第32話一体いつからこの社会が正常だと錯覚していた?

 チュンチュン、チュンチュン──

 外から聞こえる早朝を告げし生物の鳴き声。つまり、スズメの群れが「朝だ。起きろよバカヤロー」って言っているのだ。深夜に発生した救出劇があっけなく失敗に終わり、津軽さんは熟睡状態で拘束されてしまい、監禁部屋の住人が一人増えてしまった。興奮が冷めて眠くなったしるくは弟の部屋で寝てる。で、弥富はスズメのシュプレヒコールで目を覚ました。眠れたといっても4、5時間程度。しかも、床の上。部屋にベッドはあるが、普段はしるくがその身を委ねているベッド。本人の許可無しにベッドにインするのは、良識がとりあえず残っている者としていかがなものか。そう思い遠慮した。現役JKの体臭に包まれて睡眠……喉から手と同時に足まで出ちゃうくらいのプレミア。だが待てッ、俺の中の妖精さん。その最後のスイッチを押したら、きっと俺は引き返せなくなる。正常な社会人にはなれなかったが、正常な人間を諦めるつもりはないんだッ!


妖精さん「だが断る」


 ――ポチッ

 何の躊躇いもなくスイッチ・オン。

「さらばだ、今までの俺ッ! ようこそ、新しい俺ッ!」

 意味不明な言葉を叫び、しるくのベッドめがけて突入。その瞬間を待っていたかのようにドアの鍵が開く。

「うぅぅぅ~~、ねむぅ~~……」

 寝不足丸出しのしるくが入ってきた。清らかな朝日を浴びつつ、ベッドの上で天にケツを突き上げて横たわる弥富の姿を目にする。

「……ソレ、何待ち?」

 慈愛に満ちた笑顔で奇行にはしる弥富に、しるくは諦めにも近い声で問いかける。

「見ないで……いや、見るがいい。旧弥富は死に、新弥富が就任の儀式を執り行っているのだ。分かってくれとは言わない。せめて、母の真心的な目で見逃してくれ」

 全くもってワケの分からんコトを言いながら、ベッドの中で身をよじらせ始める。質感を楽しんだり、残り香を嗅いだりで大忙し。

「ああ~~、ヤベぇ~~、マジで良い匂いするぅ★」

 ついに心のストッパーが決壊し、タマっていた色んなモノがあふれ出たらしい。今の彼の光景は、オマワリさんが無線で応援を呼びかねないレベルだ。

「滅びよ、迷惑防止条例違反者」

 ゴッ!

 しるくの冷徹な蹴りが弥富の脳天に直撃。

「おふッ!? ……って、俺は一体何を?」

 一匹の童貞が短いトリップから生還した。


「じゃあ、買いに行くよ。一緒に来て」

「買いに行く……って、何をだ?」

 キッチンに連行された弥富に冷蔵庫の中身を見せてやる。

「コレがこの家における食料自給率」

「見事に何もねえな」

 中身はチューブのワサビと脱臭剤だけ。盗難にあった直後みたいだ。

「朝ゴハン作ってくれるって言ったよね? まずは買い出しに行くの」

 昨日の口約束を思い出した。つまり、二人で仲良くスーパーに遠征である。


「お、重い……まさか米の備蓄まで無かったとは」

 片手に10㎏タイプの米袋を抱え、もう片方には適当に食材を詰めまくった袋。いくら家から近い店で買ったとはいえ、ニートの体力と筋力でカバーしきれる量ではない。

「ガンバレ、ガンバレ、ロクデナシ♪ タダ飯食いたきゃ汗水流せぇ~~♪」

 隣でしるくが愉快そうに笑っている。

「ど、どっちか持ってくれ……腕のとっても大事な所がパージしそう(汗)」

「や~~だ~~よォ。男連れて歩いてんのに、荷物持ったりしたらカッコ悪いもん」

 ダメだ。コイツは真性のS女だ。

「朱文、帰ったよ。もう起きたァ?」

 家に着くなり、しるくは二階への階段を上りながら弟を呼ぶ。が、彼女が目にしたのは、眠たそうな弟の姿ではなく、開錠されて半開きになった自分の部屋のドア。

「────ッ、まさかッ!?」

 顔色が一変して部屋に跳び込む。案の定、津軽の姿が無い。

(しくじったッ! けど、どうやってッ!? 外から鍵をかけたのに……)

 無理矢理こじ開けた痕跡は見られない。方法は不明だが、巧みに解錠したようだ。

「朱文ッ!?」

 彼女の背を悪寒がはしる。津軽は朱文を人質にし、交渉を迫ってきた。もしかすると、彼を人質として捕らえる機会を見計らうため、わざと捕まったのかッ!?

 バンッ──!

 弟の部屋に勢い良く突入する。そこで目にしたのは、スヤスヤと眠っている朱文の姿。

「ふうぅぅぅぅぅ~~……セ~~フ」

 額に滲む汗をぬぐいつつ深呼吸する。が、津軽には逃げられた。これは決定的にマズイ。急に眠りだして覚醒しない上、拘束したため安心していたが、迂闊だった。彼女は実動課の応援を引き連れ舞い戻って来るだろう。

(くっそッ! どうすりゃいいってのよ…………ん?)

