第17話どうあがいても正常
「経過報告を、『Mr.ベッカー』」
一人の男がノートPCのモニターに話しかける。
<期限までには確保できる。問題は無い>
モニターの中年男が機嫌の悪そうな声で答える。
「結構。では、『Mrs.フェリックス』。計画の進行具合は?」
男が別のモニターに話しかける。
<予定の頭数は揃ってるよ。少々予算をオーバーしたけどね>
艶やかな着物を纏った淑女が、水タバコの煙を燻らせる。
「首尾良く運べばいくらでも補填できる。不満をこぼすヤツがいれば、札束ではたいてやれ」
男はそう言ってイヤラしく微笑んだ。
<ところでぇ、『Mr.アストラ』。深見素赤の肉体を確保する件について──>
変な訛りのある声。モニターには可愛らしいクマのヌイグルミが映っている。
「そちらは心配ない。君は今まで通り、ネット環境の安全確保に努めてくれればいい」
<はいぃ、了解したクマ>
「では、各自怠り無きよう」
フッ――
全てのノートPCが落ちた。
「ええっと~~……何で?」
弥富は首を90度近くまで傾けながら呟いた。茶髪のショートボブに麦わら帽子を被り、可愛らしいワンピースを着た5、6歳くらいの幼児が、椅子にチョコンと座っている。
「痴れ者めッ、ポチを甘く見るでない。水槽の中をよ~~く観察するんだぞ」
水槽を? ……あ、そうか。コイツってば、禁魚じゃないんだった。まだ濡れている水槽の隅っこに、ウネウネしている生き物を発見。そう、『糸ミミズ』だ。
(面倒なコトになったなあ)
ポチという自虐チック幼児が現れてしまったという事は……マズイ。うちのネット環境って、実動課に遠隔制御されてるってのに。
「津軽さ~~ん、大変ですッ! 実動課の人にちょっと言い訳させてくださいッ!」
バタンッ!
「何事ですのッ!?」
大量の湯気を身に纏い、UBから全裸の津軽が飛び出してくる。
「ストップ・ザ・交通事故ッ!?」
あられもない登場シーンに、弥富は意味不明な言葉を叫ぶ。
「おお~~、童貞の妄想力がついに現実のオンナを作りだしたぞ。よくぞ己をここまで磨き上げたな」
ポチから御褒めの言葉を賜わったけど、コレは実物です。エロス降臨です。
「つ、津軽さんッ……ちょ、まずは服をッ……!」
人生初の若い女体を前にして、無残に慌てふためくばかりだ。
―――――――――― 生着替え中 ――――――――――
「……と、いうワケでして」
事のあらましをかいつまんで説明し、弥富が申し訳なさそうに正座している。
「おっす、ポチだぞ。趣味は捕食されること」
「なッ……!?」
インカムを付けた津軽の前に見知らぬ幼児が出現し、思わず彼女は身構えた。
「緊張することはないぞ。苦しゅうない。さあ、膝の上にでも乗せてみるといいぞ」
「アナタは本当に糸ミミズなんですの?」
「その通りだあ。生態系の最下層辺りを生きる、可哀想な身の上なんだぞ。だから、水槽にもう少し新鮮な水を足して欲しい」
「え、あ……はい。分かりましたわ」
津軽は街で買ってきた天然水を注いでやった。
「おお~~、自然の恵み的なモノが体を癒してくれる~~☆」
ポチ、御満悦。
「あ、そうだッ! 実動課の課長さんに俺から説明させてくださいッ! 今回のPDS使用はちょっとした事故で、犯罪的な意図があったワケじゃあ――」
「その件でしたら問題はありませんわ。ネット環境の遠隔制御は、外部からの不正侵入やサイバーテロなどを回避する防衛措置です。プライヴェートが筒抜けになっているワケではありませんわ」
「そうなんですか?」
弥富が間抜けな面で聞き返す。
「管理局はネットを常時監視しなければなりません。重大事件とはいえ、一個人の回線を24時間見張る程の余裕はありませんことよ」
津軽はさも当たり前のように言った。
「なるほど。だから、あんな物をダウンロードしても平気だ……った……あ」
「?」
しまったッ! デスクトップでエロゲが起動したまんまだッ! 今はスクリーンセーバーで映像と音声が隠れているが。
