11月のプロミス

11月のプロミス(1)


 11月。寒い。


 これ以外に、なにを形容すればいい。

 先月の中旬は涼しくなったと思う程度だったのに、ほんの二週間ほどでこれだ。

 そろそろエアコンを使おうかと思ったが、そういえば夏が終わって掃除をしていなかった。


 どうしようか。次の休みまで、あと二日はある。

 それまで我慢するか。いや、もう使ってしまうか。

 ダメだ。うちにはとてつもなくデリケートなやつが居候している。

 てっきり花粉だけかと思ったが、やはりハウスダストにも恐ろしく敏感なのだ。


 そういえば次の休日は、他にやることがあったな……。


「ただいまー」


 アパートのドアを開けたときだった。


「うっわーっ! これマジでえ――――っ!?」


 この甲高い声に、おれは眉をしかめた。


 いや、なにが起こっているのかは知っている。

 知っているからこそ、その現状を確認するのが限りなく億劫だ。

 それでも家主であるおれが、ためらう理由などない。堂々と入ればいいのだ。


「おい、こら。なにしてる?」


 リビングを覗くと、やはり予想通りの光景が広がっていた。

 小さなソファに、まるで群れるように座る女子高校生が五人。


 茶髪のマリコ。

 黒髪ショートのミチ。

 お団子のユウカ。

 金髪のメイ。

 そして我が家のクリスマス。


 それぞれが、だらだらとくつろいでいる。


「あ、オッサン。おかえりー」

「……ただいま」


 おれは途方もない疲れを感じながら、さっき買ってきたスーパーのビニール袋をキッチンに置いた。


 初めてやつらがうちを訪れたのは、あの文化祭の直後だった。

 クリスマスが、どうしてもやつらが来たいと駄々をこねていると頼んできた。

 学生グループでの立場というものもあるだろうし、一回だけと許した。


 それが間違いだった。

 いまでは三日に一回は、こうやってうちでだらだらと時間を潰している。


「たむろなら、よそでやれって言っただろ」

「だってえー。うちらバイト代出る前で金欠だしいー」

「ケチケチすんなよー」

「あ、アレじゃね? 二人の愛の巣を汚されたくない的な?」

「オッサン! 独占欲強い男って、いまモテないから!」


 キャハハハハ、と笑い声がリビングを包む。


 ――すうっと、さっきまでの怒りが冷たい感情に変わった。


「…………」


 おれの視線に気づいたマリコが、ぎょっと仲間たちの膝を叩く。


「ガチのやつ!!」

「あ、やば!」

「じょ、冗談だってアハハー」


 途端に静かになる。

 どうやら一応、空気だけは読めるらしい。


「ていうか、なに見てんだ?」


 なにかをテーブルに広げている。

 さっきの笑い声も、これに関係することだろうか。

 まさかこの不良どもが、大人しく勉強をしているということもあるまい。


 するとマリコが、すっとそれを見せてきた。


「オッサンの給与明細」

「だあああああああああああああああああああああ」


 慌ててそれを奪い取った。

 丸々一年。ボーナス含めて、すべて開いていやがる。


「おま、やっていいことと悪いことがあんだろが!」

「だって、机の上に置きっぱなしだったんだもん。それで見てみたら、びっくりじゃん。オッサン、ほんとにそれしかもらってないの?」

「はあ? ふ、普通だろ」


 ……普通だよな?


「だってさー。それやばくない? おっさんくらいなら、年収一千万とかじゃないの?」

「アホか! どんな一流企業だ!」

「……え。違うの?」


 くそ、頭が痛い。


「あのな。この歳なら、このくらいが普通だ」

「えええええええ!? うそ!? こんなん、子育てとかどうするの!?」


 まあ、おれも高校のころは同じような感覚で大人を見ていたがする。


 とはいえ、残念ながらこれが現実だ。

 サンタクロースを信じる子ども相手じゃあるまいし、わざわざ夢を与えてやる必要もない。


「おまえらは知らないだろうけどな。両親は毎日、いろいろ節約してるんだよ。わかったら、少しは感謝でも伝えてやれ」

「うわ、この流れでお説教とか。マジおっさん臭え」


 やかましい。こちとらもう立派なオッサンだっての。

 ため息をつきながら、冷蔵庫のドアを開けた。


「でもさあ。栗栖、ほんとにどうすんの?」


 と、それまで黙っていたクリスマスが口を開いた。


「……うーん。どうしようかな」

「でも、進路相談って確か……」


 ……ふうん?


