実行《エンター》
第5話そうです、私が正常なオジサンです
幼少時代、物心がついたばかりの弥冨は、夜店で買ってきた金魚をニヤニヤしながら見つめていた。袋の中で小刻みに泳ぐ彼等を見ていると、言葉では表現できない楽しさがこみ上げてきた。家に帰って水を張った洗面器に金魚を放った。彼等は狂ったように泳ぎだし、とても嬉しそうだった。翌日……金魚は全滅していた。子供だった弥富の心に小さな虚脱感が生まれ、ただ一言……
「死んだ」
と、小さな声を漏らした。ペットを失ったという感覚ではなく、『死』という事実を確認し終えた事務的なリアクションだった。彼は死因が解らないまま、毎年夏になるとどこかで金魚を手に入れては見殺しにしていった。そして、現在――
「絶対俺の番だ……絶対俺の番だ……!」
弥富はベッドの中でブツブツ呟いていた。外は雨。正午をまわっていたが、心がだるくて動きたくない。見殺しにしていった金魚達の悪夢に一晩中うなされた。
(関わりたくない、捕まりたくない、死にたくない)
憂鬱過ぎる……はッ、まさかッ! これこそがPDSのもたらす副作用なのかッ!?
「よし、今できる事をしよう」
一人でも出来る事を思いついた。彼は四つの水槽に
(深見、君は関係ないよな?)
ポータブルHDのアーカイブを開く。そこにはオリジナルPDSが。
「やべぇ……本気にしてるよ、俺」
浜松が口にした『陰謀』という陳腐な二文字に影響された。いいか、冷静になれ。フィクションと現実の境目をしっかりと見据えろ。そうすれば杞憂は消える。深見は偽PDSとは何の関わりあいも無いハズだ。そんな悪辣な女性であるワケが──まあ、何故か浜松と同じ顔なんだけど。
ピンポ~~ン♪
チャイムが鳴った。友達も彼女もいない一人暮らし野郎を訪ねてくる連中は、だいたい相場が決まっている。テレビを持ってなくてもやって来る公共放送の集金とか、神様の声が聞こえちゃう残念な輩くらいだ。
ガチャ……
面倒臭そうに弥富が玄関戸を開ける。
「あ、どうも……こんにちは」
ドアの向こうには知らないオッサンが立っていた。スーツ姿で痩せ型の、ちょっぴり顔色がよろしくないオッサンだ。
「弥富更紗さん……ですよね?」
オッサンは申し訳なさそうに微笑んでペコリとおじぎする。
「あ、はい。どちら様ですか?」
「わたし、素赤の父です」
思い出した。葬式の時、遺影の前で泣き崩れていた男性だ。しかし、どうして目の前に?
「実は、娘の遺品を整理していまして。このようなモノを見つけたんです」
そう言って彼は一枚の紙キレを取り出し、弥富の前で広げた。
「あ……」
思わず声が漏れる。深見が弥富あてに郵送したDMのコピーだった。
「パソコンに残っていたアドレスからここの住所を知りました。この手紙によると、弥富さんに何か大切な物を渡したみたいなんですが」
「え、あ……はい」
マズイ。どうやらポータブルHDの事は知らないようだが、このまま素直に返却して中身を確認されたら、通報される可能性もある。今やPDSの犯罪性は周知の事実。
「よろしければ見せてもらえませんか?」
「え、ええ……どうぞ、あがってください」
ここでヘタに追い返したら余計な疑いをかけられる。弥富は素直に応じた。
「コレは?」
四つの水槽に占拠された狭い部屋を見て、深見・父が立ち止まる。
「あの、コレのことです」
水槽で泳ぐ禁魚達のコトには触れず、弥富が差し出したのは一枚のDVD。彼は条件反射的に嘘をついた。
「わたしはパソコンはあまり詳しくないのですが、中身は?」
「一応見ましたけど、暗号化されていて検討もつきませんでした」
こうなれば嘘をつき通すしかない。
「そうですか。あの、なにぶん娘の遺品ですので、返してもらってもいいでしょうか?」
「分かりました。ちょっと待っていてください」
中身はネットで拾った普通のISOイメージだ。いくらPCに疎いオッサンでも、中身を見られたらバレる。
(とりあえず、ソレっぽいモノを入れとけば……)
海賊版OSを空のDVDに記録し始める。
「4、5分で終わりますから」
懸命の愛想笑いでこの場をしのぐ。
「そうですか。御手数をおかけします」
深見・父は今にも泣きそうな面持ちで頭を下げた。何だかやり切れない。娘の遺品と信じこませ、このまま適当にあしらっていいものか? 我が身の安全と引き換えに嘘をつき通してもいいのか?
