第14話すべては、お客様の「正常!」のために

 カァカァ、カァカァ

 カラスが鳴いている。新しい朝がやってきたワケだ。これが都会の世知辛い朝。ニワトリもスズメもいない。彼等によって生ゴミが荒らされる瞬間から、俺の住むアパートでの朝は始まる。

(……ん?)

 デスクの椅子に腰かけた人物が一人。そうだ……『彼女』が居たんだった。昨晩から俺の身に降りかかった罰ゲームの一種だ。<綺麗なオ姉サンと一晩過ごした>――そう言えば、世の童貞共はあらん限りの妄想をフル活用するだろうが、決してハートがときめく事はない。俺はしばらく寝付けず、床でキチンと正座して監視(?)する津軽さんは、まるでオブジェみたいに微動だにせず佇んでいた。本当に怖かった。眠気に誘われて目を閉じたが最後、永眠させられるんじゃないかと錯覚するぐらいだった。

「あ……オハヨウごさいます」

 弥富が弱々しい声で挨拶する。

 ガタッ!

(えッ――!?)

 津軽はビクッと全身を小さく震わせ、デスクトップの主電源を素早く押し強制終了させた。

「はい、おはようございます(汗)」

 微妙に引きつった笑顔で御挨拶。彼女にとって何か不都合な事が起きたみたいだ。

「あの~~、何をされてたんですか?」

「先程のは実動課への定期報告ですわ。何も問題はありませんことよ」

 いや、見るからに挙動不審ですよ。けど、深く追究して余計な火の粉はイヤなんで、頭の中のメルヘンボックスにでも片付けておこう。

「ずっと起きてたんですか?」

 もっともな疑問だった。監視役は彼女一人だけ。24時間体制なのだから、睡眠中の弥富を護衛するのも彼女一人なワケで。

「ええ、今は『無睡眠期』ですので」

「は?」

 妙な事を言い出した。

「脳髄が先天性の奇病を患っておりまして、『睡眠期』に72時間眠り続け、『無睡眠期』に72時間覚醒している生活ですの」

「えッ、体は大丈夫なんですか?」

「中枢神経の遺伝子異常を手術と薬物療法で抑制し、致命的な障害への発展は避けられてますので」

「そうですか……」

 朝一番で重い話を聞いてしまった。本人は軽く苦笑いしたりしているが、俺なんかが気軽に干渉したりできる人生ではない。本日はあまりイイ一日にはなりそうにないな。

「では、弥富殿。今日はドコかへ外出される予定などはありまして?」

 一人暮らしのニート野郎に一日のスケジュールなどない。

「まずは何か食べたいです」

「分かりましたわ。では、支度が出来次第アパートの前までおこしくださいな」

 弥富は簡単に外出の準備を済ませ、アパート前にある月極め駐車場まで行ってみた。一台のジープの前に津軽が立っていた。まさかの送迎車だ。

「わたくしが運転致しますので、目的地をおっしゃってください」

 一気に生活水準がレベルアップした。

(ふ~~む、目的地か)

 残念な事に、弥富の社会的なキャパは貧困そのもの。

「アキバの街まで御願いします」

 彼はバカの一つ覚えの如く答え、車に乗り込んだ。


「気のせいでしょうか、男性の通行者ばかりですわね」

「いや、気のせいじゃないです。リアルです」

 弥富が申し訳なさそうな声を漏らす。彼等はアキバ駅前のコインパーキングに車を停め、周囲をキョロキョロしていた。

「とにかく行きましょう。ここって駐車料金カナリ高いですし」

「心配ありませんわ。実動課より特別予算が組まれておりますので、金銭的には余裕がありましてよ」

「えッ、そうなんですか?」

 いまいち事件に巻き込まれた感が薄弱だったが、自分みたいな社会の底辺一人に、情報機関が予算を捻出してくれたなんて……いや、別の言い方をすれば、今回の事件の重要性や危険性が高い事を意味している。

 二人が大通りを歩き出す。この街ではカップルの楽しそうな往来は御法度。これ、暗黙の了解。なのに、こんなカップルはいかかでしょう。

 男性=使い古された半袖Tシャツ・ヨレヨレの短パン・いつ洗ったか覚えてないスニーカー・戦利品収納用リュック。

 女性=シワ一つ無いブランドスーツ・ピッカピカのピンヒール・瀟洒なクラッチバッグ。

 事情を知らない連中が見れば、キャッチセールスに捕まったバカ一名連行中。そんな風にしか見えない。

「あ、津軽さん。ここに入ります」

「ここは何の御店ですの?」

 彼女には周囲の光景やら空気全てが初体験で、メイクの濃い瞳がやたらと動いている。

「ファミレスです」

 弥富は独りでも平気でファミレスに入る。カップルや子連れの家族達ファミリーが笑顔で食事を楽しむ中、ドリンクバーだけで数時間過ごせられる。そんな常連である彼を長年見てきたウエイトレスは言う。<アノお客さん、去年のクリスマスから年末年始にかけて、ほぼ毎日独りで来店されてました。正直、涙で会計伝票が見えなかった日もありました>……と。