 そういえば、あいつら二年だったか。

 確かにこのころから、進路関係のあれこれも増えていた。

 まあ、不良は不良なりに、そういうのを気にしているのか。


 ……っと。


「おい。雅子。おまえ卵、買ってきたのか?」

「あ、うん。なくなってたでしょ?」

「おれも買ってきた」

「え、ほんと!?」


 パタパタとこっちに駆けてくる。


「あ、ほんとだー……」


 二人暮らしでタマゴ20個とか、どう処理しろというのか。

 というか、牛乳も被ってしまった。


「買ったらメールしろよ」

「だってオジサン、今日は遅くなるって言ってたじゃん」


 ……言ってたような気がする。


「あー。天使んとこ持ってくか?」

「煮卵にしようよ。明日、バラ肉買ってくるからいっしょに煮よう」

「えー。おまえ、ゆで卵つくるとき、少し古くしなきゃいけねえだろ」

「大丈夫だって。この前、底にピンで穴空ければいいってネットで見たよ」

「ほんとかあ?」


 するとなぜか、背中に視線を感じた。

 振り返ると、友人ズがじーっとこっちを見ている。


「……な、なんだ?」

「なんかさあー。わたし思うんだよねえ」


 マリコが、はああっと深いため息をつく。


「栗栖。最近、すげえババ臭いっていうか……」

「えっ!?」


 クリスマスが反応する。


「ど、どういうこと!?」

「さっきも、ここ来る前にスーパー寄ろうとか言い出すしさあ」

「あー。わかる。友だちといるとき、食品を選ぶのナイよね」

「賞味期限が一日遠い卵をナチュラルに下から掘り出すの、ぞっとしたかも」

「……オッサンのおつまみカゴに入れる女子高生って、見てると辛い」


 …………。


 おれたちは、顔を見合わせる。


「普通だろ?」

「普通だよね?」

「普通じゃねえし!!」


 おまえらもあと十年もしたら、そのくらい平気でするようになるだろ。


「というか、おまえら。いつまでいるつもりだ? おれが帰ったら出てく約束だろ」

「えー。もうちょっと、いいじゃーん」

「おれはさっさと飯食って風呂入りたいんだよ。ほら、だべるのはまた今度にしろ」

「ちぇー」


 ぞろぞろと出て行く。


「じゃあねー」

「また明日あー」


 キャイキャイはしゃぎながら、やつらは道路の向こうに消えていった。


「……あー。疲れた」


 おれはさっさと飯の準備をするべく、リビングに戻る。

 もちろんその途中で、風呂に湯を張るのも忘れない。


「おい、おまえ食った?」

「まだー」

「焼きうどんでいい?」

「いいねえ」


 ちょうど、三玉で百円のチルドうどんが半額になっていた。


 食材を切るのはクリスマス。

 そして炒めるのはおれだ。


 じゅわじゅわ肉を焼いているとき、ふと思い出した。


「そういえば、おまえ、そろそろ両親の一周忌なんだろ?」

「え?」


 ――ドスッと、包丁が足下に刺さった。


「おまえ、大丈夫か!?」

「あ、うん。それは大丈夫……」


 それを拾って洗いながら、ふうっと息を吐く。


「怖いわー。話題が終わったと見せかけて、いきなりぶっ込んでくるの怖いわー」

「す、すまん」


 確かに、配慮が足りなかったような気がする。


「いや、おまえがあんまり普通にしてるもんでな」


 両親が死んで一年とか、もっといろいろ考えるものではないだろうか。

 そもそも、こいつは悲しんでいる素振りを見せたことがない。


「うーん……」


 キャベツを切るのを再開しながら、クリスマスがぼそっと言った。


「……だってうち、あんまり幸せじゃなかったし」

「そうなのか?」

「どうだろうねー。お金には困ったことないから、たぶんひとから見れば『ふざけんじゃねえ』って言われちゃうかもしれないんだけど……」

「じゃあ、なに?」

「わたしが小さいころから、パパもママもばりばり働いてたじゃん?」

「まあ、そう聞いたな」

「うち帰っても、誰もいないしね。家政婦のおばさんも、学校から帰る時間にはもういなくてさ。そのひとがつくった冷たいご飯、いつも食べてたよ」

「レンジくらいあんだろ?」

「……いや、いまの言葉のあやだから」


 なぜか哀れみの視線を向けられる。


「だからあんまり、家族ってイメージないんだよね。生活費、出してくれるひとっていうか。授業参観とかも、一回も来てくれたことなかったし」

「一回も?」

「一回も。いつも家政婦のおばさんが来てたもん。世間体があるから、お金で来てもらってたんだよ。すごく面倒くさそうだったなあ」

「じゃあ、文化祭とかもか?」

「来たことないねー。だから、オジサンが初めてだったかなあ」

「ふうん……」


 ……ん?

 なんか意味ありげな顔で見ている。


「わたしの初体験、だね?」


 ぐいっ。


「いだだだだ……!?」


 ほっぺたをつねりあげる。


「オジサン! 最近、ちょっとフランクに暴力振るいすぎじゃない!?」

「おまえがアホなこと言ってるからだろ」


 もしかして、天使にあれこれ吹き込んでるのこいつではないだろうか。


「でも、いい加減、ほっぺたがだるんだるんになっちゃうよ」

「ほう。そりゃリスみたいに一度に食べられる量が増えていいじゃないか」

「あ、そうかも!」


 そうかも、じゃねえよ女子高校生。


 それから飯を食って、順番に風呂に入って、おれたちはいつものように布団に潜り込んだ。


 先週の休みに冬用の寝具を買いそびれて、おれたちはいま同じ布団で寝ている。

 というか、クリスマスが寒い寒い言うから、仕方なく入れてやってるのだ。

 断じておれから誘ってなどいない。


 いつもの夜、いつもの日常だった。

 おれが寝ようとしていると、ふとクリスマスが天井を見上げたままつぶやいた。


「あ、オジサン」

「なんだ?」

「明日、ちょっと遅くなるかも」

「へえ。マリコたちと遊んでくるのか?」

「うーん。ちょっと違うんだけど……」


 なんか、いつもと違って歯切れが悪い。

 まあ、こいつもお年ごろだし、あれこれ詮索するのもよくない。


「まあ、ほどほどにな」

「……うん」


 そうして、おれたちはいつものように眠った。


 朝、起きたときには、すでにクリスマスは学校に出て行ったあとだった。

 あいつが寝ていた場所が隙間になっていて、ひゅうっと冷たい空気が入ってくる。


 すでに彼女の体温はなく、おれはそれを思ったとき、なぜか妙な胸騒ぎを覚えていた。


 それは、突然にやってきた。


 ――その日、クリスマスはこの部屋に帰ってくることはなかった。

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