第26話旅は道連れ世は正常
「たっだいまあッ! 朱文、ラジオの調子はど……おおッ!?」
部屋のドアが開く。開けた本人は中の様子を目の当たりにし、口を半開きで少々引きつった感じで硬直している。
「あ……(汗)」
ドアの向こうでマヌケな声をもらす弥富。固まったヤンデレコメットの視線が絡む。
「うりゃあああああッッッ!」
ゴッ──!
「ぶべらッ!?」
咄嗟に放たれた蹴りが弥富の顔面にヒットする。
「オ、オ姉チャンッ!?」
すぐ傍で座っていた少年がいきなりのアクションに驚いて立ち上がる。
「ちょ~~っとこっち来てちょうだいねぇ★」
ドス黒い笑顔を浮かべ、ダメージでクラクラしている弥富の襟首をつかむ。そして、自室まで引きずって行った。
ポイッ……
無造作に監禁部屋へと戻された。
「10秒以内にアタシを納得させられる理由を述べよ。い~ち、にぃ~、さ~ん──」
「弟さん、失明してんのか?」
「だから何? 人並みに同情したいワケ?」
彼女の口調から抑揚が消える。
「ラジオがまた調子悪くなったって、俺のところに来たから。でも、御両親はいないって言うし……まあ」
「目の見えない可哀想な少年をいたわって、荒んだ姉の心をサクッと救ったつもりィ? バーカ、バーカ、ぶわァァァァァかッ! リアルはそんなに単純じゃないってのッ!」
そう毒づきながら着ていた学校の制服を荒っぽく脱ぎ始めた。
「あのなぁ、オマエの弟が外から鍵を開けた時点で、俺は外へ逃げられたんだ。折角のチャンスを無視して恩を売る意味なんか無いだろが」
「じゃあ何? 何か別の目的があって逃げなかったって?」
「一つ聞いておきたいコトがある。どうして警察に捜索願いを出さないんだ?」
「……ふぅ。朱文めッ、余計なコトを」
「御両親が蒸発して1ヶ月も経つそうだな。家族が消息不明になったら普通は──」
「黙ってッ! よその家族はよその家族。アンタとは関係ない」
バッ……
そう言って上着を脱ぐ。少々汗で蒸れた若々しい体臭が弥富の鼻腔をくすぐる。
「それに、アタシにはMr.ベッカーがついてる。おかげで暮らしに不自由は無いし、学校生活も問題無く満喫できてる」
普通の女子高生なら決して関わることのない、社会の水面下で蠢く力。それが彼女の本来あるべき正常な精神状態を壊していた。
「やっぱそのベッカーってヤツ、相当怪しいって。何かしら職に就いてる人間が1ヶ月もの間音沙汰無しなら、こっちから通報しなくても警察が動くハズだろ? ってコトはだな、そいつが情報を操作して──」
「うるさァァァァァいッ!」
バサッ!
激昂し、脱いだ上着を弥富めがけて叩きつけた。
「アタシも朱文もちゃんと生きてるッ! 学校は楽しいし、アタシが裏仕事をこなせば大金が振り込まれるッ! 親が消えたからって何よ……気味の悪い心配なんかしないでよッ!」
「じゃあ、弟さんの失明もベッカーってヤツが治してくれるのか?」
「ええ、そうよ。その予定」
彼女は語気を静めスカートを外す。
「おッ……と、と、と」
唐突に真っ白なショーツが視界に入ったもんで、免疫ゼロな弥富は不格好に顔をそむけた。
「朱文は特殊な緑内障を患ってるの。普通は加齢や眼圧や遺伝が原因になるらしいんだけど、弟の場合は偽PDSが原因」
(な、何ッ!?)
