11月のプロミス(7)


「オ、」


 ピンポーン。


「ジ、」


 ピンポーン。


「サーン!」


 ピンポーン。


 うちのチャイムが鳴るのを、おれはリビングで聞いていた。

 続いて、ガチャガチャとドアノブを回す音。


 今日は土曜日。

 里村と約束した『おれの部屋に来てもいい日』だ。

 しかし合鍵を没収されたクリスマスは、この部屋に入ることができない。


 おれはそのまま、バラエティを観ながらぼんやりとしていた。

 ソファに寝転がったおれの腹を枕にして、天使がヤクルトさんをちゅーちゅー吸っている。


「おっちゃーん。いい加減、入れてやったらー?」

「…………」

「そんな邪険にせんでもええやん」

「……黙ってろ」


 二本めのヤクルトさんを渡すと、天使は一気に静かになった。

 その間にも、クリスマスの開けてコールは続く。


「オジサン、オジサン、オジサン、オジサーン!」


 ピンポンピンポンピンポンピンポーン。


「いるのはわかってるんだよ! 開けてよ!」

「…………」


 おれはそれでも、ソファから微動だにしない。

 もう、小一時間はこうしているな。


 ……まったく、はやく諦めて帰ればいいのに。


「もう、いいもんね! そっちが、そのつもりなら、今日こそ……」


 そう言い残して、やつの声は途絶えた。


「…………」

「…………」


 天使と目を合わせる。


「……諦めたんかな?」


 そうだといいんだがな。


「……さて、あいつも帰ったし、公園に散歩でも行くか?」

「えー。うち、今日は家でゴロゴロしてるって決めてんねん」


 ババくせえ。


 と思っていると――。


「あっ」


 ふいに、天使が窓の外を見て声を漏らした。


「おっちゃん。やばい」

「え?」


 その視線を追って――。


「げっ」


 窓の外に、クリスマスがいた。

 裏庭に生えている木をよじ登って、ここまで来たらしい。

 なぜか大家さん愛用の、木製のほうきを振りかぶっている。


「おま、ちょ……!?」


 それを窓に叩きつける寸前――。


「やめろ、馬鹿!!」


 おれは窓を開けると、慌ててやつを部屋に引き入れた。

 ごろごろ、とクリスマスが部屋に転がる。

 スカートがめくれて、白いパンツが見えた。


 クリスマスは素早く立ち上がると、ビシッとポーズを決める。


「あんたに笑顔を持ってきた!!」

「なに言ってんだ!?」

「あれ。オジサン、バンプ好きって、みち子さんが言ってなかったっけ?」

「それは中坊のころだ! いまは違う!」


 みち子は、おれの姉だ。

 もうそろそろ、子どもが生まれると聞いたな。


「恥ずかしがんなよー。男はいつだって少年の心を持ってんだろー?」

「…………」

「あーっ! ストップ、ストップ! 窓から投げようとしないでよ! わたし、バレンタインじゃないから!」


 ……やれやれ。


 おれはソファにやつを放り投げると、キッチンで茶を淹れた。

 それをテーブルに置くと、クリスマスがずずーっと口をつける。


「じゃあ、いまは誰が好きなの?」

「え?」


 よく聴くのは……。


「に、西野カナとか?」

「…………」


 一瞬、クリスマスがものすごい顔をして。


「ぶふっ!? あ、いや、ぷっ、悪いって意味じゃなくて、えっと、アハハ! いいよね、わたしも好きだよ。マリコも、カラオケでよく歌ってるし。でも、オジサンが、え? マジで? ……ぶふっ」

「…………」

「ぎゃ――――っ! 冗談、冗談だって! オジサン、目がマジなんだけど!?」


 まったく、こいつは……。


 おれはソファの向かい側に座った。


「ていうか、なんの用だ?」

「はあ? なんの用だって、こっちが聞きたいよ!」


 クリスマスが臨戦態勢のポーズをとる。


「どうして締め出すの!」

「…………」


 クリスマスだけじゃなく、天使も責めるような視線を向けてくる。

 ……せっかく賄賂を渡したんだから、こっちの味方してくれよ。


「おまえ、もうここには来るな」

「え?」


 二人が、ぽかんとして。


「いやいや、ここ二週間は、ちゃんと土日だけじゃん」

「そういう意味じゃない」


 おれはしっかりと言い直した。


「二度と、来るな」

「…………」


 おれが真面目に言っているとわかったのだろう。

 クリスマスが、呆然とした顔で詰め寄ってきた。


「ど、どうして? なんで? あ、もしかして、オジサンがお中元にもらって楽しみにしてたお高いカニの缶詰、勝手に食べちゃったのバレたの!?」

「ねえと思ったら、おまえかあ!!」

「だ、だって、オジサン、大事にしていつまでも食べないじゃん!」


 いや、落ち着け。話の腰を折られるな。

 コホン、と咳をする。


「おれは、おまえに責任は持てない」

「…………」


 一瞬、彼女は黙って。


「あ、アハハ。なに、それ? 意味わかんないんだけど……」

「おれは、おまえの人生にかかわることはできない」

「ほ、本気、じゃないよね?」

「本気だ」

「あ、わかった! さとちん先生に、またなにか……」

「おれの意思だよ。あいつは関係ない」

「……い、意味わかんない!」


 そう言って、テーブルを叩いた。


「わたしが、いつそんなこと言ったの!? わたしが来たいから、来てるだけじゃん!」

「それでもだ。おまえがどう思おうが、行動には責任がつきまとうものだ」

「で、でも、いままでだって……」

「いままでが通用したからって、これからも通用するとは限らないだろ」

「…………」


 おれは、諭すように言った。


「なあ。もう、遊びはお終いにしよう。おまえだって、これからの進路とか、真面目に考えなきゃいけないだろ? おれと遊んでいるより、やるべきことがあるはずだ」

「…………」


 一瞬、クリスマスは。


 その顔を、くしゃくしゃにして――。


 ダンッと、湯飲みを叩きつけるように置いた。

 立ち上がると、ぎゅっと唇を噛んで睨みつけてくる。


 そして――。


「オジサンの馬鹿、スケベ、幼女趣味いいいいいいいいいいい!」

「はあ!? おま、なに言ってんだ!?」

「今度こそ通報してやるからあ――――――――っ!!」

「ちょ、おまえ、それ洒落にならな……」


 バタン、とドアが閉まり、やつは去っていった。

 なんか、前にもこういうこと、あったなあ。


「……ハア。やれやれ」


 ソファに座り直すと、それまで無言だった天使がじろっと睨んできた。


「おっちゃん。ほんま、くそ野郎やなあ」

「な、なんだよ」

「まさか、ここまで玉無し野郎とは思わんかったわ」

「い、いや、玉無し野郎って……、ハッ!?」


 おれはくわっと目を見開いた。


「だから、おれは幼女趣味じゃない!!」

「そっちやあらへんわボケ!」


 スパーン、とスリッパで頭を叩かれる。


「……あーぁ。うち、なんか白けたわ。もう今日はもう、おうち帰るー」

「え、ああ。わかった」


 帰り際、天使はべーっと舌を出した。


「このロリコンめ!」


 最後の罵倒に、おれはポカンとしてしまう。


 ……なぜだろう。

 幼女に罵倒されると、なんかより深く胸に刺さるような気がした。

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