「どうかされまして?」
「あ、あの……俺、ちょっとコンビニ行って来ます」
「そうですか。では御供致しますわ」
よし。まずは津軽をデスクトップから遠ざけるんだ。
(ポチ、後の処理を頼むぞッ)
ウインクする弥富。
(任せるがいい、クソ野郎)
親指を立てて笑顔を返すポチ。
バタンッ
玄関戸が閉まってポチはポツンとお留守番。
夕闇は漆黒となり、仕事帰りの通行人が寂しく歩く道に弥富と津軽が。コンビニには一応向かってはいるが、特に目的は無い。そして、話題も。
「津軽さんは禁魚について何か知ってますか?」
唐突にその話題をふった。あまりに知らない事が多いのも事実だ。
1.『禁魚』は『金魚』を人為的に変異させて造られた、実験動物の一種である。
2.当初は、精神病患者に使用するドラッグに加工するのが目的だった。
3.魚類にはあり得ない知能の高さが確認された。
聞いたのはこれくらい。
「わたくしが聞いているのは、禁魚とPDSを決してオンラインで使用してはならない……という事だけです」
その理由は弥富も知っている。中毒性や依存性が異常に高くなり、使用者をネットが構築した仮想空間から出られなくする。
「でも、ソレは偽PDSを乱用した場合ですよね? 実際、俺はオリジナルで禁魚と随分コンタクトをとりましたけど、特に病的な症状は出てませんし」
「いいえ。オリジナルにも高い中毒性はありますわ。ただ、影響の及ぶタイミングや度合いには個人差がありますの。管理局が最も懸念するのは、オリジナルから容易に偽物がプログラム出来てしまう点。偽物の方は個人差など殆ど無く、万人に等しく高い中毒性をもたらします。実動課は現在、とある人物を指名手配してますの」
「指名手配って……ネット内では何も」
弥富がたじろぐ。
「公的な捜査ではありません。警察機関の手は借りず、独自の調査を続けております。その人物の名は『Mr.アストラ』。近年多発した偽PDS氾濫騒動の火付け役と目され、多種多様なモデルを作製し、短期間で莫大な利益を上げてますわ」
「人物の特定なんて可能なんですか? 偽PDSを扱っていたハッカーなんて腐る程いたと思うし」
「そのハッカーにも一定のランクがあります。『親』と『子』と『孫』。『孫』は既製の偽PDSを単純に複製して自ら使用したり、売却して小銭を稼ぐ小物のハッカー。『子』は
「基本的な質問なんですけど、PDSみたいにダレでもネットで共有できたソフトって、厳重にプロテクトがかかってるんじゃ?」
「ええ、複製防止用ガードが幾重にもかけられてますわ。一個人でガードを解除するのはまず不可能。管理局は内通者の洗い出しも並行して実施してますわ」
重たい空気になってしまった。弥富なんかは、『孫』に位置するハッカーからオモチャを安く与えられ、良い気分になっていた底辺のネット利用者。
(浜松はサーバー室で何を見せたかったんだ……?)
彼女は自分が深見素赤であり、オリジナルPDSの所持に相当なリスクを感じていた。『敵』に狙われていると……そして、実動課の課長が言っていた匿名の情報提供というのも気にかかる。
「弥富殿、コンビニエンスストアに到着致しましたわ。買い物を済ませましょう」
「あ……」
考え込んでいて時間稼ぎの件を忘れていた。こうなったら聞くっきゃない。ヘタに後でバレたら余計に気まずいし。
「津軽さんは小さな男の子好きですか?」
「ええ、大好きですわ」
「……それは、弟を可愛がるような感覚ですよね?」
「いいえ、恋人感覚ですわ」
「……津軽さん、ショタコンって言葉知ってます?」
「いいえ、存じ上げません」
「……津軽さん、青少年保護条例って知ってます?」
「いいえ、存じ上げません」
――――――――アウト。
コンビニの店員さん、よろしければ防犯用のカラーボールを俺にください。今なら魔球を投げられそうです。
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