言いたいコトは理解できるが、ドコの偽外国人?
「ああもうッ!」
ぶつけようのない怒りを口から吐き出し、しるくは床の上に転がってふて寝しちゃった。
「どうしてこうなった……?」
すっかり夜も更け、就寝しようとしていた弥富だったが、彼はいつもの監禁部屋ではなく、朱文の部屋で横になっていた。
「いいじゃん。朱文が一緒に寝たいって言ってんだし」
彼の向かい側には、同じく横になっているパジャマ姿のしるくが。二人に挟まれ仰向けになっている朱文は、既に可愛らしい寝息をたてている。
「本当にいいのか? オマエが寝た後、俺は好きにできるんだぞ」
「プププッ、童貞が凄んでどうすんのよ。ヤレるもんならヤってみなさい」
「いや、そうじゃなくてだな……この部屋に鍵は付いてないし、俺が逃げ出す事は考えねえのかってこと」
「アンタは逃げない。絶対に逃げない」
「ドコから来た確信だよ?」
「バカでニートでネガティブな人生のくせに、頼まれ事を断れない義理堅いヤツだから」
彼女はそう言ってクスリと笑った。
「へいへい、そうですか。御褒め頂き光栄のいたり」
何だか嬉しかった。ダレからも関心を持たれない人生を送ってきて、他人から必要とされる気分に初めて浸れた。拉致されて監禁されて……こんな状況なのに。いや、社会の喧騒に触れる事に臆病な自分だから、むしろこうなって良かったのかもしれない。アンジェリーナが言っていた、自分にしか出来ない事。その一端を感じられたような気がした。
弥富更紗、25歳。夏の夜。人生に詰みしか感じれなかった青年に、幸福に限りなく近い何かが訪れた。ただ……彼は今夜、身をもって知る。幸福は勝ち取る事よりも維持する方が難しいものなのだと。
「『L』、通信網の遮断は?」
「完璧っス、『J』。携帯ジャマーの出力最大。深夜の内に一帯の保安器に細工し、通常回線も黙らせておいたっス」
「『B』、発砲は極力控えろ。我々につながる痕跡は残したくない」
「ああ、分かってるさ」
「『T』、突入後は庭から俯瞰しろ。ダレ一人として外に逃がすな」
「了解です」
「『S』は速やかにターゲットを捕獲し、荷台に詰み込め」
「で、アンタはどうするんだ?」
「極めて卑しく、ダレもやりたがらない仕事を引き受ける」
「本当に殺る気か? 相手はハイスクールの小娘に全盲の少年だぞ」
「偽PDSに関わった者に大小の差は無い。罪人として裁くまでだ」
「なら、オレ達の雇い主こそアンタの信条に抵触しないか?」
「帰国前に決着はつける。Mr.ベッカーもプー左衛門も私が潰す」
深夜と早朝の狭間の時間――。通りに人影は全く無い。鈍重な天候から降り注がれる豪雨。その音はあらゆる生活音を、人の声を、気にもとめないノイズをも掻き消す。一台のトラックが住宅街の一画を徐行し、エンジンの重低音を撒いている。特に珍しい光景でもない。ただ一つ、運転席にダレも乗っていない事をのぞいては。
グゥオオオオオォォォォォッン!
突如、エンジンが荒ぶる。急発進して法定速度を軽く超え、そのまま真っ直ぐ走って――
ドゴオオオオオォォォォォ――――――――――ッッッ!!
門と塀を薙ぎ倒し、勢いそのままに一軒家の玄関へと突っ込んだ。『長洲』と彫られた表札が砕け散る。
「諸君、ここからは時間との勝負だ。この国の優秀な警察が気づく前に、任務を完遂する」
トラックの荷台が開き、中から現れたのは五人の男たち。例の傭兵チームだ。全員が警察の制服を着用しているが、彼等の動きに公僕特有の鈍重さは無い。自ら事故現場を作り出し、素早く規制テープを張りめぐらす。そして、現場の前に巨躯の男が立った。『T』と呼ばれていた装甲歩兵だ。
「行くぞ」
『J』と呼ばれていたヒゲオヤジを先頭に、他の四人は裏口に回り、『L』と呼ばれた小柄な青年がピッキングでドアを開け――
「うりゃあああああッッッ!」
──ドゴッ!
ドアの向こうから唐突に飛び出すドロップキック。Lの顔面にめり込み、派手に吹き飛ばされた。
「小娘の方かッ!?」
奇襲をしかけた側が不意を突かれる形となり、Jが慄く。自分の家にトラックが突っ込んでくれば、十中八九そちらに気をとられ、現場に足止めになるハズ。だが、小娘――長洲しるくは迎撃のため、真っ直ぐ裏口にやってきた。
「やめたまえ、我々は警察の者だッ!」
「その格好見りゃ分かるわよッ! アタシの家にトラックで突っ込んどいて、一体どういう了見ッ!?」
「事故を起こしたのは我々じゃない。ネット上に殺害予告を示唆する書き込みがあり、本庁のサイバーポリス部署から監視の指示を受け、見張っていた」
「……身分証は?」
「よく見てくれ」
Jが本物の警察手帳を取り出して見せる。Mr.ベッカーが用意したものだ。
「げッ……ホントにオマワリさんじゃん。ありゃ~~、スミマセ~~ン(汗)」
しるくはちょっぴり顔を赤くして、蹴り飛ばしてしまったLに駆け寄り、ペコペコと頭を下げている。
「御家族の方は?」
「ええっと~~……今は事情があって両親はいなくて、弟と一緒に暮らしてます」
「弟さんは二階かね?」
「ええ、そうです。今の音で起きたと思うんで連れてきますね」
「いや、君はここにいてくれ。うちの者を向かわせる」
そう言ってJがLに目配せした。
「捜査とか現場検証って時間かかりますか?」
「いや、時間はかからない。すぐに済む」
そう言ってしるくの背後に立ったJ。その手には、油を塗ったスチールワイヤーが。
――フッ
一瞬の空気の乱れ。しるくの首根っこを狙った殺意が――
ズンッ!
「くッ……!」
Jの体が数歩後ずさった。彼の腹部に、強烈な後ろ回し蹴りが叩き込まれたから。
「どうして分かった?」
「Mr.ベッカーが前に言ってたんだよね。<オマエの所に警察が訪ねる事は絶対に無い。もし、本物の制服と手帳を身に着けた警察が来たら、ソイツは警察以外の何かだ>――って」
「ちッ、余計な入れ知恵を……」
Jが軽く溜息をついた。
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