第6話 偽装の布陣

 突撃の合図を受け、レオンハルトは馬腹を軽くって馬を進める。

 やじり隊形の先頭に位置し、立てた騎兵槍ランスの穂先近くに中隊長旗を高く掲げているため、振り返らなくても背後の部下達二〇〇騎が、迷い無く後を付いてくるのがわかる。

 

 馬を、人の早足と同じ程度の速さの並足ウォークで進める。

 

 突撃第一波の一個大隊千騎は、五つのやじり隊形の突撃軸線を、攻撃目標とするガリシア黒狼騎兵連隊に向ける。

 相手もようやく隊形を整えたようだ。その隊形は横に広く並ぶ横陣。しかも、隣の騎兵とあぶみがぶつかりそうなぐらいに密集している。二列目以降は坂の向こうに隠れて見えないが、密集する列の背後に、続く中隊の軍旗がいくつも見えた。

 

 敵部隊は三スタディア(約六百メートル)ほど先の、ゆるやかな上り坂の頂上に並んでいるが、そこまでの高低差は六フース(約百八十センチメートル)程度。坂の傾斜は緩いので、ガリシア騎兵の駆け下る突撃の勢いが、大きく増すほどでもない。

  

 左右の第十三中隊と第十五中隊の速度と合わせながら、レオンハルトは、馬の速度を人の駆け足の速さと同じ速足トロットへ徐々に上げていく。いきなり全力で走らせたのでは、馬が体力を消耗してしまう。


 緩い坂を駆け上りながら、奇妙な事に気付いた。ガリシア騎兵団がその場を動かず、こちらに突撃をかけて来ない。とっくに隊形を整え終えたはずなのにだ。重装騎兵は突撃をかけてこそ、騎兵槍ランスの攻撃力を発揮できる。動きもせずに棒立ちになっていては、ただ敵の餌食になってしまう。

 我々を迎え撃つつもりでは無いのか?得体の知れない不安が鎌首かまくびをもたげる。いや。首を振って不安を振り払う。


 距離は半スタディア(約百メートル)。目を敵に据えたまま、馬をあおって駈歩キャンターへ。人の全力疾走にほぼ等しい速さだ。

 そのとき、坂の上の敵騎兵が左右に散開し始めた。まるで通り道を譲るように。

 まあ、いい。敵がどんな作戦を企図していようと、それが完成する前に敵陣へなだれこんで粉砕する。騎兵の先制攻撃は常に有利をもたらすのだから。

 左右に逃げ散った敵騎兵は無視して直進する。どのみち、一度突撃をしかけてしまったら、走る勢いのついた騎兵は、急な方向転換が難しい。


 しかし、坂の上に到達したレオンハルトは、今度こそ戸惑とまどった。坂の向こう側には、敵がほとんどいなかったのだ。連隊旗や中隊旗をかかげた数十騎の騎兵達がいるのみで、予想した三千騎の騎兵などそこにはいなかった。軍旗を上げた騎兵達も逃げ散りつつある。 

 ならば、敵本隊はどこへ?速度を落としながら、周りを見回す。そのとき、帝国本陣の騎兵部隊が土煙を上げて、ロンバルディア騎士団の右側を追い抜いていった。彼らが左にを描きながら突撃目標とするのは、ガリシア軍本陣。左側に目を転じると、そのガリシア本陣の騎兵達は、本陣こぞって中央歩兵部隊の右翼側(こちらにとっての左翼側)へ移動中だった。

 中央で戦う重装歩兵部隊を中心にして、ガリシア本陣の騎兵軍は左回りに逃げ、帝国本領軍の騎兵部隊がその後を追う形になっている。


「何が起こっている?目標の黒狼騎兵連隊はいったいどこへ行った?...いや、そういう事か。」

 レオンハルトは、中隊の移動を並足ウォークに落とさせ、ついで停止させる。

「我々はどうしますか?」

 逃げ散った敵に気勢を削がれた副隊長のクルトが、助けを求めるようにレオンハルトを見た。

「大隊長殿の指示を仰ぐ。クルト、中隊を頼む。」

 レオンハルトはクルトに中隊を預け、上官を探して駆ける。


「ハルダー大隊長だいたいちょう!」

 突撃第一波の指揮をとるクラウス・ハルダー大隊長を見つけ、馬を寄せた。クラウスは五つの中隊をたばねた大隊の隊長であり、直属の第十一中隊の中隊長でもある。

 中央で戦う重装歩兵の隊列の横を、左へ回りこんで去りつつあるガリシア騎兵達を指さす。

「我々が当たるはずだった黒狼騎兵連隊も、あの本陣に混じって逃げてしまったようです。」


「ああ、我々は肩すかしを食らったようだな。」

 持ち上げたかぶと可動面頬バイザーから、クラウスの碧眼へきがんがのぞいている。


 本領軍騎兵部隊を見ると、彼らも突撃目標としたガリシア軍本陣が大きく移動しつつあるのを見て、混乱し、それでも追いかけようと、無秩序に陣形を乱しながら、追いつこうとしている。


