第25話あえて言おう! 正常であると!
実動課・検査棟──昼前。
現場検証が続く中、宇野課長にとっては更なるストレスの原因が来訪した。
「これはこれは……『
彼はなんとか愛想笑いを浮かべ、その男性を出迎えた。
「これはまた酷い有り様ですね。海外のダウンタウンならともかく、この国の……しかも、政府の直轄機関がこうもあっさり突貫されるとは」
江戸川室長と呼ばれた30代後半くらいのスーツの男は、慇懃無礼な態度で少し苦笑いを浮かべて言う。
「面目次第もありません。敵はこちらの通信手段を全て無力化し、手早く警備を沈黙させ、対物ライフルで隔壁を突破してきました。相手はカナリの訓練を積んだプロ。しかも、ここの構造を把握していたものと思われます」
「つまり、外部からハッキングをされていた。あるいは、内部からリークした者がいる。そうなりますな」
「それについては調査中ですが、敵の正体はおそらく……」
課長が手近にあった端末を操作する。
「国家調査室よりいただいた不審人物五名の映像記録……プロフィールに目を通したところ、義手と義足を付けている者が一人。私が現場で対峙した五名の中に、明らかに通常動作がぎこちない者がいました。そして、覆面からわずかにブロンドの髪がはみ出していました。映像記録にある一人と確信します」
「なるほど。我々の情報共有が役立ったというワケですな」
江戸川室長が皮肉のこもった声で呟く。
「こちらでも警戒はしておりました。しかし、こうも迅速に事に移るとは思いませんでしたので」
課長の胃袋がキリキリと痛む。
「ところで……彼女は先程から一体何を?」
室長がフロアの隅っこの方を指差して問う。
「……(汗)」
課長は完全に返答に困っている。室長が指差した先では、強化水槽をバックに一人の女性が踊っているから。とってもカラフルでフリルな衣装を身に纏い、クリスマス商戦で処分品になりそうなオモチャのバトンを手にしてる。コンポから流れるファンタジィな曲にのってエキサイティング。彼女の名は津軽六鱗・26歳。悩ましげな腰つき&パンチラで、周囲からの視線が集まって仕方がない今日この頃。
「彼女は実動課のエージェントでして。現在、任務の真っ最中でありまして」
「は?」
室長が目を細めて訝る。そりゃそうだ。仮にもここは政府の役人が多く出入りする情報機関だ。コスプレして愉快に踊るのが何の任務につながるというのか。それでは皆様聴いていただきましょう。禁魚&糸ミミズ&津軽による『ギルティ5』の主題歌──
【
作詞・回収屋
作曲・ポチ
<わん、つー、すりー、ふぉー、ギルティィィィィふぁいぶ!>
(中略)
<大きくなったけど 何にもなれなぁ~~い♪(職安 オッサン いっぱい)>
<両手に履歴書 内定もらえなぁ~~い♪(氷河期 これが 現実ぅ)>
<社会から おっこちたナミダは ニートの 発生前兆だよ♪>
<めたもるふぉ~~ZE~~!(オワタ!)>
<他力本願 無収入ぅ~~♪(朝から晩までネット漬け) 潜むよ がんばる自宅警備員~~♪(両親今日も泣いている)>
<年金もらえない未来へ あすも ひきこもる~~♪>
<ピンチから(オワタ) 底辺へ(マジオワタ) 惰性で変身♪(あるある、ねーよッ!)>
<ギルティ ギッ ギッ ギッ ギュワ(\(^o^)/) 毎日 イエス、廃人!(\(^o^)/)>
<エロゲで ニヤッと笑って
<わん、つー、すりー、ふぉー、ギルティィィィィふぁいぶ!>
「……宇野課長」
「申し訳ありません。これも一応任務の一環でして」
理不尽な思いで一杯なまま謝るしかなかった。津軽が独りで腰振ったり、腕をブン回したりしてる……悪フザケに一生懸命な光景しか室長達の目には映ってない。
「バッチリきまったでえッ!」
片目を閉じて前かがみになり、胸元を強調したポーズのバイオレット。
「ボク……色んなモノを失いそうで怖いです」
「儂もじゃ」
このノリについてこれないチェリーとアイリス。
「おお~~、初めてにしてはサマになっているぞ。オマエには天性の素質が備わっているとみた」
