11月のプロミス(4)


 おれの家のドアを開ける。


 玄関を見ると、靴は一足。

 どうやら、クリスマスの友人たちはいないらしい。


 正直に言って、助かった。

 こんな状況であいつらがたむろっていたら、どうなるかわかったものじゃない。


 すぐにリビングから、クリスマスが出てきた。


「オジサーン。おかえりー」

「お、おう。うちに来るなんて珍しいな。どうしたんだ?」


 その言葉に、彼女が眉を寄せる。


「はあ? いつもいるじゃん」

「そ、そんなことないぞー。たまに、だよな?」

「……なに言ってるの? それより、はやく入りなよ」


 必死に玄関の外を指さすが、クリスマスは気づかない。


「はい、鞄ちょうだい。あとコートも脱いで」

「え、えっと、その……」

「晩御飯できてるよ。わたしお腹すいたから、はやくしてー」


 おれから鞄とコートをひったくると、それを手慣れた様子でハンガーラックにかけた。


 頼むから気づいてくれ。

 アイコンタクトを送るが、クリスマスは若干、気味悪そうに引いた。


「……え。どうしたの? 肩でも痛いの? 四十肩?」


 失礼なこと言うな、まだ三十だ!


「それよりさあ、ほんと参っちゃうよねえ」

「ど、どうしたんだ?」

「今日、さとちん先生から、すごいつきまとわれてさー」

「つきまとわれてる?」

「土曜日、さとちん先生から逃げたじゃん? それで、どういう関係なの、とか、どうしていっしょにいたの、とか」

「へ、へえ。どう答えたんだ?」

「そりゃ逃げたよー。あのひと真面目だから、本当のこと言ったら家まで押しかけてきそうだもん」

「そ、そうだなあ。アハハ……」

「ああ、そういえばオジサン、同級生なんだっけ? あのひと、昔からあんな感じなの?」

「ま、まあ、正義感はあったよな。生徒会長とかしてたし……」

「あ、それっぽいねー。でも、あんな感じの生徒会長、同じ生徒だったら辛くない?」

「そ、そんなことない! あいつはすごく気さくだったし、人気も高かった。よく気が利くし、まあ、それに可愛かったからな」


 すると、少しだけ機嫌悪そうに眉を寄せる。


「……ふうん? やけに庇うじゃん」

「あ、えっと、ほら、おれ、副会長だったから……」

「そうなの!?」

「あ、ああ。クラスで立候補がいなくて、くじ引きで」

「アハハ! 似合わないねえ。いや、むしろ似合うのかな」

「…………」


 クリスマスがこちらに背を向けて、リビングへと向かおうとする。


「とにかくほら、はやくご飯にして……」


 その肩を、がしっと掴んだ。


 おれの手ではなく、細い女性の手だ。


「そうだねえ。はやくご飯にして、お家に帰らなきゃねえ」


 その冷たい声に、クリスマスがぎくりと身体を強張らせる。

 恐る恐ると振り返って、その女性を確認した。


「……な、なんで?」


 そこには、うわさの里村先生が立っていたのだ。


 ……だから伝えようとしたのにな。


 ―*―


「ど、どうぞ。粗茶ですが」

「お気遣い、どうもありがとう」


 クリスマスが出したお茶を、里村が口にする。

 別のいいのだが、おれの部屋というのがものすごくシュールだった。


「……ん?」


 いっしょにテーブルに出た小皿を見て、おれは慌てた。

 期間限定のガーリックペッパーベーコンなんとか味のリッチなスナックだ。


「それ、おれのつまみ……」

「しょうがないじゃん。他にお茶うけになりそうなものなかったんだから」

「いやいや、おまえの買い置きの菓子でいいだろ」

「どうせ酔ってるときにしか食べないんだから、味なんていっしょだよ」

「もうコンビニにないんだぞ!」

「はいはい。また今度、似たの買ってくるから」

「……うおっほん!」


 里村の咳に、びくっと正座する。


「あのね。二人とも、真面目に話す気ある?」

「す、すまん」


 言葉は穏やかだが、割と本気で怒っているようだった。

 このときの里村は、逆らうと怖いのだということをおれは高校のときから知っている。


 クリスマスが、おずおずと手を挙げた。


「……あのう。どうして、さとちん先生がいるの?」

「いるの、じゃない。いるんですか、だろうが」

「い、いるんですか?」

「あと、ちゃんと里村先生と呼べ。まったく、そこらへん弁えるくせをつけないと、社会に出て苦労するんだぞ」


 正論ではあるが、その生徒の出したお茶を飲みながらではいまいち説得力に欠けると思う。

 口に出したら怒られるから黙っているのだが。


 クリスマスに、くいくいっと袖を引かれる。


「……オジサン。どういうこと?」

「ああ。いや、里村は、さゆりの友人なんだ。そっちからおれの連絡先を聞きだしたらしくてな……」

「そんなの、無視すればいいじゃん」

「無視したら警察に通報するとか脅されて、できるわけねえだろ」

「……先生。ちょっと、それは教師としてどうなの、……どうなんですか?」


 しかし、里村は平然としたものだ。


