第33話オマエのような正常者がいるか
「どうかね、朝一から取り調べを受ける気分は?」
「……極めて眠い」
「だろうな。不摂生な夜型生活をしていた人間には、とても耐えられんだろう。だが、これから先は健康的で、時間のルールにしっかり縛られた生活が送れる。死ぬまでな」
「だろうね」
「社会に損失を与えた者は、それ相応の刑罰を受けねばならない。家のガラス窓を割ったら親に正直に話し、許しを乞う。子供にも理解できる理屈だと思うんだが」
「私の親は何も言わなかった。窓を割ろうが飼い犬を殺そうが、子供に無関心だった。で、一度ぐらい叱られたくて包丁で刺したんだ。そしたら、何も言わずに死んじゃったよ」
「…………」
気の早い夏の朝日が昇って数時間後──電薬管理局の地下拘留室。住んでいたアパートよりも狭い空間で、簡易テーブルを挟み、宇野課長とMr.アストラが向かい合って座っている。今のところ有用な情報は得られていない。
「君の出生と経歴に関して調べておいた。本名は『
「<他人の力を頼りにしてはいけない。頼るべきものは、ただ己の力のみである>」
「……ナポレオンか。ネットの海を支配する皇帝だとでも言いたいのかね?」
「ネットの世界は偉大だ。差別なく平等に情報を与えてくれる、人類に残された最後の聖域。だが、国家はその聖域ですら統括し、自分達の監視下に置こうとする。だから、私が汚れ役を担った。もう少しだった……後一歩のところで本懐を遂げられた」
「なるほど。コルシカ島という安アパートに座し、力を誇示したい欲求に耐えられなかった。結果、最も大事な瞬間に油断した君は、仲間に裏切られ、現代のセントヘレナ島に拘留されている。ナポレオンはこうも言った。<戦いの結果は、最後の五分間に決まる>――と」
宇野課長が哀れむような声で言う。
ヒュイィィィィィ――
出入り口のドアが上にスライドし、スーツ姿の男が一人加わった。
「これはこれは、公僕の親玉がこんな朝早くから御出勤とは。この国が相変わらず平和だと再確認しましたよ」
Mr.アストラが皮肉タップリに鼻で笑った。
「何か使える情報は?」
「いえ、頑固一徹です。自分のした事を肯定したくて仕方がない、依怙地なガキと同じです」
入って来た男――国家調査室・江戸川室長に溜息混じりで答える。
「ネットの海でふやけた頭でも理解できるよう、私が分かりやすく言ってやろう。君が関与したと思われる事件全ての罪状を合わせると、世界一の弁護士を雇えたとしても、無期懲役は逃れられん。要するに、テロは終わった」
彼は椅子に腰を下ろし、キッパリと言い放った。
「ムフフフフッ……ムゥゥゥゥゥ~~フッフッフッフッフッ!」
抱腹絶倒。
「そんなに面白かったかね?」
室長が怪訝な顔をする。
「いやはや失礼。あまりに見え透いた警告だったもので、つい我慢しきれず」
「……?」
課長の方は何事かという表情だ。
「情報機関の人間が相手の完全な敗北を宣告し、量刑を押しつけてくる時は大概の場合、手詰まりで進展が無い事の証明だよね。要するに、私とつながりのあった連中を一網打尽にするには、情報を引き出すしかない。しかも、決められた短時間で」
「室長、まさか……司法取引を御考えですかッ!?」
課長が思わず立ち上がる。
「事件の中心人物を拘束したにも関わらず、解決の目途がたたないでは済まないのだよ。これは上層部からの指示だ」
悔しそうな口調で呟いた。
「しかし、この男の免責を認めれば、『子』や『孫』共をより一層活気づかせる事になります。ネットの裏社会において、Mr.アストラの名はまさに英雄。電薬管理局が保釈せざるをえなかった──そんな事実が露見すれば、連中共はこう考えるでしょう。<電薬管理局は決して無敵ではない。やり方次第で攻略できる>……と」
サイバーテロの脅威に屈した前例は無い。今回の件もカナリ危うかったが、収拾がついた。が、それはハッカー達が常に単独犯で、単純に組織の物量の前に敗退しているだけ。もし、連中が何かの気まぐれで手を組み、組織として機能し始めたら非常に危険だろう。Mr.アストラの免責は、その気まぐれを発生させるのに充分なファクターなのだ。
「上層部が注目しているのは、偽PDSを巧妙に一般へ広め、発生する裏の経済効果の恩恵を受けている者だ」
「つまり、新型の偽PDS開発に必要な設備や、ネット環境に投資してきた連中……陰からコイツを擁護してきたクズの事ですな?」
「そうだ。確認された偽PDSの全てのバージョン……手軽に無料体験できるモノから、裏サイトで直接購入するしかない高級品まで、そのクズ共が必ず一枚かんでいる。売り上げの一部がヤツ等のマージンとして徴収され、その額は一つのバージョンだけをとっても莫大。にも関わらず、中心人物と目されていた平賀は、何のセキュリティも無い安アパートに住み、現場検証した分析官からは、金を持て余している生活臭は全く無かったと聞いた」
「なるほど。金の流れに不審な点が多いワケですな?」