 思案するしるくの視界に映る。寝ている朱文の掛け布団が、明らかに不自然な盛り上がりを形作っている。

「…………(汗)」

 無言で掛け布団を引っぺがす。

「うぅ~~ん、朱文殿ォ♪ とても良い香りですわァ★」

 小声で寝言を呟く津軽。夜這いならぬ朝這い。眠る朱文の首に片腕を回し、抱きしめるように添い寝しとる。本人は未だに眠ったままで、夢遊病気味で開錠から朱文の布団への侵入までやってのけた。性癖と本能のなせる業である。

「──もしもし、児童相談所ですか?」

 思わずケータイで助けを求めてしまった。長洲家の一日がまたしても始まる。


「はぁ~~い、本日も蒸し暑く気だるい朝がやってきました。手際の良い仕事は無理なんで、『約30分クッキング』の始まりでぇ~~っす」

「…………」

 エプロン姿のしるくの横で、おさんどんの格好をさせられた弥富が立ってる。しかも、微妙に似合っている。

 キッチンのテーブルに並べられた食材の数々。裏仕事の儲けがいいのか、弥富の財力ではカバーできない上質な物ばかりだ。

「いやぁ~~、さすがにこれだけ買いそろえると壮観ですね。先生」

「うん、そうだな。スーパーのレジのオバサン、早朝から意味不明な大人買いすんじゃねえって面だったよ……って、先生とか呼ぶな」

「それでは先生、まずは米を炊いてみたりしたいんですが」

 そう言って、カナリ多機能な炊飯器を指差す。難解な数学の問題に恐れをなす学生の顔だ。

「はいはい、それではまず米をしっかりと研ぐぞ」

 ジャッジャッ、ジャッジャッ――

「研ぎ過ぎには注意だ。旨みの成分まで流れ出ちまうからな」

「研いだ米をお釜に投入しま~~す」

「水道水は使わずに買ってきた天然水を入れる。このまま30分くらい水に浸けた後に炊くのがベストだが、今回は時間が無いのでスイッチ・ポン」

「さすがは先生ッ、炊飯なんて危険行為を容易くクリアしちゃいましたねッ!」

 爆弾処理かよ。

「炊いている間に卵を焼いたりかまぼこを切ったり。オマエは人数分の皿でも並べてて」

「オ姉チャン、オハヨウ……あれ? 朝御飯作ってるの?」

 朱文が眠たい目をこすりながら慣れない生活音に反応する。

「そうそう、そうなのよ。偉大なる料理担当者の登場により、長洲家の朝は充実の一途をたどってるワケよ」

 どんな誇大広告だよ。

 やがて時間は過ぎ、テーブルに朝食一式が並ぶ。

「まあ、何ということでしょう。先生、見事な自炊能力です。この調子で家中の掃除と洗濯もお願いしまぁ~~す」

「ああ、別にいいけど…………って、何だよ?」

 弥富の返事が予想外だったのか、しるくが小さくビックリした表情で固まっていた。

「え、あ……悪ノリして冗談言ったつもりだったんだけど、マジレスされちゃったから……アハハハハッ(汗)」

「気にすんな。誘拐された身だけどよ、他人様の家にタダで寝泊まりして、タダ飯食わせてもらってんだし。最低限のコトはしてやるよ」

「むッ、もしかして……そうやってアタシの心証を良くし、逃がしてもらおうって腹じゃないでしょうね?」

 食卓に着いて食べ始める三人。

「そこまで器用ならニートなんかになってねーよ」

 カマボコに醤油をたらしながら呟いた。

「ふ~~ん。じゃあさあ、もし……もしものハナシなんだけどさ。万が一、アタシの雇い主に引き渡す必要がなくなったりしたらさ、頼み事聞いてくれる?」

「どんな?」

「うちの専属家政夫として雇われてよ」

「何だそりゃ?」

 鼻で軽く笑ってしまった。

「別にいいじゃ~~ん。バイトもしてないし、将来の展望とかも特になさそうだし。このまま惰性で一人暮らししててもさ、社会の害悪にしかならないよ。ね?」

 そう答えるしるくの顔は笑顔だが、言ってる内容は失礼極まりない。

「オマエなあ、俺の生きる気力を削ぎたいの?」

 自嘲気味の面持ちで味噌汁をすする。

「気にしないでください。オ姉チャン、ちょっと寂しがってるだけですから」

 味付け海苔で御飯を巻きながら朱文が呟いた。

「ちょ……朱文ッ! 変なコト言わないでよッ!」

「だって、父さんも母さんもまだ戻ってきてくれないし」

「戻ってくるワケないじゃない。何も言わずに子供を残して蒸発するなんて……理由はどうあれ、そんな親なんかいらない。朱文、アナタはアタシが責任をもって育てるし、その目も必ず治してあげる。約束よ」