「さぁ~~て」

 自分の縄張りに腰を据え、弥富は安心感で顔がほころぶ。まずはやっぱりドリンクバー。

「…………」

 メニューに目を通す津軽が何か困惑している。

「弥富殿、ここは本当に食事のできる御店なのでしょうか?」

「はい。ファミレスなんで」

 当然のように答えるが、彼女の方はメニューを睨みつけて首を傾げてる。

「ファミレス、初めてですか?」

「ええ。わたくし、外食は緊急時以外しませんので。しかも、これほど多人数が同じ空間で食事をとる場所など、任務の際ですら入った事がありませんの」

 本当にいるんだ、こんな人って。やはり、食事一つとっても一般人とは違う。

「じゃあ、俺が適当に津軽さんの分も注文しちゃいますね」

「ええ、御願いしますわ」

 顔見知りのウエイトレスに一通りの注文を済ませ、席を立つ。全く勝手の分からない津軽に代わって、ドリンクバーの飲み物を取りに行く。

(やっぱ、完璧な人間なんていないよな)

 軽い安心感みたいなモノを感じて微笑んだ。最初は自分との社会的立場の違いに萎縮した。生まれつきの機能障害ハンディキャップを持ちながらも、懸命に任務に準じる彼女の姿勢には畏怖の念すら覚えた。が、人は決して万能には出来ていない。どれほど些細な欠点であっても、その存在こそが人間らしさを定義する。

「おッ……」

 席に戻ろうとした際、弥富が目にした光景――向かい側の席で食事を楽しむ家族と、その様子を何か気持ちの良さそうな笑顔で見つめる津軽。ドコにでもいそうな夫婦と、小学生くらいの可愛らしい男の子が談笑している。実に他愛無い光景。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 彼女の前にコップを差し出す。少しハッとしながらコップを手に取り、中身をしばらく見つめたりする。父よ母よ、俺、もしかしたら初の女友達が出来そうです。

「チョウシニノルナ。クソガ」

 オウムの幻聴はやっぱ聞こえちゃうんだけどね。


 ファミレスで朝食兼昼食を済ませ、日用雑貨の買い出しを始める。弥富の傍らには津軽が毅然として立っている。

「今のところ、物理的な脅威は発見されていませんわ。ただ、あまりに人間の密集度が高いため、カナリの集中力を要しますわね」

(津軽さん……キョロキョロし過ぎです)

 上京したての田舎者が、明らかに勘違いをした服装で観光に臨んだ。そしたらこうなった的な……外野からはそう見てとれる。しかも、眉目秀麗とまでは言わないにしろ、この界隈ではまずあり得ないメイクと空気を醸し出してるもんで、傍らを通り過ぎていく男共が、これまた振り向くワケだ。尽く。

「あ、ここです。津軽……さん?」

 大型量販店に入ろうとした弥富が目にしたのは、DVD専門店舗のCM用モニターに釘づけになっている津軽の姿。口を半開きにし、ポカ~~ンとしている。

(何だ?)

 カルチャーショック的な事があったのだろう。この街全体が一般人にとっては異文化発信地みたいなもんだし。

「どうかしました?」

「え、あ……いえ、なんでもありませんわ」

 とっても愛くるしい柴犬の子供とじゃれ合う少年・少女達の映像。もうすぐ発売する邦画DVDの予告だった。

(へえ、犬好きなんだ)

 弥富は思わず頬が緩んでしまった。一つ世間話のネタができてなんだかホッとした。

「では、迅速に買い物を終わらせましょう」

 日用雑貨や消耗品が一通り揃っていて、野郎の一人暮らしに必要な物は大抵がまとめ買いできる便利な店。

(箱ティッシュにトイレットペーパー、洗濯洗剤に……おッ!)

 物色する弥富の手が止まる。家電製品のコーナーの片隅、彼の視界に映ったのは『インカムα・βセット』。PDSの使用が違法とされ、刑罰が適用される現在、販売しても仕方のない物だ。が、インカム単体なら購入も所持も違法に当たらないため、在庫処分に困った業者が、量販店にタダ同然の値で卸すケースは珍しくない。

(よし、買ってしまえッ)

 チラッと津軽の方を盗み見る。持っていた箱ティッシュで陰をつくり、インカムを手に取った。アパートに帰っても禁魚は一匹もいない。なのにどうしてそんな衝動に駆られたのか……分からない。

「津軽さん、欲しい物は全部買ったんで行きましょう」

「はい、了解しましたわ」

 買ったインカムをポケットに仕舞いこみ、量販店から出る。少々気まずいが違法じゃない。そう自分に言い聞かせるだけだ。

(さてと――)

 弥富は駐車していたジープに荷物を置き、周囲を見渡した。自分のようなプチアキバ系が戦利品の一つも無しに帰るワケにはいかない。

「津軽さん、自由行動とっていいですか?」

 男・25歳、無職。子供みたいに微笑んでウキウキしている。世間様から言わせれば、実に始末が悪い人種だ。

「いけません」

 即、却下。

「街を巡回する事自体に制限はつけませんが、わたくしの任務はあくまで監視と護衛。御忘れ無きよう」

「いや、あの……しかしですねぇ」

 今から行こうとしている店舗に女性同伴で入るのは、セクハラ行為に近い。色々と18禁な広告が貼られてたり、ピンクなボイスが流れてたりするもんで。ええ、はい、エロゲの専門店ですよ。野郎のオタ汁100%の病巣ですよ。人格を疑うのなら、さあ、疑え。 

「ん……?」

 津軽が何かに気付いた。店のジャンルとかとは関係ないを。

「弥富殿、入りましょう」

「えッ、あ……はい?」

 彼女は弥富の腕を引っ張って雑居ビルの中へ。その直後、どこからともなく業者の制服を身に付けた男達が現れ、ビルの正面出入り口と裏口に通行止めの看板を設置し、門番みたいに両脇に立った。無表情で一言も発することなく、静かにソレは行われた。その光景がいつも通りであるかのように。

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