「我々もこのまま追いますか?」

 レオンハルトは、答えを予想しつつも聞いてみた。


「いや、総長殿の指示を待つ。後方に伝令を出した。帝国のために張りきって働いて、余計な犠牲など出したくないさ。」

 クラウスは、ガリシア軍の動きを鋭い目で追いながら答えた。


「同感です。」

レオンハルトは心から同意した。


そこへ、総長のケルナーが、後方から馬を飛ばしてやってきた。伝令を通じて指揮するのがまだるっこしく思えたらしい。騎兵指揮官らしい直截ちょくさい的な態度だった。

「敵がいないだと?」


「ごらんの通りです。」

 連隊旗や中隊旗をはためかせて逃げていくガリシア騎兵達を指さしながら、クラウスが応じた。


「ちっ。坂の上に軍旗を並べて、連隊がいるように見せかけていたわけか。こんな詐術さじゅつに引っかかるとは、俺も焼きが回ったな。」

ケルナーは自分の失態を認めるのに素直だった。


「ガリシア騎兵の先回りをする!重装歩兵の周りを、奴らとは逆回りし、頭を抑えるのだ!全騎俺に続け!隊形の維持は気にしなくていい!」

 果断なケルナーは命令を下すやいなや、馬首を返して走り出す。

 クラウスが、第十一中隊から騎兵をいて、各中隊に伝令を走らせる。

 総長の突然の命令に驚きつつ、レオンハルトは、第十四中隊に戻ろうとした。しかし、思いなおして馬をり、ケルナーに追いつく。聞きたい事があったのだ。自分の中隊は、有能な副隊長が見てくれるだろう。


「黒狼騎兵連隊を攻撃しろという本営の命令はどうしますか?」

 ケルナーの横に馬を並べながら聞いた。


「もちろん、命令通りにするさ。あの移動中のガリシア騎兵部隊の中に、奴らも混じっているだろう。」


「なぜ彼らは交戦せずに逃げたのでしょう?」


「黒狼騎兵連隊はただ逃げたわけではない。ガリシア軍本陣に合流したのだ。しかも、大量の軍旗をならべた偽装の布陣で我々の突撃を誘って、前へおびき寄せた。」


「おびき寄せられたのは分かります。しかし、一体何の目的で?」

 レオンハルトが首をかしげる。


「奴らが形勢逆転のために狙うものが、本営にある。」

 まあ、見破ったのは副総長のラウバッハだが。心の中で付け加える。


少し考えて、レオンハルトは思いついた。

「皇太子ですか?帝国軍本陣の防御を薄くさせるために、我々をおびき寄せたという事ですか?」

馬をばてさせないように、速度に気を付けながら走らせている。


素早く推測した部下の利発さに、ケルナーの顔に笑みがこぼれる。

「ご名答だ。レオンハルト。右翼側に帝国軍の騎兵をできるだけ引き寄せ、入れ代わりに、左翼側からガリシア騎兵が、本営部隊と共に全力突撃を繰り出す。ガリシア軍もなかなか翻弄ほんろうしてくれるよな。」


「ガリシア軍は、温存していた騎兵を、一気にこちらの本陣に叩きつけるわけですね。」

 

「そうだ。ガリシア騎兵ども...まあ、一万五千騎ほどか。奴らはあのまま重装歩兵の周りを左回りに回りこんで、ほとんどがら空きになった本陣に突撃するだろう。」


 ロンバルディア騎士団は、そこへ先回りし、ガリシア騎兵の先頭を抑えるために、右回りに移動している。


 レオンハルトは帝国軍本陣の前を横切りながら観察する。大部分の騎兵が出払ってしまったため、そこには、矢を使い果たした四千人ほどの弓兵と、皇太子の警護をする三千騎ほどの護衛騎士しかいない。

 そこそこの規模の兵数だが、それでも一万五千騎もの騎兵の突撃の勢いを、到底防ぎきる事はできないだろう。


ケルナーは、何か嬉しそうな口調で続ける。

「皇太子の身が危うい。だから我々が間に割って入り、見事に救って、奴らに大いに恩を売る。そもそも、皇太子殿下を死なせると、我々属領軍も責任を問われるしな。」


「しかし、一万五千騎を我々三千騎で防ぐのですか?おくしたわけではないですが、いくらなんでも兵力の差が...」

 レオンハルトが言いかけた時、一人の男が馬をあおって追いついてきた。


「なぜガリシア騎兵を追わないのですか!逆向きに走ってどうするつもりなのです!敵前逃亡と報告されたくなければ、兵を戻しなさい!」

 レオンハルト達が、今、最も顔を合わせたくない男がそこにいた。本領軍から派遣された、デリック・オーウェル監察官だった。

 出陣以降、ロンバルディア騎士団の行動監視をしている男だ。 

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