第29話返事が無い。正常なようだ

「それにしても……まさか、弥富殿の部屋のすぐ隣に潜んでいたとは。灯台下暗しとはまさにこのコトですわね」

 玄関の土間で背中に夕日を浴びながら、津軽が腕組みして呟いた。

「……えぇぇぇ? は、あ…………あれぇぇぇ……?」

 一人暮らし専用の狭いアパートの一室では、現在、数人の武装隊員と実動課から派遣された分析官が現場を調査中。大穴を開けた際の瓦礫を無造作に踏みしめながら、皆が忙しそうに歩き回っている。そんな中で床の上にヘタリこみ、何を見ていればいいのか分からないような目をした男が一人。その手には既に手錠がかけられ、武装隊員が側に立って見張っている。

(不様なモノですわ。天才と狂人は紙一重と申しますが、どちらも意外と脆い)

 津軽が冷たい眼差しでMr.アストラを見つめる。外見はドコにでもいそうな男性だ。大事を成し遂げようとしている人間には見えない。管理局はこんな男一人に今まで煩わされていたのか?

 津軽は提げていたビニールの袋にインカムを取り付け、自分にもインカムを装着した。

「逮捕に成功したぞッ! 本日の一連の流れはまさに手に汗握る展開だったぞッ!」

 大興奮してるポチが出現したんだが、何故か車イスに座っている。

「おおッ、我が友にして主食ッ! よくぞここまでぇぇぇぇぇッ!」

 歓迎ムードな笑顔の浜松が出現したんだが、何故か名作アニメで見かけそうな粗末な服装。そして、始まる。

「ポチぃぃぃぃぃッ!」

「浜松ぅぅぅぅぅッ!」


 ──────── ポチが立った ポチが立った ────────

                ↓

   ────── ポチが歩いた ポチが歩いた ──────

                ↓

     ── ポチが走ったッ!? ポチが走ったッ!? ──

                ↓

            クロスカウンターッ! 


 ズドオオオオオォォォォォッッッン!


 ついさっきまで抱き合うような雰囲気だったのに、出会いがしらに強烈なパンチ。お互いの頬に拳がメリ込んで、ものすごく険しい表情で立ち尽くしてる。

「や、やるじゃない。いつの間にこれほどまで腕を上げ……げふッ」

「そ、それはこっちのセリフだぞ。さすがは汚れたヒロイン……がはッ」

 浜松とポチがわざとらしく吐血する。この勝負、引き分け。

「では、深見素赤。この場で簡単な事情聴取をさせていただきますわ」

 津軽、二匹のショートコントをものすごい勢いで無視した。

「うっわぁ、空気読めよ。のっかってこいよ」

「さあ、羞恥心をサクッとかなぐり捨てるんだぞ。レッツ・黒歴史の序曲ッ!」

 二匹がそろってオモシロ顔で誘ってくるが、津軽は一般人がドン引きするくらいの無視っぷりだ。

「どうしてなのさッ!? いくら禁魚でもあの攻性フィルターを突破できるワケが……ねえ、プー左衛門……答えてよッ! ねえッ!」

 自分の置かれている状況が未だに把握できないのか。Mr.アストラは床に尻もちをついたまま声を荒げている。

「御静かに。アナタの聴取は実動課へ連行した後、ゆっくりとさせていただきます。壁の修理費用と床のクリーニング代はアナタの口座から引き落とし、その後凍結致しますのであしからず」

 津軽の攻撃的な目が敗残者を見据える。

「話が違うじゃないか……君はいつだって完璧に、そう、いつだって上手くやってくれてたのに……どうしてッ!? 私の言葉が聞こえないのかいッ!?」

 彼はノートPCに向かってひたすら呼びかけている。だが、モニターに映る可愛いクマのヌイグルミに変化は無い。ピクリとも動かず一言も喋らず、ただのヌイグルミとして佇んでいるだけだ。

「フザけるのはやめてくださいまし。心神喪失を演じて裁判に備えているおつもり?」

 実動課が得てきた情報は、Mr.アストラに関するモノのみ。彼にどんな人脈があり、何者かと共謀していたかどうかは分かっていない。現状の彼等に裏のスポンサー達の情報は無い。Mr.アストラが見えない何かに話しかけている――そんな痛々しい光景にしか見えないのだ。

