第27話飛ばねぇ豚は正常な豚だ

「こんなバカげた話があってたまるかッ! 一介のハッカーごときに政府の直轄機関が脅迫されるなど……宇野課長ッ、この件に関する一切の情報が外部に漏れぬよう、周知徹底を図ってくださいッ!」

 江戸川室長が声を荒げる。

「ご心配なく。防火壁ファイアー・ウォールは正常ですし、ハッキングがあれば禁魚達がいち早く察知します」

 宇野課長が冷静に返答した。

「課長、管理局側はどう動くつもりでしょうか?」

 いつものスーツに着替え終わった津軽が、神妙な顔つきで彼の傍らに立った。

「ハッカー共のハッキングや姑息な脅迫はいつもの事だが、今回はレベルが違う。ついに偽PDSの生みの親が登場だ。当然、脅迫に応えるつもりも交渉の余地も無い。早急に居所を突き止め、逮捕するまでだ」

「しかし、そのためには……」

「電話の逆探知を許すようなマヌケではないが、ネット回線でこちらに接触すれば、禁魚達が泳いで確実に根城を割り出す」

「それにしても、本当に管理局は深見素赤の身体の保管を? いくらオリジナルを開発した本人の肉体モノとはいえ、機密保持のためには、本人に関する社会的情報や戸籍データを改ざん、あるいは偽の情報を造り上げ、生きているように見せなければなりませんわ。政府の直轄機関が一個人に施す域を逸脱してますわよ」

「インフラへのサイバー攻撃情報をネットに流し、手の込んだ陽動までしていた以上、先方は遊びではない。あまり考えたくはないが、管理局と享輪コーポレーションとの間に何かしらの秘密協定が結ばれていたか、あるいは深見個人と……」

「一応、局長に問い合わせた方が宜しいのでは? 今後の管理局の出方次第で、わたくし達の対応も変わりますわよ」

「そうだな。では──」

 と、課長がケータイを取り出し、コールしようとしたその時。検査棟の全ての端末が何かを受信して、モニターにソレを映し出した。

「────ッ、江戸川室長、見てくださいッ!」

 課長が手近のモニターを凝視しながら声を上げる。

「何だねッ? 一体な……に、が……!?」

 室長が固まった。モニターに映る薄暗い部屋。その中で悠然と佇む見知らぬ男と、両手を縛られ猿轡をかまされた70歳前後くらいの老人。

<やあ、諸君。初めてこの不細工な顔を見せるワケだが、今の気分はどうだい? 絶好調に浮足立っているかい?>

 そう言って見知らぬ男は懐中電灯を手にし、隣の老人の顔を照らし出した。

「局長ッ!?」

 課長の顔色が変わる。

「なるほど。オマエが例のMr.アストラというハッカーだな?」

 室長が威圧するように顔をモニターへ近づけた。

<ハッカー? そんな陳腐な呼び方はよしてくれ。この場はもっと真に迫った感じで、『テロリスト』と呼んでくれ。その方が気分が良い>

 彼は完全に主導権を握った様子で、余裕の笑みを浮かべている。

「なら、テロリストのカス野郎に一つ質問だ。その男性をどうやって拉致したかは察しがつく。が、本物の電薬管理局長であると証明できるかね?」

 室長が目を細めて探りを入れる。

<簡単なコトさ。管理局に電話して直接聞いてみればいい>

「宇野課長」

「少々お待ちを」

 冷や汗で額を濡らしながら、課長が管理局にコールする。

<ふむふむ、隅の方に大きな水槽が見えるねえ。禁魚の手を借り、享輪コーポレーションがおかれている状況を把握したようだね。よしよし、思ってたより利口で融通がきく>

「御褒めいただき恐縮だ。オマエを逮捕する時は、こちらが世辞を聞かせてやろう」

 室長がネクタイを緩めつつ挑発する。

<申し訳ないが、その望みは叶わないよ。私の仲間が安全なネット環境を確保するため、攻性フィルターを展開しているからね。禁魚達が無理に突破しよとすれば、そちらのサーバーがダウンしちゃうよ>

 絶対の自信をもって通信してきたのだろう。余裕の態度を崩す様子は無い。

「室長……しばらく前から局長との連絡が取れないようです」

 ケータイを手にした課長が傍で囁く。

「そんな……信じられん……!」

 室長の喉がゴクリと鳴った。

(最悪ですわね)

 このやり取りを静観していた津軽に戦慄が走り、両手にジワリと汗が滲む。電薬管理局は国内、及び国外からのサイバーテロやハッキング行為を監視し、違法行為が発見され次第、該当者逮捕のため警察機関へ通報する任を受け持つ。場合によっては、軍部の兵員を動かす権限を行使できるのだ。つまり、ネット社会に正常な秩序を固定する最強の砦……その砦が、今まさに揺るがされている。万が一、このライブ映像が外部に流れたら、世界中のハッカーやテロリスト達がこう考える── <ネット社会に鎮座する最強の砦に穴が開いた。ヤルなら今だ> ──と。