「わ、わたくし、このような辱めを受けては、もう……(涙)」
仁王立ちで指差してくるブロッサムと、顔から火が出かねないくらい恥ずかしがってる新ローズ。
彼等はネットの大海原へ泳ぎ出しているのであり、歌とダンスがどう関係しているのかは不明。とっても洗練されたムダな余興である可能性が9割5分だ。
「何か目新しい情報は拾えたか?」
課長が急かすように聞いてくる。
「何者かが大掛かりなサイバーテロを仕掛けようとしているようじゃ」
土佐が真剣な声で呟く。
「Mr.アストラがもう動いたのかッ!?」
「仕掛けている張本人にはたどれませんでしたが、浜松さんを奪取したタイミングから察するに……おそらく」
郡山が凜とした表情で言った。
「具体的にはどのようなテロかね?」
インカムを装着した江戸川室長が仮想空間に割って入る。
「むむッ、部外者の立ち聞きは禁止だぞ。仲間に入りたければ、人生における黒歴史エピソードを公開するべしぃ」
ポチ、絡む。
「大したハッカーやで。自分で組み上げた箱庭をいじるみたいに、セキュリティホールを巧みに突いてハッキングしとる。そこいらのスクリプトキディとは次元が違うわ」
出雲がムダに戦慄を催させる。
「ターゲットは何だ? 国のインフラを支える機関を攻撃するという情報が、ネットで氾濫しはじめている。そうなれば、事は電薬管理局だけでは済まなくなる」
課長の声が震える。
「ターゲットは『享輪コーポレーション』。ルーターに偽のNATテーブルが設定され、コードが書き換えられています」
郡山が事実を伝えた。
「くッ……インフラへの攻撃予告は陽動だったか」
課長は早速ケータイで管理局に電話する。
「しかし、どうして享輪コーポレーションが? 君達に心当たりはあるかね?」
室長が冷静な声で推測を促してくる。
「最終目的までは分からん。じゃが、これで浜松が拉致された理由が判明したわい」
「浜松? ああ、ここから強奪されたという禁魚か。だが、禁魚一匹とどう関係するんだね?」
「浜やんが言っとったンや。自分は深見素赤っていう人間で、享輪コーポレーションに勤務しとったって。しかも、オリジナルPDSを開発した張本人やって」
「んんッ? いや、ちょっと待ってくれ……オリジナルが享輪コーポレーションで開発されたのは私も知っている。しかし、今の言い方だと、開発者本人が禁魚になったみたいに聞こえるんだが」
「ええ、そういう事になります。いわゆる『生命のデジタル化』というヤツです」
郡山の視線が鋭い。
「はははッ、生命のデジタル化ときたか。確かに理論は私も聞いた事がある。近い将来に実現可能らしいが、公式にも非公式にも前例は無いよ。国家調査室の責任者である私が言うのだから間違いは無い」
彼は苦笑いを浮かべながら一蹴した。
「オリジナルPDSには他の使い道があるンやて」
「ほう。では、人間の意識が魚類の脳内に入力された……そういうワケだ。なら、魚になってしまう前の体──深見素赤の肉体があるハズ。だが、どこの警察機関や情報機関からも、そんな名前の変死体の話は聞いていない」
「室長。残念ながら、コイツ等の与太話が現実味を帯び始めたようでして」
ケータイを手にした課長が横から割って入る。
「……と、言うと?」
「つい先程、Mr.アストラを名乗る男から電話があり、要求を突き付けてきたそうです。<深見素赤の肉体の移譲が速やかに行われなければ、無差別なサイバー攻撃に出る>──と」
「逆探知はッ!?」
「スクランブルのかかった電話からで、発信元は特定できなかったそうです」
「何をしでかそうというんだ……!?」
ついに国が一つ震撼しはじめた。
<クマぁ~~、どうやら、何者かが作戦内容に気づいたようだベア>
薄暗い部屋の中で一台のノートPCから声がする。モニターにはチョーカー付きのクマのヌイグルミが映っていて、デッキチェアにちょこんと座っている。
「と言うと?」
そのモニターを見つめる男が一人。左手に皿を持ち、右手には一本のフォークが。皿の上には焼きたてのホットケーキが熱を発している。
