第34話わが生涯に一片の正常なし!
<三ツ星ホテルの泊まり心地はいかがクマ?>
モニターの中で新巻鮭を抱えながら、プー左衛門がバカにするような声で問いかける。
「従業員のサービスがとっても控え目でね。ホットケーキの一つも出やしない……ムフフッ」
裏切り者を前にしても、彼の声に憎しみや怒りはこもっていない。それどころか、何かを悟ったような澄んだ目でモニターを見つめている。
<結果から言うと、オマエのニートな人生は十数分後に終了するんだベア。ネットの海を漂い続け、偽PDSを全世界にバラ撒きまくったMr.アストラの死亡。しかも、果てた場所が電薬管理局の拘置所となれば、全てのハッカーが猛り狂って弔い合戦を開始する。クマックマックマッ!>
歓喜の声を上げながら新巻鮭に食らいつく。
「なるほど。私は有象無象を一致団結させるため、君に組み込まれた
<ハッカーは単独主義の傾向が強い。連中の方向性を固めるには、自分達と同じ立場でありながら、絶対権力と拮抗できる存在が必要だったクマ。オマエは社会の裏側に充分な実績を残し、若くして華々しい
「────ハァ」
Mr.アストラが溜息を一つ。その表情は晴れやか。
<どうしたんだベア?>
プー左衛門の動きが止まる。
「死ぬ前に、自分の立ち位置が分かって良かったなってね。お互い信頼はできても、信用はしちゃいけない者同士……こうして腹を割って話してくれると、ものすごく安心する。覚えてるかい? 君が初めて私に接触してきた時のコト」
彼の言葉に、死を待つ人間の恐れや焦燥は感じられない。テーブルに両肘をつき手を組み合わせ、あさっての方向に目を向けている。
<拙者が計画を持ちかけ、オマエは喜んで手足となってくれたクマ。親戚も友達も職も金すらも無い。そんな底辺の極めつけなニートだったからこそ、ネットの海を徘徊するのに都合が良かった。こうして考えてみると、深見と弥富の関係にどことなく似ている気がするベア>
プー左衛門の声に微かな哀れみがこもる。
「あっ────という間の人生。全ての個人を情報機関化させる夢は潰えたけど、強敵・電薬管理局をここまで痛めつけられた。悔いは無い。そう思いたいよね?」
<後のコトは拙者とスポンサー達に任せ、ネットの海に燦然と輝ける発光物体になってくれ給え>
「ムフフッ。プー左衛門、そこはせめて星って言ってくれないか」
二人の会話の様子はモニタールームから確認できている。が、取調室内の音声記録装置が機能しておらず、話の内容までは外の連中には分からない。
「局長ッ、緊急事態ですッ!」
課長のケータイが局長へつながった。
<承知しているッ! まったく、こんな朝早くから老体を走らせおって。で、状況は?>
「被疑者が取調室に閉じ込められました。室内の空調システムがのっとられ、このままでは窒息死してしまいます。扉を破壊しますか?」
<無駄だ。取調室の周囲は鉄筋とコンクリートの複合壁で囲まれ、厚さは2mもある。扉はセラミックプレートと高強度ポリエチレンの多重構造。至近距離から大口径の対物ライフルでも撃たん限り、穴すら開かん>
「では、焼き切りますか?」
<そのためには扉の四辺を全て切断せねばならん。時間がかかり過ぎる>
「し、しかし、それでは……」
<深見……いや、浜松はドコにいる?>
「は、はい。ヤツなら救助された後、検査棟の強化水槽に戻っておりますが」
<すぐに連絡をとってネットに潜らせるんだ。「電力供給元に危険が迫っている」と念を押してやれ。すぐに動くハズだ>
「……は?」
<モタモタするなッ、説明は後だッ!>
「りょ、了解しましたッ!」
<うみゅうぅぅぅぅぅ~~(眠)>
モニターにやたらと眠たそうな浜松が映った。
「浜松、緊急事態だッ! すぐにネットの海を泳いで──」