「学生の身分で他人の家に転がり込んでるおまえに言われる筋合いはない」


 ぴしゃりと言い返されて、クリスマスが黙る。


「……確認するけど、小路くんはこの子と親類ではないんだよね?」

「ああ、そうだ」

「ちょっと、オジサン! そこは嘘でもうなずいときなよ!」

「アホか。そんなの、すぐに調べられてバレるだろか」


 そうなれば、いまより大事になるのは当然だ。

 まだ里村の胸三寸に納められるうちに決着をつけたい。

 でなければ、本当に厄介なことになる可能性がある。

 物事は、より被害の軽いほうを選択するのがいいのだ。


「いつから?」

「い、一年くらい前だな」

「その間、ずっと?」

「……ずっとだ」


 何度か例外もあったが、それ以外はここで寝泊まりしている。


 事前にさゆりから、なにかを聞いていたのだろうか。

 里村に、思いのほか動揺はなかった。

 それでも面倒くさそうに、ぼりぼりと頭をかく。


「……まさか小路くんに限って、そんなことはないと信じたかったんだけど」

「い、いやいや! 誤解してないか!?」

「誤解って、この状況で、どうやってきみを疑うなって言うの?」


 ……その通りだ。

 おれだって彼女の立場なら、間違いなくそういう関係だと疑うだろう。


「ほ、ほら、雅子もなにか言ってくれよ」

「…………」


 おいこら。なぜこっちから顔を逸らしている。


「だってオジサン、前に酔ったときに押し倒してきたじゃん」

「わあ! なに言ってるか、わかってんのか!?」

「いや、正直に話せって言ったし……」

「こういうときの話じゃねえよ!」


 というか、本当に記憶にないんだけどな!?


「……小路くん?」


 ぽきぽきと手を鳴らしながら、里村が立ち上がった。

 その表情が、悪鬼羅刹のように歪んでいる。


「待て! 話せばわかる、っていうか、本当になにもないから!」

「じゃあ、どうして、見ず知らずの女の子の面倒を見ているの?」

「え。あ、いや、それは……」


 ――どうして?


 ふと、思考が止まる。

 そんなこと、考えたこともなかった。

 いや、一年前は、そんなことを考えた時期もあったと思う。

 でも、いつの間にかこの状況が当たり前になっていて、その疑問は頭の奥へと沈んでいた。


 おれが黙っていると、クリスマスが言った。


「そんなの、さとちん先生には関係ないじゃん」

「…………」

「そもそも、わたしが誰と住んでようが、わたしの勝手でしょ。別にオジサンに迷惑かけてるわけじゃないし、それに出て行けなんて、言われてないし……」


 ――バンッ! と、テーブルが叩かれた。


 ぐらぐらと揺れた湯飲みが倒れそうになる。

 しかし、それは寸でのところで止まった。


「甘ったれるな!」


 鋭い叱咤に、クリスマスが黙った。


「おまえたちは、家族のもとで暮らす義務がある。少なくとも、自分に責任が持てる年齢になるまではな」

「ぎ、義務って、わたしがまるで親の所有物みたいじゃ……」

「そうだ。おまえたちは、親に金銭的な援助を受けて成り立っている存在だ。もし自由だというなら、いままでおまえにかかったすべての金銭を返還して言え」


 はっきりとした肯定に、クリスマスが口をつぐむ。


「そして同時に、親は子を健全に育てる義務がある。おまえが独り立ちするまで、その責任はおまえのご親戚が担うことだ」

「で、でも、うちの叔父さんたちは、わたしに責任なんて……」

「だからといって、それを見ず知らずの他人に押しつけていいと思うな!」


 その言葉に、クリスマスが押し黙った。


 里村の目は、真剣そのものだった。

 確かに強引で、ともすれば一方的な物言いではある。

 クリスマスには、納得できることではないだろう。

 それでも、大人になったおれたちにとって、それは正しい理屈だとわかるのだ。


 ただ……。


 その言葉が、教師としての里村の言葉なのか。

 それとも、別の顔としての言葉なのか。


 おれには、わからなかった。


「……小路くん。きみは、わかるよね? もし栗栖になにかあったとき、きみがどうにかしてやれると、本気で思っている?」

「…………」


 おれは黙っていた。


 この状況において、里村の言葉を言い伏せることができるはずものない。


「今日は栗栖を連れて帰るよ。さ、行くぞ」

「え、ちょっと、やだ……」


 強引に腕を取られ、引きずられていく。

 小柄ながら鍛えている彼女の腕力に、たかだか一高校生が勝てるわけはない。


「ねえ、オジサン! なにか言ってよ、ねえってば!」


 バタン、とドアが閉まり、静寂が包んだ。


「…………」


 おれは立ち上がると、冷蔵庫のドアを開けた。

 そこからいつもの晩酌セットを取り出すと、テーブルに広げる。

 今日の晩飯はレバニラだった。


「よし」


 ビール飲んで寝るか。

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