12月のクリスマス、続。

12月のクリスマス、続。(1)


 12月。


 師走といえば師も走るほど忙しいと教わって育ったものだが、そもそも師とはいったい誰だろうか。


 寺や神社への参拝者、坊さん、学校の先生。


 いや、その三者以外も忙しいのはもちろんだし、おれだって先日は取引先のミスによって限界まで走らされた。

 いや実際に法定速度ぎりぎりを走ったのはタクシーの運転手ではあるが、おれだって走った。取引先の地下駐車場とか。


 エレベーターの中でも、忙しなく足踏みしていた。

 もしエレベーターに歩行による倍速機能が実装されていたら、あと三分は余裕が生まれていたことだろう。


 そういえば、空港とかにある移動式の廊下。

 歩く歩道とか水平エレベーターとかムービングウォークとか呼ばれるらしいが、あの上をアスリートが走ってもタイムは変わらなかったという検証番組を幼いころに見た。

 ということで、たぶんあの足踏みは納期には影響しなかっただろうな。


 まあ、ともかくだ。

 おかげさまで納期は間に合ったし、それについて上司からお叱りも受けずに済んだ。

 もうほんと勘弁しろよとか口が裂けても言えないし、日程の違和感を見落としていたくせに丸投げしてきた後輩は引っ叩いてやりたいが、おれは大人だ。社会人だ。


 すべての不条理を丸呑みして生きていける。


 ……すまん。嘘だ。


 取引先との会話の中で、うっかり「そっちのせいでえらい目にあったよ」みたいなことを口走ってしまって空気を最悪にした。

 あとでクレームがきて上司からこってり絞られたし、次の昇進審査は絶望的だ。


 それに後輩は、つい引っ叩いた。

 だって「すんませーん。あ、でも向こうが悪いんだし、おれ責任ねっすよね?」とへらへら笑われたら、誰だって衝動的な行動に出るのも仕方ないと思う。


 そう、仕方ないのだ。

 それが客観的な事実であるし、情状酌量の余地がある。


 ただ、タイミングが悪かった。

 朝礼の最中にやらかせば、そりゃ内密に処理なんて無理だ。


 あとで呼び出されて、くたくたになるまで説教された。

 なぜ会社は、昔から貢献してきた社員よりも、若いやつを庇うのか。

 そんな不条理、飲み込んでも消化不良だ。


 とにかく、なにが言いたいのか。

 この数週間は、ずっと調子が悪かったということだ。


 なにをしていても集中できないし、いや、もともと仕事ができるほうではないが、それでもこの数週間はひどいものだった。


 そんなおれの数週間を、先輩はたったの一言で表した。


「荒れてんなあ」


 食べかけのそばを、のどに詰まらせた。

 しばらく咳込んでから、彼を睨んだ。


「……荒れてません」

「アッハッハ。そりゃ説得力ねえなあ」


 これ以上、からかわれてはたまらない。

 急いでそばをかきこむと、先に店を出た。


 このまま外回りしていこう。

 というか、最近は周囲の視線が冷たくて、あまり会社にいたくないのだ。


 荒れている。

 まったく、的確な言葉だ。


 このささくれだった感情はなんだろうか。


 苛立ちと似ているが違う。

 悲しさとも似ているが違う。


 そうだ、むなしさだ。

 そんなことを真剣に考えている30歳の自分を思って、さらにむなしくなった。


 たぶん、アレだ。

 あまり眠れていないのが原因だと思う。


 この一年、ずっと布団で寝ていたせいで、ベッドの感触に慣れない。

 自分の身体が床から浮いているのが気持ち悪いのだ。


 地に足がついてないのでお似合いかとも思うが、そんな皮肉を言っている余裕もない。

 今夜からは、また布団を引っ張り出して寝よう。


 ただ、ありがたいことが一つ。

 去年のように、年末の用事に時間を取られることがない。


 確か去年の今頃は、さゆりとのクリスマスプランを考えていたように思う。

 ネットでいい店を探して、しかし本当にいい店はすでに予約がいっぱいで、やっとのことで確保した店は当然のように微妙だった。


 海外の熟成豚が自慢の店なのに、その日だけメインが手抜き感あふれるローストチキン。

 せめて飲み物はと思って注文したワインもまた外れだった。

 結局、クリスマスコースに豚は使われておらず、前菜もスープもデザートも「大量につくったものの一部を出しました」という感じだった。


 さゆりは何も言わなかった。

 その無言こそが、彼女の心情を表していた。


 恋愛は駆け引きであり、連続する課題をクリアすることである。

 ならば、あれほど気まずい気分を味わっていたのは、間違いなく間違いだった。


 ただ、それが悪いことばかりだったかと言われれば、わからない。

 もしクリアしていれば、あるいはこの息苦しさと緊張感が死ぬまで続く可能性もある。


 その間違いのおかげで、いまの身軽さがある。

 一年間の奇妙な同居生活も幕を閉じ、晴れて自由の身だ。


 あれから、クリスマスから連絡はない。

 なにをしているのかも知らない。

 里村と連絡を取ることもないし、アユミだかマユミだかいう友だちがメッセージを送ってくることもない。


「よーっす」

「…………」


 とか油断してたら駅前でばったり出くわした。

 というか平日の昼間だぞおまえ高校生だろうが。


 相変わらず、胸元を大きく開けたジョシコーセースタイルだ。

 彼氏らしい青年と、腕を組んで歩いている。


「ちょっと、オッサン! 無視とかひどくねえ!?」

「うるさい。おっかけてくるな」


 携帯を見せられた。

 その画面には、服を乱れさせたおれたちの画像がある。


「このままケーサツ行っちゃおっかなー?」

「……ちっ」


 立ち止まると、彼女に向き直した。


「ええっと、マルコだったか?」

「マリコだし! オッサン、わざとやってるでしょ!?」

「そんな愉快なキャラじゃねえよ。それで、なんの用だ?」

「えー。友だちに話しかけるのに理由いるー?」


 断じて違う。


「あっちの彼氏は放っておいていいのか?」

「え? ああ、別にもういいや。じゃあねー」


 おい待て、と言う間もなく、マリコはおれの腕を取った。

 制止する間もなく、ぐいぐいと連れていかれる。


 振り返ると、呆然とした彼氏と目が合った。

 おれのせいではないが、なんかすまん。

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