<ふわぁ~~い……将来の夢はぁ~~、え~~と、一位がケーキ屋さんでぇ、二位がお花屋さんでぇ、三位がセーラー服の美少女戦士でぇ~~すぅ>
「寝惚けるなバカ者ッ! 管理局のシステムが例の共犯者に制圧され、Mr.アストラの命が危ないッ! オマエ達で排除してくれッ!」
<はあぁ? 公僕の尻ぬぐいを魚類にせがまないでよね。そっちサイドでさあ、汗水とかその他諸々を垂らしながら頑張って……ふぁ>
「電力供給元に危険が迫っている──そう局長がおっしゃった」
<──── MA・ZI・DE? ────>
浜松の顔色が一変する。下唇がプルプルと震えだす。汗水とその他諸々が全身から垂れはじめる。
「猶予は10分も無いッ! 早急に侵入者をシステムから追い出さねば、捜査に必要な情報を全て失うかも――」
<知るかッ! 引きこもりハッカーの命なんて、エロゲのスタッフロール程度の価値しかないわよッ! んなコトより、管理局の主電源ケーブルは絶対に安全を確保してッ!>
「あ、ああ……承知した」
<よし、
浜松はものすごい剣幕で通信を切り、水槽の中で他の禁魚達に一瞥をくれる。
「ど、どないしたンや? エライ顔色悪いで……」
「何か事件のようですね」
「またしても、儂等の知り得ぬ事象が絡んでおるようじゃのう」
出雲、郡山、土佐の三匹が瞠目する。
「どっかのバカが管理局のシステムを掌握しちゃって、あたしの
いつになく殺気がみなぎっている。
「おおォ~~、さすがはミス・ビッチ。他人の危機はガン見しながら笑顔で見過ごすくせに、自分の危機にはゴキブリを前にしたJK並の回避力を披露。そんな浜松にポチは本日も萌え萌えキュ~~ンWWW」
「お黙りゃあああああッ!」
手の平でハートの形を作り半笑いするポチを踏みつけ、浜松がセーラー服という名の勝負服に着替えた。
「どうやら本当のようじゃのう。深見素赤の身体が保管されておるという話」
「しかも、管理局内に隠匿されているという事は、管理局側の人間が何かしらの理由で一枚嚙んでいる……ですよね?」
土佐と郡山の視線が鋭い。
「はいはい、その通り。あたしの
浜松が核心となる事実を口にした。普段は情緒不安定な言動の彼女だが、この瞬間ばかりは何だか30代のキャリアウーマンみたいな雰囲気だ。
(浜松さん……いや、深見素赤は何をしようとしているのですか?)
郡山がその表情に疑念の色を見せる。そして、四匹の禁魚と一匹の糸ミミズは、水槽の中で狂ったように踊り始めるのだった。
「忌々しい光景だな……」
モニタールームに到着した局長が、開口一番に毒を吐く。
「面目次第もございません。浜松には連絡しましたが、我々はどうすれば?」
「何もできん。アノ
「…………」
終わりという言葉が具体的に何を指しているのか、今は考えるだけの勇気は無い。
「クぅぅぅ~~マぁぁぁ~~★ 親玉の登場だベア。あまり拙者を待たすと、ハゲ頭にハチミツ塗りたくって、チンパンジーの檻にブチこむなり」
局長の存在に気づいたプー左衛門。既に取調室内の空気は高山の頂上並に薄くなっており、Mr.アストラの表情が曇っている。
<ダメだこりゃッ! こんにゃろ、やられたッ!>
「ど、どうした?」
<例の攻性フィルターがきっちり展開してあって、どうしても接近できないのよ>
マズイ。敵は確実な防衛手段を用いて侵入している。爆弾を積んだトラックに乗って突っ込んで来た。帰り道を必要としていないから、最高にタチが悪い。このままでは、被疑者が緩慢に死にゆくのを見守るだけだ。
ピッ、ピッ、ピッ……
プー左衛門がオモチャのケータイを取り出し、指の無い手でボタンを適当に操作している。すると──
ブゥゥゥゥゥン、ブゥゥゥゥゥン、ブゥゥゥゥゥン……
すぐ近くから聞こえる振動音。
「何のつもりだ……?」