<享輪コーポレーションに施した下準備を、ダレかが覗き見した形跡があるんだクマ>
ヌイグルミが両手をブンブン振り上げながら答える。
「電薬管理局かい? それとも国家調査室かな?」
<おそらくはどちらでもないクマよ。仕掛けてあった攻性ワームをギリギリのタイミングで回避している。これは浜松の御仲間の仕業と推測するベア>
「実動課の連中、禁魚と協定でも結んだかな? ムフフフ★」
男は愉快そうにホットケーキをフォークで刻み、口に運ぶ。
「ムダよ。軽く脅迫したくらいじゃあたしの
部屋の隅にセーラー服姿の少女が一人立っている。その目は不愉快さに満ちており、決して男と視線を合わせようとはしない。
「その言い方だと、君の
「うッ……!」
イヤらしく口元を歪める男に対し、セーラー服少女──浜松は分かりやすく動揺した。
「ある程度の確信はあったのさ。この国で身元不明の遺体、もしくは脳死状態にある肉体の隠蔽が可能な機関となれば、数は限られる。そして、君は電薬管理局と契約し、業務を請け負っていた享輪コーポレーションの元社員。何かしらのコネクションが生じたと考えるのが自然」
<さっすがはMr.アストラ。自宅警備員のムダに洗練された頭脳が冴えわたるゥ♪>
ヌイグルミがバカにするみたいに拍手してる。
「情報機関ってヤツは他人の情報はなにがなんでも手に入れようとするが、自分達の情報は絶対に公開しようとしない。相手が一国の大臣であろうと、頭のイカレたテロリストであろうと、答えは変わらない。<存じ上げません>……だ」
彼は一瞬だけ憂鬱な表情を見せた。そして、衛星電話を手に取りコールする。
<何だ?>
相手はすぐに出た。この声は例の傭兵チームのヒゲオヤジだ。
「新しい仕事を頼みたいんだが、手透きだったかな?」
<今は忙しい。仲間と観光中だ>
「観光? カブキ町で散財するにはまだ時間が早いでしょうに」
<そんな如何わしい歓楽街で遊ぶ趣味は無い。我々はアキバの街で癒されているところだ>
「これはこれは、また意外な」
<噂には聞いていたが、コレが本場のメイド喫茶というヤツか。実に素晴らしい。従業員の女の子達はまだまだ若いのに、立派なプロ意識を感じる>
「ま、アナタ方がその街にいらっしゃるというのは好都合。人間を一人拉致していただきたい」
<魚を一匹強奪しろと依頼された時は耳を疑ったが、次はどんな裏事情があるのかな?>
「その街の一角に、享輪コーポレーションというソフトメーカーがあります。本日、とある人物が特別来賓として訪れる予定です。今からおよそ1時間後に」
<えらく急だな。準備不足なミッションはロクな結果を生まないぞ>
「その分報酬は上乗せしますよ。御土産にメイド喫茶が一軒買えるくらい」
<いいだろう。で、ターゲットは?>
「そちらの端末に人物の行動予定表と顔写真を送信します。拉致完了後は前回と同様の手順でこちらへ送り届けてもらいたい」
<了解した>
彼は通信を終え、満足そうな微笑みを浮かべて衛星電話をテーブルに置く。
「まるで出前だね。自分は家から一歩も出ず、ひたすら他力本願。まさにニートの最悪形態」
憐みに近い目つきで睨んでくる浜松。
「ネットの海へ身投げした君に言われたくはないな」
「アンタ……どこまであたしの事を知ってるワケ?」
浜松が感じる底の無い不安。この男の膂力は得体が知れない。
「深見素赤・25歳。享輪コーポレーションの元特A級プログラマー。電薬管理局からソフト開発を請け負い、オリジナルPDSを開発。ちなみに、ド近眼と貧乳にコンプレックスを抱いている」
「それ以上しゃべんじゃないよプロのストーカーめ。じゃ、ついでにアンタの方も自己紹介しちゃってよ」
「さっき言った通り、『情報機関』は決して自分達の情報は与えない」
「あァ~~ん?」
浜松が眉間にシワを寄せる。
「私が住むこの部屋が次世代の情報機関さ。これからは端末を持つ者全てが情報機関者になる時代。一国の直轄機関だけが極秘情報を隠匿する時代は終了。偽PDSの開発を皮切りに、情報格差をなくしてあげるんだよ。ダレもが正しい情報を得られ、政府の嘘や妄言に騙されない日常を形成してやるのさ」