「オ姉チャン……」

 空気が少々重い。だが、朝食がこれほど美味しく感じたのはいつ以来だったろうか……。弥富の顔に極めて自然な笑みが浮かんでいた。



 チャンチャラ♪ チャカチャカ♪ チャンチャラ♪ チャア~~~~♪

 日没からさほど時間も経たぬ頃──。

 光で彩られたエレクトリカルパレード。沢山の観客に見守られながら、愉快な着ぐるみ達が懸命に愛想をふりまいている。楽しげな音楽と圧倒的な装飾を前に、皆が酔いしれている中で「我、関せず」――な空気を放っている者が一名。パレードから少し離れたベンチに腰かけ、ゆったりとした面持ちで葉巻を吸っている。淑女だ。場違いな着物姿の女性が紫煙をくゆらせている。先程から自分の腕時計と周囲を交互に見ており、ダレかを待っているようだ。やがて、パレードのテンションと熱気が最高潮に達した時、彼女の隣にスーツ姿の小太りなオヤジが腰をかけた。

「税金で買った高級車がエンストでもしたのかい? 全く……のくせにデートの時間も守れないとはねえ」

「黙れ。税金の払い方も知らんくせにほざくな。こっちは国の安全と秩序を守るのに忙しいんだ」

「安全? 秩序? ハンッ、ソレが守られて一番困るのはアンタ等じゃないか。大きく成り過ぎた組織を維持するのに必要な莫大な維持費……駐禁とネズミ捕りだけでまかなえるワケがないからねえ」

「こちらの台所事情はどうでもいい。それより重要な事実が公にされてしまった。我々の今後の方針を左右されかねない事態だ」

 淑女と中年オヤジはお互い目を合わさず、視界にパレードの様子を映しながらも、全く別のモノを見ていた。

「Mr.アストラが逮捕された件かい? 当局がこちらをあぶり出すために流した、虚偽報道カバーストーリーという可能性は?」

 淑女──Mrs.フェリックスがその切れ長の目を細める。

「裏はとった。ヤツは電薬管理局の監視下に置かれた」

「どういう経緯だい?」

「プー左衛門が裏切った。理由は不明だが、わざとアジトに管理局を誘導したようだ」

「とんでもないヌイグルミだねえ……タダの悪フザケなハッカーかと思ってたけど、こちらも身の安全を考慮しないと。いつ寝首をかかれるか分かったもんじゃない」

「その通り。ヤツは本当の意味で無差別攻撃犯テロリストとなった。不本意ではあるが、これから先はお互いの財産と地位を守るためにも、多少の協力関係を築かねばならん」

 中年オヤジ──Mr.ベッカーは不満そうな声で呟く。

「ふうぅ~~……そりゃいいけど、当面の計画は何かあるのかい?」

 葉巻の煙がパレードの姿を包み、曇らせる。

「こちらは人質として小僧の身を押さえてある。そもそも、弥富更紗の拉致を発案したのはプー左衛門だ。ヤツにとって何か重要な利用価値があると考えられる」

「なるほど。プー左衛門に対する切り札として使えると。ふぅ……本当に世も末だねえ。警察機関おかみに属する人間の言葉とは思えないよ」

「ふんッ、暴力団ヤクザの方がよっぽど良識があるとでも言いたいか? 我々のような汚れ役なくして国家は機能せんのだよ」

 彼のアイコンタクト。そこから読み取れる次の手。

「仕事よ」

 Mrs.フェリックスは着物の胸元からケータイを取出し、通話する。

<仕事? Mr.アストラが拘束されたと聞いたが>

 相手は傭兵チームのヒゲオヤジだ。

「偽PDSビジネスに支障はないわ。Mr.アストラの意志はうちらが引き継ぐ。アンタ達には簡単な野暮用を頼みたいのさ」

「内容は?」

「今、そちらにマップデータを送信した。目標は弥富更紗という一般人。速やかに回収し、所定の場所まで送り届けるだけ」

 着物の袖口から取り出した携帯端末PDAを操作し、指示を出す。

<……Mr.ベッカーに代わってくれ。近くにいるんだろ?>

 ヒゲオヤジの口調が変わった。

「何だ?」

 ケータイを受け取ったMr.が口を開く。

<我々はプロだ。雇い主の身辺調査に手は抜かない。アンタが手を下した汚れ仕事も、全て裏をとってある。だから、アンタの口から直接聞きたい……仕事は本当に小僧の回収だけか?>

 相手の心底から答えを掘り出そうとするような、鋭い声。

「……小僧を監禁してある家の住人を始末しろ。そろそろ潮時だ」

 彼は表情一つ変えず、そう言ってケータイを切った。

「ふうぅ~~……お互いロクな死に方しないだろうねえ」

 足元に捨てた葉巻を踏み躙り、Mrs.は遠くの方に目をやってポツリと呟いた。

 パレードの音と光が次第に観客の五感からフェードアウトし、テーマパークに営業終了の静寂が訪れた頃、二人は姿を消していた。ベンチの上に献花用の花束を一つ残して。


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