感染《インフェクション》

第12話きれいなお姉さんは、正常ですか?

「諸君、残念ながら目標の回収は失敗に終わった」

 一人の男性がノートPCのモニターに向かって呟いた。

<失敗? プロの傭兵に整形手術までさせたと聞いたが>

 別のモニターから声が返ってくる。

「ああ、そうだ。肉親や周囲の知人に違和感を持たれぬよう、数ヶ月かけて訓練もさせた」

 薄暗い部屋の中、男性は三台のカメラ付きノートPCに囲まれ、椅子に腰かけている。

<まさかの失態だねえ……当局に嗅ぎつけられるのは時間の問題かしら?>

<それより、この計画に出資した分を迅速に回収せねば>

<事が表面化する前にぃ、身辺整理を進めた方がいいかもしれないクマ>

 各ノートPCのスピーカーから不平不満が飛び交いだす。

「諸君ッ、まだ計画は終わっていないッ!」

 男が俯きながら一喝すると、各自が声を潜める。

「『深見・父』との連絡が途絶し、行方不明なのは認めよう。だが、当局に拘束されているとしても、我々の関与に繋がる情報は与えていないし、偽の個人情報は一通り設定済みだ。次の計画に支障は無い」

<次の計画? 予備プランがあったなど聞いてなかったが>

 一人が不愉快さをあらわにする。

「黙っていた事は謝ろう。大事の前の情報漏洩を避けたかったんでね」

<我々の出資が無駄にならない保障は?>

「物的な提示を今すぐしろと言うのなら無理だ。これまでと同様、私の言葉を信じてもらうしかない」

<……いいだろう。で、計画の内容は?>

「享輪コーポレーションに潜伏させた内通者によると、オリジナルPDSは電薬管理局の実動課に回収された。この件で当局のメインフレームは一層強固な防火壁ファイアー・ウォールで守られ、外部からのハッキングは十中八九不可能。となれば、別の人間に仕事を請け負ってもらうまで」

<別の人間? 実動課に内通者はいないハズよねえ>

「連中は深見素赤の捜索も並行して実施している。ある程度真相が露呈してしまえば、アノ女はイヤでも動かざるを得なくなる。そこを我々が利用する」

<深見素赤? ヤツは死んだと聞いているわ>

<確かにぃ。こちらでも裏をとったクマ>

「いいや、アノ女は生きている。まあ、厳密には『人間』として生きているワケではないが、ヤツは死亡証明書と戸籍データを改ざんし、身を隠しただけだ」

<それが事実だとしてぇ、どう利用するんだベア?>

「保管されている深見素赤の『肉体バックアップ』を奪取する」

 男は口元を歪めながらそう言った。



 弥富更紗は戸惑っていた。西日がギラつく炎天下の中、自分の背後をずっと女が一人追跡しているから。紺のフォーマルスーツ姿で、この暑さにも関わらず両手には真っ黒な皮手袋。パンダ目気味のやたらと濃いアイシャドウが特徴的で、黒髪のポニーテールを揺らし、一言も発することなく機械みたいに正確に距離をとって歩いている。御近所の奥様方から「まあ、不審者よッ」と声がするのは時間の問題だ。

(俺、どうなるんだ……?)

 また襲撃される可能性が高いだって? どう転んでも絶望しか見えてこない。父よ母よ、実家で飼ってるオウムよ。人生を惰性で過ごす息子を御許しください。後、米でも送ってください。反省して自炊します。

「ロクデナシ。ミズデモノンデロ」

 またしてもオウムの幻聴がした。たまには実家に帰れという、天の軽い啓示なのかもしれない。で、そんな物思いにふけってる間に、自分のアパートに到着した。

「アイツ等……」

 四つの水槽がポツンと残され、エアレーションの泡の音だけが寂しく耳に届く。弥富は少しの間、何も出来ぬまま立ち尽くした。わずか数日の事ではあったが、禁魚達の言動が彼の脳裏を駆け巡った。

(ん?)

 ふと後ろを振り返ると、さっきまでいたエージェントの姿が消えていた。

「ふぅ」

 玄関戸を閉めて軽く溜息をつき、デスクの椅子に腰かける。

(こんな事になるなら、PDSのバックアップをとっとくべきだったな……)

 残念そうに目頭を押さえ、デスクトップを立ち上げた。

 ポ~~ン♪

 モニターに展開するファイルが一つ。やたらとメモリを使用しているが……何かダウンロードしてたっけ?


『発行元――電薬管理局・開発課』 『名前――PDS』


「なんですとッ!?」

 弥富、絶倒。あまりの不意討ちに開いた口が塞がってくんない。

(い、いつの間にッ!?)

 バックアップのための操作をした覚えはない。自動でコピーを作成する仕様なのか? とにかく落ち着け。耐震強度不足なハートが今にも崩壊しそうだ。タイミング良く監視役のエージェントはいない。よし、今すぐ外付けのHDにコピーだ。

「いや、待てよ」

 彼は水槽の方に振り返る。そうだ……禁魚達は没収されたんだった。インカムならアキバの中古屋ですぐに手に入るが、話したい相手はもういないんだった。

(風呂でも入るか……)

 バサッ――

 UBの扉を開け、服を脱いで洗濯機に投げ入れる。シャワーを浴び、汚れと煩悩の残り香を洗い流すとしよう。そうやって明日も惰性で生きていこう。

 カチャ

(んッ?)

 音がした……ような気がした。

 カチャ、カチャ

(んんッ?)

 ハッキリと聞こえた。UBの外からだ。玄関戸からか?

 ガチャガチャッ! ガチャガチャッ!

(うおッ、何だよッ!?)

 玄関戸の鍵をダレかがピッキングで開けようとしている。電薬管理局が言っていたが、言ったその日に現実のものとなった。マズイ。こっちは丸腰……って言うか丸出しだ。しかも、逃げ場は無い。

 カチャン……バタンッ!

 鍵がこじ開けられ、玄関戸が閉められる音がした。明らかに外からの不法侵入者だ。こんな時に監視役はドコ行きやがった!?

「……ッ」

 現状の弥富に出来るのは、その場に立ち尽くして息を潜めることぐらいだ。1LDKの狭いアパート、目標を探し当てるのに時間はかからないだろう。

 ガッ――

 UBの扉に手がかけられた。後は軽く引っ張ってしまえば、怯えて身動き一つとれない全裸の弥富と御対面だ。


「――――ん?」

「よし」


 …………って、おい。容赦なく開けられた扉の向こうに、エージェント・津軽が立っている。色々とツッコみたい箇所はあるけど、とりあえず閉めていただけますか。俺って今、入浴中ですよね? 分かりますよね? 何でこっちをジッと見つめていらっしゃるのかな。コレってれっきとしたセクハラに認定されるよね。

「ちょっとおッ!」

 弥富が顔面を真っ赤にして身をよじる。

「心配せずとも安全を確認しているだけですわ」

 彼女は大したリアクションも無く、淡々とそう答えた。

「いや、あの……とにかく閉めてもらえますか」

 他人様に見せられる肉体美は持ち合わせちゃいない。

「そうですか。では、わたくしはリビングで待機していますわ」

 ――バタンッ

 扉が閉められる。

(まただよ……また変なのが増えたよ)

 弥富更紗、25歳にして何か大切なモノを凌辱された……そんな気持ちで一杯になった記念日。


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