第28話緊張の夏、正常な夏

「発信元を特定! IPアドレスを検索中!」

 作戦開始から5分。検査棟の分析官が端末を操作しながら声を上げた。

「…………何?」

 宇野課長の口からマヌケで拍子抜けな声が漏れる。最悪のパターンとして実動課のメインサーバーがダウンし、ハッキングから防衛している防火壁ファイアー・ウォールが無効になるのを恐れていたのだが……突破した? こうも容易く?

「こちらのシステムに何か異常は生じているか?」

「いえ、正常です。全ての機能、オールグリーンです」

「妙ですわね……」

 相手は特A級のハッカー。身元を隠すためのプロキシサーバーは当然設定しているハズ。端末のモニターをのぞきながら津軽が訝る。彼女は水槽の方に一瞥をくれるが、禁魚や糸ミミズにも変異は見られない。優雅に泳いでいるだけだ。

「IPアドレス判明、住所は……ッ!?」

「どうした?」

 不動産リストとの照合を終え、分析官の手がピタリと止まる。一瞬、息を呑んだ。

「この住所は……バカなッ、弥富更紗のアパートですッ!」

「────ッ!?」

 フロアに緊張がはしる。課長が江戸川室長と目を合わせた。

「こちら国家調査室長・江戸川。緊急出動を要請。屋内制圧部隊一個小隊を編成した後、これから送信する情報を元に、作戦を開始せよッ! これは訓練ではないッ、繰り返す……これは訓練ではないッ!」

 ケータイで軍部に連絡しながら端末を操作する。ついに始まった。

「課長、わたくし──」

「みなまで言うな。行ってこい」

「承知ッ!」

 津軽は水槽から糸ミミズをすくい出し、ビニールの袋に入れる。そして、クラッチバッグをつかみ取り、ポニーテールの黒髪を翻して走り抜けていった。



「急にどうしたんだね? 素直に肉体バックアップを引き渡してくれるのはいいが、一体どういう心境の変化だい?」

 実動課への宣戦布告を済ませたMr.アストラが、訝りながら問う。

「このオッサンに何かあったら、肉体バックアップもタダじゃ済まないってコト」

 浜松が局長のハゲ散らかった頭を指差している。

「んんんッ────! んんッ、ん──ッ、ん────ッ!」

 顔面を脂汗でテカテカにさせ、猿轡を噛まされたまま何かを訴えかけている。

「はいはい、今外してあげますよ。あまり興奮し過ぎると醜い顔が台無しだ」

 苦笑するMr.アストラが猿轡を外し、代わりにインカムを装着してやった。

「深見ッ! 貴様ァ……よくも裏切ってくれたなッ!」

 開口一番で浜松にかみついてきた。

「裏切るぅ? あたしは単にをしてるだけ。契約は守るっての」

「黙れッ! 勝手に禁魚の中に逃げ込みおって……享輪コーポレーションから突然姿を消したと聞かされ、私はストレスで憤死寸前だッ!」

「へえへえ、そうですかい」

 浜松はまともに耳を貸そうとはしない。

「ちょっと待ってくれ。とは何の事だい?」

 Mr.アストラが会話に割って入る。

「局長、しゃべっちゃってもイイよね?」

「フザけるなッ! 契約内容を忘れたのかッ!?」

<うるさい高齢者だクマ。拙者も浜松の話に興味津津だから、再度口を塞いでもらうんだベア>

 プー左衛門が<ヤっちまいなッ!>って書かれたプラカードを掲げる。

「仕方ありませんね。では、もうしばらく御静かに」

 そう言ってMr.アストラが猿轡を手にして歩み寄る。

「待てッ……よし、分かった。どうせこの裏切り者が話してしまうのなら、私から話そう。あること無いこと誇張されてはたまらんからな」

「さすがは全ハッカーの宿敵。潔し」

 局長は観念した様子で軽く溜息をつき、話し始める。

「数年前、管理局は動物の脳髄を使った有機コンピューターの開発に着手していた。世界規模で発生するサイバーテロや、有象無象のハッカー共によるハッキングへの完璧な対抗手段としてだ。ソフトメーカーや警察機関が新しい防衛システムを開発すれば、ハッカーはそれを突破するウイルスやスパイウェアをすぐに造り出す。システムの強化と更新はハッカー共を刺激し、すぐに新しい突破手段が開発される。まさに堂々巡り……次世代のシステムが必要だった。レジストリを決して解析されず、不正な侵入を感知すれば、相手のネット環境を著しく破壊できるシステムがな」