彼はとても愉快そうに答える。
<プ~~ッ、プップップップッ。いつもながら中二臭が絶えないクマぁ。それでこそ未来を築くに値する狂人だベア>
褒めてるのかバカにしてるのか、プー左衛門は口元を手で押さえて爆笑だ。
「ちょっと尋ねたいんだが、どうして君は弥富更紗にポータブルHDを託したんだい?」
Mr.アストラはテーブルに両肘をつき、両手を組んで神妙な口調で問う。
「だって、大切な友達だったから(ポッ☆)」
「……(黙)」
<……(黙)>
頬に両手をあてて顔を薄らと赤くする浜松に対し、傍観者二名は沈黙でバッサリ。
「ちッ……」
スベった浜松が場末のチンピラみたいに舌打ちしやがった。
「一人暮らしで友達いなさそうで、コミュニケーション能力が乏しい。しかも、他人の言葉を鵜呑みにして疑わず、大して考えもせず、周囲の空気と状況が生み出す惰性で生きている……まずはそんなバカを選定する必要があった。何人かの候補とチャットした結果、最適なバカが弥富更紗だった。だから、あたしは裏サイトで禁魚を購入するよう仕組み、人間の女性としてではなく、魚類としてアイツと直接接触することにしたワケ」
そう言い放った浜松の顔には一片の躊躇も陰りも無く、本心をブチまけて心なしかスッキリとしていた。
「これはこれは、ヒドイ女だよ」
<このビッチめ、人間のクズめ。オマエなんかエロゲの取説以下だクマッ!>
当然の野次だ。
「世界のドコかでダレか一人幸せになるには、ダレか一人不幸にならなきゃいけない。そんなリアルの世界で不条理に泣かされるくらいなら、ネットの海で永久に泳いでいたい。そう思ったのよ。で、ネットの海へ仕掛けた網に更紗が引っ掛かった。それだけね」
彼女の口から吐き出される無情。その呟きを聞いたMr.アストラは素直に納得したような面持ちだった。
「『生命のデジタル化』──ネットの社会構造を知りつくしたハッカーなら、ダレもが夢見る領域。ケガや病気や老いに苦しむ生身の肉体を破棄し、デジタル化された不滅の肉体を得て永遠に生きようとする超理論。浜松、君はまさにその一号となる一歩手前まで来ている」
「ええ、そうよ。でも、残念ながら一号から先はいらないの」
「……いらない?」
彼の顔が曇る。
「ネットの海で生き続けるのはあたし一人で充分。仲間は必要無いってコト」
「何故だい?」
「あのねぇ……世界中の引きこもりやニートをネットの海へ放流したら、クソ溜めみたいなリアルの世界がもう一つ出来ちゃうじゃない。仕事でヘマして落ち込んだからネットの海へ。彼女にフラれて落ち込んだからネットの海へ。消費税の引き上げで生活苦しいからネットの海へ。最後には地球上から人間が消えるでしょうよ」
さすがに極論だが可能性としては決してゼロではない。人は新しいシステムを手に入れると、どうしても試さずにはいられない。己の生活水準の向上につながるとなれば尚更だ。隣人が最新のゲーム機を買ったから自分も同じのを買った。見知らぬラーメン屋に行列ができていたので自分も並んだ。中東の小国で反政府デモが起きたから自分の国でもデモを起こした――要するに、人間は『群集心理』の中で常に生きているのだ。ダレか一人がネットの海で快適な生活を永久に送れると呟けば、情報の精査が緩い者から順に身投げしていく。
<プ~~ッ、プップップップッ。とっても残念クマ。せっかく捕まえた浜松は正反対の考えみたいだベア>
プー左衛門が全自動洗濯機の中で洗われ → すすがれ → 脱水されて。小さなドライヤーで全身を乾燥中。柔軟剤のイイ香りをさせて。
「私はこう思っている。<人間みんな、ネットの海へと消えちゃえ>……って」
彼はホットケーキの最後の一切れを口に放り込み、持ってたフォークを浜松めがけて投げつけた。
「あっそ」
浜松は吐き捨てるように呟いた。額からダラダラと血を流しながら。
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