10月のフェスティバル(完)
まるで三文芝居のような人生だと、マリコは言った。
筋書きを聞いたとき、おれもだいたい同じような感想を抱いた。
それは隣人の身に降りかかったことでも、やはり事情を聞くと、どこか作り話のような空虚な感じがする。
一年前、栗栖夫妻が交通事故で亡くなった。
そして一人娘の雅子は、その多額の保険金を相続する。
どちらも仕事を愛する性格だったし、夫の勤める企業は一部上場。
株の儲けもあったらしく、その額は一人娘を豊かに生活させるためには十分だった。
しかしなにも知らない小娘が大金を手にすれば、その結果は目に見えている。
ハイエナのように群がる親戚に、すべてをむしり取られた。
やがて雅子は学費として、その数百万円だけを渡され、近しい親戚に預けられる。
その生活が幸福だったかどうかは、聞かずともわかった。
親戚の娘が家出をして一年近く経っても、捜索願も出されない。
友人宅や宿泊施設を転々とした雅子は、最後にあの駅に立っていた。
「……寝れなかったな」
おれはリクライニングチェアーから起き上がった。
この窮屈な個室も、ずいぶん久しぶりのような気がした。
クリスマスが来るまで、仕事に疲れたときはよく来ていた。
漫喫である。
目の前に積んだ漫画の山を見渡した。
一年前に読みかけのまま止まっていたシリーズばかりだったが、どうにも内容が頭に入ってこない。
というか、内容を忘れて楽しめないのだ。
わざわざ既刊を読み返すほど執着していたわけでもない。
時計を見ると、朝の五時前。
そろそろ始発が出るころだが、プランではあと一時間はいられる。
特に用事があるわけではないが、なんとなく無駄になるようで悔しい。
しかし、こんな夜明かし、大学生以来だ。
この歳だとさすがに堪える。
もういっそ、半休取って昼から仕事に行こうか。
「……ふああ。コーヒーでも飲むか」
すでにテーブルには空のグラスがいくつも積んであった。
片付けないと邪魔だな、と思っていると、ふと隣のブースからマリコが顔を出した。
「あ、オッサン。わたしもー」
「…………」
昨日、喫茶店で話し込んだせいで終電がなくなったのだ。
タクシーを使って送ろうとも思ったが、拒否されたのでこうしていっしょに漫画喫茶で夜を明かした。
さすがにあれだけ散財されたあとでは、無理矢理タクシーを使う気にもならなかった。
なにより、そうすればおれもアパートに帰らなければならない。
いまは少し、ひとりになりたかった。
「ていうか、おまえは両親が心配しないのか?」
「あ、大丈夫、大丈夫。これでも伊達に不良やってないから」
「…………」
まったく最近の若者は。
なんかこういう言葉が自然に出るようになると、いよいよおっさんの仲間入りという感じがする。
この言葉の本当に恐ろしいところはアレだ。
子どものころに同じことを言ってたむかつく親父どもに妙に親近感を覚えるところだ。
まあ、それよりもだ。
二人ぶんのコーヒーを持ってくると、その片方を彼女に渡した。
「……じゃ、おれはもう帰るからな」
「え、マジで? もうちょっと遊んでよーよー」
「アホ。おまえらは振り休かもしれんが、おれは仕事だ」
「大人って世知辛えー」
やかましい。
あと五年もすれば、おまえにもわかるわい。
―*―
なんか、この時間の空気は奇妙な感覚だ。
妙に臭う駅前から、電車に乗って最寄り駅へ。
いつもの道を歩いていると、ふとアパートの前に見覚えのあるちんまいのを見つけた。
天使だ。
やつはこんな朝っぱらから、猫のバレンタインと戯れている。
「あ、おっちゃんや」
「おまえ、まだ六時すぎだぞ?」
「うち朝は早いねん。それに昨日、こいつがご飯もろとらん言うて、窓をガリガリやるもんでなあ」
「え、ほんとか?」
見ると、足下に空っぽの猫缶が転がっている。
「すまんな」
「ええねん。お母ちゃんはまだ寝とるし、うちヒマやし」
言いながら、ぎょっとしておれをみる。
「ていうか、おっちゃん! あさがえりい!?」
……こいつ、こんな言葉どこで覚えてくるんだ。
「ちょっと、仕事で徹夜でな」
「うそや! うち知っとるで! 昨日はお姉ちゃんとこの文化祭やったんやろ!」
一瞬で看破されてしまった。
「あれ。でもおかしいなあ。お母ちゃん、昨日はちゃんと帰ってんねんで?」
「待てこら。それ以上はやめろ」
まず実母を疑うとか、本当に幼稚園児かよ。
「まあ、いい。おれは戻るから、おまえも帰れ」
「ちぇー。しゃーないなあ」
そうして、アパートのドアの前に立つ。
「…………」
緊張しながら鍵を開けた。
リビングをうかがうと、布団は敷いてあるがクリスマスの気配はない。
寝室への襖は閉まっているし、さすがに寝てる――。
「……オジサァァァアアアアアアアアアン」
「ぎゃああああああああああああああ」
こいつ浴室に隠れてやがったのか!?