 津軽はインカムを装着し直し、水槽に歩み寄る。

「まさにピンチをチャンスに。今しかありませんわ……頼みますわよ」

 水槽の前に一列に並んだ禁魚達&糸ミミズのアバター。

「アホの居所を突き止めるンやろ? 任しいや」

「ボク等が本当の意味で社会に貢献できるんですね。なんか嬉しいです」

「上手くいけば、御主人の捕らわれている場所も分かるかもしれんしのう」

「おお~~、ついに事件の核心へ突っ込むワケだぞ。ハードルは高い。が、ハードルは高ければ高いほど、くぐりやすくなるんだぞ」

 くぐるんじゃねえよ。

「じゃが、アノ男が言う通り攻性フィルターが展開しているとなると、実動課のサーバーがダウンする可能性は高い。管理局ほどではないにしろ、ココもハッカー共から常に狙われとるハズじゃ。サーバーの再起動時を利用して、侵入ルートを特定されかねんぞ」

 土佐が津軽を睥睨しつつ言及する。

「構いません。全ての元凶である偽PDSの『親』が手の届く所に現れた。この機を逃すくらいなら、喜んでトカゲの尻尾となりましょう」

 尋常ならざる執念を垣間見せた。

「勝手に実動課の方針を決めるんじゃない。責任者は私だ」

 彼女の肩に課長の手がポンッと置かれる。

「で、どうしますか?」

 郡山が何かを期待するような視線を送った。

「しくじれば実動課は責任を問われ、閉鎖される。だが、Mr.アストラを逮捕できれば、国内に潜む有象無象のハッカー共を一斉検挙できる。ところで、成功確率はどのくらいだ?」

「ネットの神のみぞ知る」

 土佐が天を仰ぎながらポツリと呟く。

「結構、充分だ」

 責任者の口から発せられるゴー・サイン。禁魚達が勢い良く遊泳し始め、糸ミミズも懸命にウネウネしている。

「課長、一つ疑問が残るのですが……何故、敵勢力は弥富殿を拉致したのでしょう? 特に取り引きの要求はございませんし、彼が何か役立つとも思えませんわ」

 さりげなくヒドイ事を言ってる。

「確かに懸念材料ではあるが、このミッションが成功すれば全て片付く。彼の存在は今のところ記憶から消して、目の前の事象に集中しろ」

「了解ですわ」

 やっぱりヒドイ。


「ネットの世界平和を守る連中へ宣言はした。まずはどう出るかな?」

 Mr.アストラは両手を組み、肘をデスクについて横目で捕らわれの局長を睨んだ。

「んぐぅぅぅぅッ! むぐッ、むぐぅぅぅぅッ!」

 猿轡をされたままで何を言っているかは分からないが、カナリ御怒りの様子で、油っこい顔面を真っ赤にしている。

「はいはい、負けた負けた。降参しま~~す」

 事態を静観していた浜松だったが、自嘲気味の面持ちでMr.アストラに歩み寄ってきた。

「降参?」

「保管されているあたしの肉体バックアップが欲しいんでしょ? ここまで本気見せられたら、こっちも応えないとね」

 そう言って床に座らされている局長を見下ろした。



(マジかよ……俺、人生初の貞操の危機にさらされてないか?)

 弥富が引きつった表情で固まっている。夕暮れ時――真夏の太陽はまだ元気なため、外は充分明るい。近所からは、プールや海から帰ってきた子供達の喧騒が聞こえ、出迎える両親等の朗らかな声も。で、彼は──

 カポ~~~~ン♪

 湯船に浸かっていた。そう、ここは風呂場である。入浴中なのである。この家の現家主である長洲しるくの命令。<うわッ、汗臭ッ! 風呂入りなさいよ、風呂ッ!>……いや、部屋のエアコンが壊れてたのは俺のせいじゃねえし。人並みの自由を与えてくれたコトには感謝しているが、差し迫った問題がある。

「あのさあ……どういうつもりかな?」

 両脚を折り曲げて湯船に浸かり、横目でその相手に問いかける。

「どうもこうもよ。忘れたの? アンタは大事な捕虜。ここは外から鍵がかけられないから、こうやって直に見張ってるワケ」

 洗い場に立って事も無しげに言う長洲。しかも、学校指定の紺色のスク水を着用。事情を知らない人から見れば、完全にイメクラの営業時間中だ。

「さ、左様で……」

 言い返せない。文句はよそう。そして、なるべく彼女を視界に入れないようにしよう。JKのリアルなスク水姿は壊滅的パワーを持つ。ヘタをすれば、下半身が制御不能になりかねない。 鎮まれッ、俺の海綿体ッ!

