第九幕

 浴衣姿のヒビキは縁側に腰を下ろすと、蒼い夜空を見上げた。

 白銀の三日月が浮かんでいる。

 星々が瞬きながら天の川を漂っている。

 夏の風に乗って鈴虫の音色が耳に届く。

 数分のようにも数時間のようにも感じられた、昼間の出来事が頭の中をグルグルと駆け巡る。

 現実離れした光景に、ただただ呆然と見ている事しか出来なかった。

 あの時のお爺ちゃんは、私の知らないお爺ちゃんだった。



 シグレは、カイトから注意をそらさずに腰帯から吊り下げているヒョウタンに手をかける。

 ヒョウタンには、酒呑童子しゅてんどうじと記されていた。

 ヒョウタンの栓を抜く。

 シグレは、カイトから視線を外さない。

 ヒョウタンの中からコポコポと音が鳴りだす。

 シグレは、カイトから視線を外さない。

 コポコポコポコポッと、音が徐々に大きくなってくる。

 カイトは、糸の切れた操り人形のようにフラリフラリとシグレに向かって歩きだした。

 不気味な闇は、カイトの頭上で揺らめいている。

 ゴボゴボゴボゴボッと音をたてながらヒョウタンが揺れだす。

 シグレは「先手必勝じゃい!!」と、砂利を飛び散らしながら地面を蹴り上げ加速。  カイトとの距離を一気に詰めようとした。

 カイトの頭上で揺らめいていた闇がグニャリと動きだす。

 シグレは「ほれっ!!」と、右手で二本指を立てるとカイトに向かって指差した。

 すると、ゴボッゴボゴボゴボッと揺れるヒョウタンの注ぎ口から濁った液体が、うねる蛇のようにカイトに向かって飛び出した。

 闇がグニャグニャと形を変えながら、飛来する液体を飲み込もうとする。

 シグレが「せいっ!!」と、左手をパッと開いた。

 すると、液体がカイトの目前で霧状に拡散。

 霧状の液体の二分の一程が闇に飲み込まれる。

 残った霧状の液体がカイトを包み込むように漂い、液体がカイトの口や鼻から体内へと入って行く。

 カイトは両手で顔を覆いながら、もがき苦しみだした。

 闇がシグレに向かってグニャリグニャリと動き出す。

 闇の動きを察知したシグレは距離をとった。

 しかし、闇は見えない壁にでも隔たれてしまったかのように動きを止めてしまった。

 「そうかそうか、その距離が限界か。  やはり小僧から一定の距離しか離れられんらしいの。  ふむふむ、その距離だと微妙に儂の間合いの方が短いかの」  シグレがあざ笑いながら闇との距離を測る。

 「お爺ちゃん!!」  ヒビキが、もがき苦しむカイトの様子に目をやりながら叫んだ。

 「なぁに、心配せんでもええ。  あと少しの辛抱じゃ」

 「辛抱って……」  ヒビキが心配な表情で、もがき苦しむカイトを見つめる。

 霧状の液体に包まれ、もがき苦しむカイトがフラフラとふらつきだした。

 シグレが「そろそろかの」と、大きく一呼吸する。 

 シグレは、動きを止めている闇をチラリと見やると、カイト目指して一気に駆けだした。

 シグレは右手で拳をつくると、手首をグルグルグルグルと回しだした。  すると、カイトの周囲を漂っていた霧状の液体がゴポッゴポッゴポッと急速に集まりだし、拳大こぶしだいの大きさの水球へと形状を変化させた。

 水球はグルグルと回転しながらカイトの周囲を回りはじめる。

 闇の移動範囲にシグレの足が踏み入ると同時に、闇がグニャリと動き出し、シグレを飲み込もうと襲い掛かって来た。

 シグレは、襲い掛かって来る闇に気をとられる事無く、手の届かない距離にいるカイトに狙いを定め、空間を右拳で振り抜いた。

 同時に水球が軌道を変え、カイトの顎を撃ち抜く。  その衝撃で水球がパッァーンと弾け散った。

 シグレの操る水球の打撃で意識を完全に断たれたカイトは、崩れるようにバタリと仰向けに倒れた。

 カイトの意識が断たれたと同時に、闇もシグレを飲み込む寸前で消え去ってしまった。

 シグレは「ふぅ~、こんなに動いたのは久しぶりじゃ。  老体には、こたえるのう」と、腰をポンポンと叩きながら倒れこんだカイトに向かって歩き出した。

 離れて見ていたヒビキもカイトの元へと駆け出す。

 「オルガ様、ご無事ですか?」  ベンテンが脱衣所の中にいるオルガの安否を再度確認する。

 「は、はい」  オルガは、脱衣所の隅で腰が抜けたように座り込み怯えていた。

 シグレが「ヒビキ!  小僧を部屋に運ぶから手伝ってくれ!」と、呼びかける。

 「カイト君は?  無事なの?」  駆け寄ってきたヒビキは、倒れこんだカイトの顔を覗きこみながらが問うた。

 カイトの顔は耳まで赤く染まり、周辺は独特な香りが漂っていた。

 「ああ、心配せんでもええ。  酔っぱらって気を失っとるだけじゃ」  シグレは、ヒビキに手伝ってもらいながら気を失ったカイトを背負った。

 「えっ?!  酔ってるって……これって、お酒の匂い?」  ヒビキは鼻を曲げる。 

 ベンテンが近づいて来た。

 「酒に酔わせるとは……相変わらず、ふざけた法力士ほうりきしじゃのう」 

 「ふん、法力士ほうりきしじゃ」  

 「それよりも一体何者なんじゃ、その小僧は?  その紅い瞳は、明らかに……」 

 「そんな話は、後だ、後。  まずは小僧を部屋に運んでからじゃい。」  

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オロの勾玉 柳瀬 真人 @masato

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