局長が上着の内ポケットからケータイを取り出した。
「────ッ!?」
ケータイのモニターを見た局長が固まった。
「局長?」
課長が小さく声をかける。が、老体は小刻みに震え、今にも崩れ落ちそうになっている。
<『とある男』からの遺言を伝えるクマ……「実験は成功した」──繰り返す。「実験は成功した」──>
プー左衛門の口元が不吉な感じに歪んだ。
「い、いや、ありえん……あってたまるものかッ!」
局長は何かを隠すようにケータイを切る。明らかな動揺を周囲に見せながらも、どうにか平静を保とうと、深呼吸を繰り返している。
<ちょっと、今のは何?>
訝る浜松が
「な、何でもないッ! それよりだ……ん? 宇野君、江戸川室長はドコだ?」
「え? あ、そういえば……」
プー左衛門の映るモニターにばかり集中していて、室長が姿を消している事に気づかなかった。
<おやぁ、働き者の公僕が一人足りないようだベア。も・し・か・し・て、とっても愉快なイベントを起こそうと、下準備に向かったのではぁ?>
手で口元を押さえながら嘲笑する。
(ま、まさかッ!?)
息が止まりそうな面持ちで内線電話を手に取り、施設別に設定された番号を押した。
<はい、こちら江戸川>
案の定、いなくなった本人が電話に出た。しかも、何か作業中のようで、ガタガタと物音が聞こえる。
「よせよせよせッ、やめるんだ江戸川君ッ! 電源ケーブルに触るんじゃないッ!」
電話は配電室につながっており、そこは、管理局の設備に電力を供給している心臓部だ。
<このまま貴重な情報源を見殺しにはできませんッ! 停電後のシステム復旧とデータの紛失は、国家調査室が責任をもって──>
「そうじゃない、コレは罠だッ! 頭を冷やせッ!」
局長の怒号が飛ぶが、状況の先読みと全体の俯瞰には至らず。
<ガシャンッ!>
受話器から聞こえてきた何かを割る音。局長の両目がカッと見開いたまま瞬きを止めた。
フオォォォォォ――――――――――――――――――ッン
建物全体が息を引き取るような……そんな不吉な音とともに照明が全て落ち、モニタールームのPCやコンソールがシャットダウンする。
「くそッ、若僧めがッ!」
「局長、予備電源に切り換わるハズなのでは?」
課長が訝る。
「予備は優先度の高い設備や機能に回される。ここはもう使えん」
「優先度が高い? ここ以上に優先される場所はありません」
「…………」
「局長ッ!」
「
<あたしの
浜松が半ば諦めかけたような声で呟く。
「深見ッ!」
局長の怒号が飛ぶが、もう遅い。機密は機密でなくなった。
「や、やっぱりね……ムフ、まさに冥土の土産……だ…………」
Mr.アストラはテーブルの上に上半身を沈め、力無く呟く。血圧・脈拍の上昇、筋肉の弛緩、血中の二酸化炭素濃度が危険値に達し、死の臭いがし始めた。
(ここまでか……!)
課長は酷い虚脱感を覚え、壁に寄り掛かって大きく息を吐いた。ついに逮捕できた偽PDSの生みの親が、目の前で公開処刑されようとしている。しかも、自分の職場の中でだ。
<局長ッ、予備電源はどのくらいもつのよッ!?>
「予備は万一の停電に備えた復旧までの繋ぎに過ぎん。大元の電源ケーブルを破壊するといった事態は想定外だ」
<つ、つまり……?>
「すまんな、深見……人間としてのオマエには二度と会えそうにない」
局長がほんの一瞬だけ頭を下げた。
浜松は見たことの無い表情のまま静止画と化した。
課長は床の上に崩れ落ち、魂を抜かれたかのようにうなだれた。
そして──
「さ、ようなら…………現実社会。わ、私は……一足さ、先にぃ…………ネッ……トのう、海えぇ…………」
Mr.アストラの呼吸が止まった。
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