「弥富さんは、その……娘とは親しかったんですか?」
「いえ、そういうワケでは。チャットでならよく話をしてました」
「そうでしたか。娘はひどく人見知りで、あまり外に出て遊んだりはしない内気な子だったんです。そのせいか、父親のくせに知らない事が多くて」
「そ、そうですか」
やめてくれ。自分の行為にどんどん罪悪感が募ってしまう。
「一つ聞いてもいいですか?」
弥富は申し訳なさそうな表情で深見・父に向き直る。
「何でしょう?」
「素赤さんの……その、死因とかって分かってるんですか?」
死して発生し始めた彼女に関係する数々の謎。その一つでも解決したい。
「医者からは心臓発作によるものとしか……ハッキリした死因は未だに不明なんです。妻が見つけた時には、パソコンの前で倒れていたらしいんですが、警察はまともな現場検証もしないんです」
や、やべえ……浜松の言う『陰謀』なんてのが現実味を帯び始めた。
「もし、死因がハッキリ分かったら、教えてもらってもいいですか?」
「え、あ……はい。しかし、どうして?」
「彼女の仇を討ちたいんです」
「――え?」
深見・父は目が点だ。
「つ、つまり……死因が不明ということは、何か疑わしい点があるんじゃないかと」
「何か御存じなんですかッ!?」
「い、いえ、そういうワケじゃないんですが。死んだ友人のために何かできればと」
言った。こればかりは決して嘘ではなかったから。毅然とした態度で言ってやった。
「ありがとう。本当にありがとう……」
深見・父はうつむき、己の手で両目をグッと押さえた。
「えッ?」
「い、いや……すみません。娘のことを考えてくれる人がいて、とても嬉しくて」
やめてくれ。これ以上の罪悪感は背負えない。
「じゃあ、コレを」
記録し終えたDVDがHDから取り出される。
「はい、ありがとうございます。本当にありがとう」
感涙にむせぶ深見・父は弥富の手を取り、心からの感謝の意を述べる。
(ごめんなさい……本当にゴメンナサイ)
コップ一杯に溜まった罪悪感が、表面張力の限界を越えそうになった。弥富は心の中でひたすら謝るしかなかった。深見・父の顔を直視できない。頼むから早く帰って――
――カコンッ
床の上に何かが落ちて乾いた金属音が聞こえた。
「――ッ、うわッ!?」
思わず向けた視線の先には、おびただしい量の白煙を吹き出す金属の筒が。突如起こった異常事態に、深見・父へと目をやる。
―――――――――――― ガスマスク? ――――――――――――
異変。異変。異変。
「かはッ――!」
ものすごい勢いで体中の神経が虚脱し、口から魂がこぼれ落ちそうな気分の悪さに苛まれ、弥富はその場に崩れ落ちた。
ゴトッ……
ガスマスクを装着した深見・父は、デスクの引き出しからポータブルHDをつかみ出した。
「あ……あ、うッ……!」
弥富は何が起きたか全く把握できぬまま、ただ微かな呻き声をあげるだけ。意識はハッキリしている。目も見えている。が、まともに声が出せず、指一本も動かせない。そんな状態の彼の傍らで、深見・父はスーツの内ポケットからケータイを取り出した。
「回収した。今から確認する」
<了解だ>
ダレかと連絡を取りつつ、デスクトップにつないでアーカイブを開いた。
(どうなってんだよ……!?)
現状の把握どころではない。人生において全く縁のなかった暴挙に巻き込まれている。
「本物のようだ。処分するか?」
<いや、そのまま持ち帰れ。それと、禁魚は生きているか?>
「ああ、元気に泳いでいる」
<なるべく情報が欲しい。PDSを使って禁魚達から聞き出せ>
「飼い主の方はどうする?」
<ガスの効果は30分程ある。撤退した後、警察に通報しておけ。禁制ペットの所持、及び飼育で確実に現行犯だ>
「了解した」
深見・父はガスマスクを外し弥富に一瞥をくれると、蔑むように口元を歪めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます