11月のプロミス(5)
会社から帰ると、部屋にも入らずに裏手でバレンタインと遊ぶ。
やつに猫缶を与えながら、月を眺めて缶ビールを飲んでいた。
つまみは、コンビニで売っていたなんとかペッパースナック。
おれが買い置きしてたやつと同じような味が、新しく出ていた。
クリスマスが、里村に連れていかれた日。
あれから、なんとなく部屋に居づらい。
……彼女のいない夜は、どうやって眠っていたのか忘れてしまった。
「詩人やねえ」
見上げると、一階の部屋の窓から天使が顔を出していた。
それを見て、バレンタインが遊んでほしそうに「ナアナア」と鳴く。
「ダメやで、猫ちゃん。うち、もうお風呂入ったからな。毛がつくからあかんねん」
おれはすっかり火照った気分のまま、缶ビールを掲げた。
「おう、おまえも飲むか?」
「おっちゃーん。うち幼稚園児やでえ?」
「ヤクルトさんあるぞ」
「うわっほーい。おっちゃん愛してるー」
おれからひったくると、くぴくぴと飲み始める。
「お母ちゃんに言わなくていいのか?」
「いまお風呂入ってるから大丈夫。あ、おっちゃん。いま、えろいこと考えたやろ」
「アホか」
「うちのお母ちゃん、おっぱいでかいよ」
「…………」
「想像したやろ?」
「してねえよ」
しました。
バレンタインをなでながら、おれは残りの缶ビールをぐびりと飲み干した。
「……あー、寒い」
「もうすっかり冬やからねえ」
「そうだなあ」
「部屋に戻ればええやん?」
「いや、なんとなく、入りづらくてなあ」
「せやろなあ」
天使は少しだけ寂しそうだった。
「お姉ちゃん。どうなるんやろ」
「……さあな」
おれはバレンタインを小屋に放り込んだ。
やつもすぐに毛布にくるまって、眠る姿勢になる。
「じゃ、おやすみさん」
「あ、おっちゃん。ヤクルトさんの空、持ってって」
「あいよー」
「お礼に今度、お母ちゃんの使用済み下着、持って来たるからな」
「頼むから勘弁して」
このおっさん臭さ、なんなの?
亡くなられた父親の影響だとしたら、ちょっと難儀だな。
……まあ、いいけど。
おれは二階に上がると、玄関の鍵を開けて部屋に上がった。
「だーかーら! ここがわたしの家だって言ってるじゃん!」
「ふざけるな! おまえの家は叔父さんの家だろ!」
「法的じゃなくて、心の帰る場所っていうか!?」
「ちょっといい話にして逃げようとするんじゃない! どこの三文小説だ!?」
「あ、そういう言い方する!? 『あなたへの手紙』ちょー泣けるんだよ! 映画化されたしね!」
「知ってるよ! この前、彼氏と観に行ったよ! ちなみに泣いたよ、彼氏がな!」
「あ、ほら、オジサン帰ってきた! さとちん先生、いつまでいるの!?」
「おまえが帰るまでだ!!」
「やーでーすー! オジサンもなんとか言って!」
「ただいまー」
おれは二人の言い争いを無視して、洗面台でうがい手洗いをする。
この時期、インフルエンザとか怖いもんなあ。
リビングに戻ると、どっこいしょとソファに座る。
すると隣に先客がいた。
クリスマスの友だち一号、茶髪のマリコだ。
「いやあ、大変だねえ」
手鏡でメイクをちょいちょいといじりながら、心のこもっていない声で言う。
「おまえも来たのか?」
「うん。栗栖の助っ人ー。なーんか、おもしろいことになってんねえ」
「こっちの身にもなれよ。あ、今日の夕飯なに?」
「チンジャオロースだったよー。栗栖、いま中華にハマってるんだって」
「……ううん。今日はやめとこ」
ビールですっかり満たされた腹に、こってり系は辛い。
これなら下に寄り道せずに、まっすぐ帰ってくればよかったな。
「小路くん、きみの問題でもあるんだよ! なにのんびりしてるの?」
「いや、おれが言ったところで聞かないだろ」
「きみがそういう態度だから、栗栖が調子に乗るんでしょ。ほら、はっきり言ってやって」
「えー……」
コホン、とクリスマスに向く。
「えーと、だな。まあ、里村の言う通りだ。ちゃんと保護者がいらっしゃるなら、そちらで暮らすべきだろ?」
「オジサン。いまさらじゃない?」
うん、まあ、そうなんだけどな。
里村がキッと睨んできた。
はいはい、わかりましたよ。
ここは大人の貫録をもって、ばっちり説得してみますよ。
「それでもな。もし、おまえが大きな怪我とかして見ろ。そういうとき、おれだと世話しきれないだろ? 責任問題とかさ。ここはご親戚のほうが……」
「お金は持ってるから大丈夫だよ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
あれ? なら別に問題ないな?
「さ、里村……」
「おいこら小路。まさかいまので終わり? でかい図体して、小娘一人、言いくるめられないってか?」
「…………」
割とガチな声色に、おれは黙る。
確か柔道と空手、どっちも黒帯だったなあ、とか思い出した。
「えっと、な。おれは他人だから、おまえをここに置いておくことは、法的にも……」
「……オジサン」
うるうるした目で訴えてくる。
くう。
こいつ、こういうときだけ……!
でも、里村からの鋭い視線も痛い。
なんで? なんでおれが悪いみたいな空気になってるの?
これが嫌だから帰りたくないんだよ!
「栗栖。今日は帰んなよ」
と、意外なところから助け船がでた。
発言の主は、まさかのマリコだった。
「ちょ、マリコ!?」
「だってさー、オッサン、ちょー困ってんじゃん。これじゃあ、あんた現在進行で迷惑かけてる臭くない?」
「うっ」
さすがに心の友からのお言葉には、クリスマスも強く出られないらしい。
「別にもう会えないわけじゃないんだしさー。土日だけ遊びにくればいいじゃん」
ううむ。根本的な解決になってないような気がするが、まあ、確かに筋は通っているような気がする。
「……わかったよ」
クリスマスはうなずくと、学校の鞄とコートを抱える。
「オジサン! また明日、来るからね! 明日は寄り道せずに帰って来るんだよ! あと冷蔵庫に明日の朝ごはん入ってるからチンして食べ……」
「いいから帰るぞ! ほら!」
里村に引っ立てられて、クリスマスが帰ってしまった。
シーンと静まった部屋で、おれはやれやれとため息をつく。
テレビを点けると、クリスマスが好きなバラエティが始まっていた。
一応、録画しておいてやろうか。
明日、来るって言ってたし、メモ残してたら勝手に見るだろ。
「はあ、やれやれ。でも、ちょっと意外だねえ」
「どうした?」
「さとちん先生、あんなに生徒に怒鳴るひとだったんだなーって」
「学校じゃ違うのか?」
「声は大きいけど、あんまり怒るひとじゃないかなあ。基本、いい子ちゃん先生だから、けっこう違う一面を見てる感じー」
「……ふうん」
おれは里村のことを思い出した。
「……あいつは、昔からそうだったよ」
「お。なになに? 訳アリっぽいじゃん?」
興味深げに寄ってくる。
まったく、こいつ達観してる感じのくせに、こういうの好きだよな。
「なんもねーよ」
「ちぇー。減るもんじゃなし、教えてくれたっていいじゃーん」
ふわあああ、と欠伸をする。
「眠いから、うち寝るわー。栗栖のベッド借りるねー」
「おう。テレビの声、小さくしてようか?」
「大丈夫、大丈夫。あたし、周りうるさくても寝れるタイプだからさー」
そう言って、寝室のほうに行ってしまった。
「……なにもない、か」
ぼんやりと、高校のころを思い出していた。
あの、たった一日の会話。
あれがもしかしたら、里村の中に引っかかってるのかもしれない。
いや、そう考えるのは、少しばかり自意識が過剰か。
「…………」
なんか、なんやかんや腹が減ってきたような気がするな。
風呂の前に、チンジャオロースでも食べるか。
ラップのかかった皿を、レンジにセットしてと……。
「いや、おまえも帰れよ!?」
結局、マリコは朝まで爆睡していた。
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