「そういう事だ。この場合、考えられる金の行き先は三つ。一つは、単純に平賀には金銭に関する興味が薄く、クズ共がその殆どを蓄えている。二つめは、大規模なサイバーテロの準備に必要な費用として、既にハッカーや裏仕事専門の
室長は平賀の背後に歩み寄り、彼の両肩にポンッと手を乗せた。
「オマエの隠し口座を見つけたんだが、残高は3600円しかなかった。引き出された全額は国外の銀行に移されていて、既にこちらからは手を出せない状態だった。これは一体――」
「ムフッ」
平賀の目がパッチリと開き、してやられたみたいな苦笑いを浮かべた。
「『3600円』というのは、彼に残ったわずかな人間臭さの証明さ」
「彼?」
「プー左衛門だよ。あのヌイグルミは、私がアキバの量販店で買ってあげた。処分セールで3600円だった」
「そうか、良い仲間だな。恩義の分はしっかり残し、後は自分のおかげで稼げた分だから、根こそぎ持ち逃げ。トカゲの尻尾にされたヤツにはいつも同情する」
「同情、結構。彼には裏切られたけど、スポンサーとして貢献してくれたおかげで、政府の情報機関をここまで焦燥させられた。そして、これからネット住人のダレもが知るのさ。<完璧なセキュリティなど無い。どんなに強固な組織にも穴はある>……ってね」
Mr.アストラが室長を睥睨する。
(やはり、そうくるか……)
課長の表情が一層険しくなった。
「室長、少々宜しいでしょうか?」
彼は出入り口のドアを開けると、室長を拘留室の外に誘う。
「……ああ」
どんな議論をふっかけられるかは予想できる。ドアが閉まり、二人が顔を突き合わせた。
「室長、薬物の使用の許可を」
「…………」
「自分の国の法律は知っています。薬物を使って自白を強要する事、拷問や暴力で情報を引き出す事、どちらも違法でモラルの是非を問われます。が、モラルは平常な社会であってはじめて必要なモノ。司法取引でヤツを解放すれば、確実に平常な社会が失われていきます」
「だが、しかし……」
「上層部の指示を直接受けたのは室長だけです。なら、私はその指示内容を聞かされる前に、強引な尋問を試してしまった……そうすればいい。これならバレても、私がクビになるだけで済みます」
「宇野課長……」
ただならぬ気迫に押され、俯き加減で思案する。
「……いいだろう。自白剤の使用を許可する。ただし、拘留室内の監視カメラは切って――」
――――ピッ
「何だ?」
急に拘留室のドアの電子ロックが起動し、施錠された。
「おい、どうした?」
課長がモニタールームに駆け込み、尋問の様子をモニターしていた分析官に声をかける。
「急にエラーが発生して……システムがこちらのアクセスを受けつけませんッ!」
分析官の焦りようから察するに、単純な誤作動や電圧異常が原因ではなさそうだ。
<くぅぅぅぅぅ~~~~~マッマッマッマッマッ!!>
不吉な笑い声が地下施設中に響き渡り、宇野と江戸川に戦慄がはしる。モニタールームの全モニターと、拘留室内に置いたノートPCに映るクマのヌイグルミ。
「やあ、プー左衛門」
全く動揺する様子の無いMr.アストラ。彼はPCモニターにそっと指を添え、口元を歪めて微笑んだ。
ウオォォォォォッン! ウオォォォォォッン! ウオォォォォォッン!
けたたましく鳴り響くアラーム。電薬管理局の混乱が拡大してゆく。
「とんだ失態だ……侵入に気づかなかったのかッ!?」
「
「課長、バックアップシステムで強制介入し、なんとか追い出せないか?」
取調室の中を映すモニターを睨みながら、焦燥した声を漏らす。
「ダメです。大元のサーバーが制圧されているようで、コントロールがききません」
尋常ではない状況。そして、モニターは更なる状況の悪化を彼等に知らせた。
「大変だ……取調室の防護システムが働いていますッ!」
取調室内の状態(気温・湿度・明度・空気圧)を、リアルタイムで分析しているモニターが明滅し、緊急事態を告げる。
「防護システム?」
「テロリストの強襲や大災害が発生した場合を想定し、重要な証人やVIPを守るため設けられたシステムです」
「なら、問題はないだろう。少なくともこの事態に乗じ、外部から物理的な攻撃を受けたとしても、平賀の身は守れる」
「いえ、それが……」
「何だ?」
分析官の上ずった声に室長が身構える。
「対化学兵器用の密閉機能が作動……その上、取調室内の給気ファンが停止し、排気ファンのみが作動しています」
「くそッ!」
取調室とをつなぐ内線電話の受話器を手に取る。コールは可能だが、Mr.アストラが受話器を取る様子は無い。
「窒息までの時間は?」
課長が分析官の肩をつかむ。
「お、おそらく10分。もって15分といったところです」
やられた。数々のハッカー達を駆逐してきた牙城なら、絶対安全。そんな油断があったのだろう。完全にしてやられた。
(まさか、これほど迅速に口封じを講じてくるとは……!)
彼はケータイを取り出し、管理局長の番号にコールした。
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