よろけると、泣きながらバシバシと胸を叩いてくる。
「そんなやつだとは思わなかったよおおおおお!」
「な、なんだよ!?」
いや、連絡がメールだけってのは悪かったけど!
「確かにオジサンはがさつで乱暴で靴下むっちゃ臭いし、ときどきスケベでわたしのパンツ見てニヤついてるけど! わたしの友だちに手を出すとは思わなかった!」
「待て、待て! 主にその濡れ衣をやめろ!」
おまえのガキ臭いストライプ柄のパンツなんぞ興味ないわ!!
「手を出すって、なに言ってんだよ?」
「これ!」
携帯を見せられる。
「はあ? これがなに……、ゲッ」
その画面には、なぜかマリコが自撮り風におれとツーショットで映っていた。
おれはリクライニングで目をつむっている。
どうやら、わずかでも寝ていたらしい。
いや、そこじゃねえよ。
なぜかおれのシャツの前がすげえ開けられてるし、マリコの剥き出しの肩から大人っぽいレースのブラの紐が覗いている。
髪もやけに乱していて、まるでこれまでプライドを賭けた一戦を繰り広げていたようだ。
そして慎ましやかに添えられた一文。
『栗栖の彼氏、マジすごいねー(うっとり)』
一瞬、微妙な静寂が降りる。
「誤解だ!! 悪戯に決まってんだろ!」
「ま、マリコならあり得るけど! じゃあ、ふたりでなにやってたの!?」
「なにっていうか、話してただけだ」
「なにを!? ここでいっしょに暮らそうとか、そういうやつ!? 邪魔になったわたしを追い出すんだね!?」
「おまえ、メロドラマの観すぎ!!」
ハア、とため息をつく。
「おまえのことだよ」
「え、わたし? 追い出すんじゃなくて、プロを雇って処分しちゃおう的な!?」
「だから違うって言ってんだろ!」
どうするか。いや、決まっている。
下手に隠してもいずれバレたときに、余計に気まずくなるだけだ。
というか、おれはそういう隠し事ができない人間なんだ。
「おまえの両親のことだ」
「え……」
クリスマスの顔が、みるみる青くなっていく。
「ど、どこらへん?」
「おまえの両親が亡くなって、それでいまおれの家に住んでるってとこまで」
「ほぼ全部じゃん!!」
そう言って、逃げるようにリビングの布団に包まった。
「あああああああ。マリコのやつ余計なことをおおおおおおお……っ!」
頭を抱えて嘆いている。
しかし、なんか予想とは違うリアクションだ。
まあ、いきなり泣き出されるよりはぜんぜんいいのだが。
やがてクリスマスが、布団から顔だけ出した。
「……そ、それで?」
「なに?」
「か、感想とか」
感想ときた。
……ううむ。感想な。
「……おまえも大変だなあって」
「へ?」
布団にくるまったまま、イモムシみたいに近づいてくる。
「そ、それだけっすか?」
「まあ、他にもいろいろ思うところはあったが、最終的にはそんな感じだな」
「じゃあ、可哀想だねまさこー、的なのは?」
「いや、おまえがそうしてほしいならそうするが……」
正直、おれにそういう役を期待しないでほしい。
「じゃあ、面倒な女だな出て行けーって感じなのは?」
「出て行きたいのか?」
慌てて首を振った。
「これはおれのルール違反だからな。それに関しては、おまえの意思に従うよ」
「ど、どういうこと?」
「殴りたいなら、殴れ」
「そ、そういうのは、ない、かな」
そうか、よかった。おれもあまり殴られたくはなかった。
というかこんなデリケートな問題、下手したら包丁でも突きつけられるかとヒヤヒヤしたが。
クリスマスが、恐る恐る、聞いてくる。
「……ここにいて、いいの?」
「当たり前だ。ここはおまえの家でもあると言っただろ」
「…………」
ぶわっと涙があふれる。
「オジサン、チューしていい!?」
「やめろ、気持ち悪い」
「ひどくない!?」
それはさすがに法的にやばいのだ。
おれはシャツを脱いで、部屋着に着替える。
風呂に入りたいが、そんなことしてたら寝る時間がなくなってしまう。
「とりあえず、おれは一時間だけ寝るぞ。悪いが、あとで起こしてくれ」
「わかった、任せて!」
自信満々に言いながら、もぞもぞ布団に潜り込んでくる。
いやな予感がしたが、ひどい眠気のせいでそれを止めるのも億劫だ。
まあ、目覚ましもかけたし大丈夫だろう。
もちろん徹夜でおれを待ってたクリスマスも寝こけて、目を覚ましたのは昼すぎのことだった。
三十代からの徹夜は計画的に。
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