「湯船から出て頭を洗いたいんだが」

「ええ、いいわよ」

 そう言ってシャワーチェアーを差し出してきた。

「い、いや……そうじゃなくて、湯船から出たいから出て行って欲しいんだが」

「何でよ?」

「……おい」

「はいはい、タオル使えばいいでしょうが」

 そう言われて手渡される白いタオル。

(実家の父と母よ……俺、金も度胸も無いから風俗は行ったことないけど、本日、ヤバイ病気をもらっちゃいそうです)

「ケンコウホケンカニュウシトケヨ、ドウテイヤロウ」

 耳元で実家のオウムが囁いてくる。弥富は湯船の中でタオルをしっかりと装備し、なるべく長洲の方に前面を向けないようにして立ち上がる。

「あのさあ、せめて後ろを向いておくっていう心配りは無いの?」

「うん、無いの★」

 ちょっぴり楽しそうに返答されちゃった。

 シャアアアアアァァァァァァァ────

 シャワーから噴き出すお湯が弥富の頭を濡らす。

「ところで、さっきの話なんだけどさ」

「話?」

 背後から長洲が神妙な口調で呼びかけてきた。

「禁魚の件」

「却下だ」

 即答。斬り捨て御免だ。

「ちょ、ちょっとッ! 少しは聞いてくれてもいいじゃんッ!」

「あのなあ、アイツ等は電薬管理局の連中に没収されたし、浜松にいたっては得体の知れない外人に拉致されたんだぞ」

「じゃあさ、新しい禁魚を手配してよ。どっかの裏サイトから購入できるんでしょ?」

「無理だな。俺がアイツ等を手に入れられたのは、事前に浜松……いや、深見がポータブルHDに細工してたからだ」

「なら、津軽っていう例のオバサンに頼んで、一匹くらい返してもらう……とか」

 頼み方に必死さを感じるのだが、気のせいか?

「だいたい、禁魚なんかどうするんだよ? ヘタに連中と関わってもロクな事はないぞ。俺が言うから間違いない。ハイリスク・ノーリターンだ」

 弥富の脳内でここ数日の精神的被害がフラッシュバックされる。

「朱文の目を治してあげたいの」

「……正気か?」

 シャンプーで頭を洗う手が止まる。目の前の鏡に見える長洲の表情は、戸惑いと直情が葛藤していた。

「アタシにはもう弟しか家族はいない。だから、せめてアノ子に不自由をさせたくないの」

 弥富に人の言葉の真偽を精査する才能など無い。だが、今の彼女が口にする言葉に嘘は無い……そう思いたい。

(しかし、失明した目を治すなんて可能か?)

 連中は水槽で泳ぐ魚類でありながら、深見の父を名乗る男を殺害した。肉体や脳に何かしら重大な影響を与えるという意味では、もしかすると……。

「なら、こうしよう。禁魚は諦めろ。その代わり、同様の働きが期待できる糸ミミズを紹介してやる。アパートの水槽にまだ居るハズだ」

 年上らしい頼れる事を初めて言った。

「ん……ありがと、ね」

 長洲は急にしおらしくなり、弥富の背中に頬をあてて静かに呟いた。

 むにッ★

(おふッ!?)

 不意に押しあてられた二つの膨らみ。人生初の感触。こりゃあイカンッ! 実にけしからんよッ! 実に……じ……脳内が瞬時にしてホワイト・アウトする。

「ねえ、どうかした?」

「フヒヒwww――じゃなくて、いや、何でもない」

 危うかった。何か得体の知れないトコに引きずり込まれる寸前だった。やはり、JKの攻撃力恐るべし。甘えた声で肉体を武器にしてくるこのパワーは、かの巨神兵にも匹敵する。


女神A「弥富コイツ、腐ってやがる。早すぎたんだ」


 案の定、いつもの幻聴がしているし。

「じゃあ、後でアタシがアパートに取りに行く。その間、朱文と遊んであげてて」

「ああ、引き受けたよ。ここ数日で他人の面倒見るのに慣れたしな」

 空気が変わった。


 <よ~~く考えて選んだモノなら、たとえ予定外の結末に至ったとしても、悔いは無いと思いますぅ> 


 弥富の脳裏に、アンジェリーナから言われた言葉が浮かび上がってきた。

(そうだよな。俺は善い事をしている……間違ってないよな)

 自分から望んだ現状ではなかったが、結果として、人とのコミュニケーションってヤツに触れられた。イイ歳したバカな大人が少し成長したような気がした。


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