イヤな汗が弥富の背中を伝う。
「生まれつき症状があったワケじゃない。つい最近まで普通に目は見えてた。けど、アイツ……アタシに内緒で偽PDSをインストールして、飼ってる猫といつも会話してたの。中毒には個人差があるし、滅多なことじゃ脳に障害は起きないって聞いてたけど」
声が弱々しくなっていく。下着姿になった彼女はヘアゴムで髪を束ね、クローゼットの中からメイド服を取り出した。
「Mr.ベッカーが言うには、遺伝子レベルの問題らしいのよね。失明状態を回復させるには……ええっと、何とか細胞っていうのを使った手術が必要で、まだ実験段階の方法らしくてさ。けど――」
「言う通りに裏仕事をこなせば、手術が受けられるよう取り計らう……どこぞで必ず耳にする小悪党の常套文句だな」
弥富が冷たく言い放った。
「否定はしない。けど、目の見えない息子を置き去りにして蒸発する親より、アタシはよっぽど親切にしてくれてると思う。だから、彼の言う通りアンタを引き渡しの時まで監禁する」
ミニスカメイド服が彼女の肉体を包み、柔軟剤のイイ香りを部屋の中に漂わせた。
「ところでさ、オマエの名前って『
「うん、そう──って、何で知ってッ!?」
弥富の手に学校指定のノートが一冊。名前の記入欄に太い丸文字で書かれた本名。
「せくしゃるはらすめんとォォォォォッ!」
ゴッ……
跳び膝蹴りが弥富のアゴに命中。女子高生の私物を汚い手で触るニートに、物理的な天罰が下りました。
「おうぅ~~(泣)」
痛みに悶える男・25歳。ヒットする瞬間、パンチラが拝めたのが唯一の救い。
「オ、オ姉チャン……居る?」
部屋のドアが半開きになり、朱文がオドオドした様子で声をかけてきた。
「どうしたの? まだラジオの調子が悪い?」
「ううん、ラジオはちゃんと直ったよ。だから、弥富さんに、その……お母さんが人に親切にしてもらったら、必ずお礼しなさいって言ってたから。ありがとうって」
彼は気恥かしそうにそう言った。初めて会った相手への精一杯のコミュニケーション。
「お礼はオ姉チャンから言っといてあげる。お弁当買ってきてあるから食べといで」
「うん、そうする。ありがとう」
朱文は手すりにしがみつくようにして、ゆっくりと階段を下りて行った。
「……だそうよ」
ヤンデレコメット――いや、長洲しるくがブッ倒れてる弥富に言う。
「人から感謝されるのって、ものすごく久し振りな気がする。やっぱ、悪い気はしないよな」
彼は天井を何気なく見つめ、独り言のように呟いた。
ブゥゥゥゥゥン、ブゥゥゥゥゥン──
学校カバンの中からケータイのバイブ音が聞こえてきた。
「はいは~~い、もしも~~し」
長洲はヒラリとミニスカをひるがえし、カバンからケータイを取り出す。
<私だ。弥富更紗の様子はどうだ?>
「Mr.の方から電話してくるなんて珍しいじゃん」
<オマエは攻めには長けているが、繊細で忍耐を必要とする仕事には向いていないからな>
「心配ないって。この家からは一歩も出さない。外部に連絡されないよう手はうってあるし」
<いいだろう。報酬は明日までに振り込んでやる>
「ところでさぁ、うちの弟の目の件なんだけど……」
彼女は弥富の方に一瞥をくれてから、部屋を出てドアを閉めた。
<それは前にも言ったハズだ。ES細胞を使った再生医療はまだ実験段階。臨床試験が行えるようになるには、多額の資金が必要となる>
「なら、ヤバイ仕事は全部アタシにまわしてよ。稼ぎたいの」
長洲の声から真剣さが伝わってくる。
<弟を労わる殊勝な心がけはよしとするが、あまり自分の膂力を過信しない方がいいぞ>
「悪党が人並みに説教するワケ? バカみたい」
<バカで結構。今の社会では、まともな頭の持ち主ではこなせぬ仕事が多いからな>
「ところでさぁ……」
<何だ?>
「ん~~……ううん、いいや。やっぱ何でもない」
<蒸発した両親の件か? だったらまだ新しい情報は入っていない>
Mr.ベッカーは突き放すように答えた。
「あ……そ、そう。うん、分かった……弟に伝えとく」
長洲がケータイを切った。その顔にはあからさまに影が差していた。
(もしかしてさあ……大きい方もコレでしろってか? いや待てッ、肝心の紙が無いし)
トイレ用として渡されていたバケツを見つめ、弥富はどうでもいい葛藤の真っ最中だった。
バタンッ!
長洲が部屋に戻ってきて、バケツと見つめ合ってる弥富を見下ろす。
「条件があるわ」
「は?」
「器の大きいアタシからのサービスよ。今後、Mr.ベッカーが身柄を引き取りに来るまでの間、特別に家の中全ての移動と使用を許可したげる」
「いいのか?」
バケツにまたがるという奇行は回避できたようだ。
「ただし、アンタの禁魚を頂戴ッ!」
「――は?」
弥富の口が腹話術の人形みたいにパカッと開いた。そう、パカッと。
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