「いくつかのウワサは耳にしてましたが、局長御自身から聞かされると重みが違いますね。それにしても、どうして動物の脳髄を?」

「もちろん、人間の脳髄を使用する案が先に挙げられた。だが、シミュレーションの結果、システムの中枢を担う役目には適さないと判断された。人類の脳は複雑に進化し過ぎたせいで、多様な感情がどうしても制御しきれず、エラーの発生が止まらなかった」

? 局長、もしかして……ムフフフッ」

 Mr.アストラが嬉しそうに微笑んだ。

「ああ、そうだ。ネット住人が大好きな都市伝説。<電薬管理局は人体実験を経て、特殊なスパコンを設計・開発している>……大衆の妄想がネットに氾濫した時、私はゾッとした」

<ニート万歳ィ、ヒッキー万歳ィ、妄想の力が情報機関に目潰しをくれてやったクマッ!>

 プー左衛門がクルクル回りながら喜んでる。

「話の流れは大体把握できましたよ。確か、禁魚とPDSをネット上でリンクさせた際、禁魚は『生きた防火壁ファイアー・ウォール』になる。つまり、次世代の有機コンピューターという攻撃手段を開発した結果、それに適応できる防衛機能も必要となった。攻撃と防御――その二つがそろって、初めて大局を制御できる存在となる」

「そうだ。そして、防御を受け持つのが深見の役目だった。オリジナルPDSを共同開発した過程で、我々は生命のデジタル化も実現にこぎつけた。これにより、不動の正義をネット世界に固定できるハズだった。海賊ソフトの摘発、マルウェアの排除、敵性情報の追尾……全てが思うがままになるハズだった。だが、この女は姿を消した。自分の身体を管理局に保存させたままなッ!」

 腸が煮え繰り返るような表情で浜松を睥睨する。

(やれやれ、まるで親子ゲンカだね)

 呆れた感じで軽く溜息をつき、Mr.アストラが水槽に近づこうとしたその時──


 ──────キンッ!


「……ん?」

 金属同士が高速でぶつかったような乾いた音がした。玄関の方からだ。Mr.アストラと局長が同時に玄関戸に視線を向ける。小さな玄関戸がゆっくりと……非常にゆっくりと内側へ開いていく。真夏の西日が薄暗い部屋の中にユラリと差し込む。

(鍵が……斬られた!?)

 Mr.アストラが息を呑んだその直後──


 ボコオオオオオォォォォォ──────────ッッッ!!


「────ッ!?」

 車の衝突事故みたいな轟音とともに、部屋の壁の一部が派手に爆裂し、吹き飛ぶ。そして、ポッカリと開いてしまった壁の大穴から、数人の武装隊員が突入してきた。

「端末から離れろッ! 国家調査室長の指示により、オマエを拘束するッ!」

 隊員の一人がアサルトライフルの銃口を向け、警告する。

「えッ、あぁ……そ、そんな…………どうして?」

 Mr.アストラは魂をブチ抜かれたみたいに茫然自失。ゆっくりと床の上に両膝をつき、目の前の光景を凝視する。

「とうとうこの瞬間を迎えましたわ。裁きの時ですわよ」

 カッカッカッ──

 ヒールの足音。全開した玄関戸のすぐ側に、フォーマルスーツを纏った女が毅然として立っていた。その手には手斧が握られ、ギラギラと西日を反射させていた。

「おおッ、君は確か、実動課の……」

 ずっと床に座らされていた局長が安堵の表情で立ち上がる。

「御待たせ致しました、局長。もう安心ですわ」

 エージェント・津軽六鱗がその勇姿を現し、ついに事件の発端となった張本人を逮捕。あらゆるネット犯罪の発信源となった部屋が制圧された。


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