「エージェント・津軽、私はデスクトップのHDを検査棟に持ち帰り調査に入りますが、一緒に戻りますか?」

「いいえ。わたくしはもうしばらく現場検証を行いますわ。弥富殿の救出に役立つ手掛かりがあるかもしれませんし」

 分析官に促されたが、弥富の拉致を許してしまった責任は健在する。一連の事件の司令塔が指示を出していた場所だ。必ず有力な手掛かりが落ちているハズ。そう考えた彼女が最初に視界にとらえたのは、『ノートPC』。特に変わった周辺機器は付いていない。ウェブカメラと専用のスピーカーが取り付けられているだけだ。モニターにはデッキチェアに座ったクマのヌイグルミが一つ。Mr.アストラは必死になって話しかけていたが、当然、こんなモノが──


<くぅぅぅぅぅ~~~~~マッマッマッマッマッ!!>


「────ッ、何ですのッ!?」

 ノートのキーボードに手を伸ばそうとした津軽だったが、ビクリと身体をうねらせて硬直した。急に大音量でクマのヌイグルミが笑い出したものだから、周りで作業をしている連中も何事かと振り向く。

<はじめまして、公僕の皆さん。拙者の名前はプー左衛門。一応言っておくけど、世界的に有名な下半身丸出しのクマの方じゃなくて、無職の方のプーだからそこんとこヨロシクマ☆>

 軽快なBGMがスピーカーから流れ出し、先程まで微動だにしなかったヌイグルミが自己紹介し始めた。

「……はい?」

 津軽はどう対応すればいいのか分からず目が点だ。

「プー左衛門ッ、一体どうしたっていうんだよッ!? 私はこんな形で終わるワケには──」

<じゃかあしいッ! ヘタレの引きこもりは黙ってるんだクマッ!>

「なッ、プー左衛門……?」

 仲間だったハズのMr.アストラを切り捨てた。

「何者ですの?」

 モニターの不審なヌイグルミを睨みつける。

<大勢の御来賓、大変歓迎するナリ。IP偽装システムはわざと切らせてもらったから、この場所はすぐに解ったでしょ?。拙者、御覧の通りの愛嬌タップリなクマさんだベア。若い女の子からは『プーちゃん』って呼んでもらえると嬉しいクマ♪>

「わたくし、電薬管理局実動課のエージェント・津軽と申しますわ。趣味はアナタ方のような小悪党を捕らえ、完膚なきまでにその腐った性根を滅却する事」

 彼女の毅然とした視線が相手を射抜く。

「プー左衛門、私を裏切ったのかい? そんな事はないよね? 今まで一緒に協力して目的を果たして──」

<協力ぅ? くぅ~~マッマッマッWWW。一介のスクリプトキディに過ぎなかったオマエが、偽PDSで荒稼ぎできたのはダレのおかげクマ? 調子にのって『生命のデジタル化』に手を出そうなんて、寝言は職安行ってから言うんだベア>

「そ、そんな……!」

 悪党共の仲間割れは実に醜いが、利用されてトカゲの尻尾にされた者の姿は、見るに堪えない不様なモノだった。

「ところでさぁ、アンタは何がしたいワケ?」

 浜松がゆっくりと近づいてきてプー左衛門に問いかける。

<ん~~、というより、のかを教えてやった方が分かりやすいクマね>

「どういう意味ですの?」

 と、津軽が目を細めた瞬間──

 ドオオオオオォォォォォ────────ッッッン!!

「────ッ、何事ッ!?」

 アパートの外から大きな衝突音が聞こえてきて、津軽と武装隊員達が一斉に部屋の外へ走り出す。

(これは……!?)

 アパートのすぐ近くの十字交差点で、普通乗用車とトラックが衝突事故を起こし大破している。そして、津軽だけが即座に気づいた。交差点の信号機が全て青になっている状況に。


<くぅぅぅぅぅ~~~~~マッマッマッマッマッ!!>


 訪れる夕闇の帳にプー左衛門の笑い声が木霊した。

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