9月のペルソナ(4)


「じゃあ、お願いしますね」


 天使の母親はそう言うと、玄関のドアを閉めた。

 頭をかきながら、ダイニングへと戻る。


「なんて?」


 クリスマスが不安そうに言った。


「……あー。一応、いまから警察にも行ってくるらしい」

「そっか……」

「それで、おれたちにも行きそうなところを探してほしいってさ」

「うん。わかった。お母さんも心配だろうからね」

「まあ、ご近所の縁だな。おれもちょっと外を探してみようか」

「うちはあまり賛成できんなあ」

「どうしてだ?」

「だって、お外なんて出たら見つかってまうやん」

「そうだな。確かにそうだ」


 おれとしたことが、すっかり忘れていた。

 ソファに座ると、テーブルに広がった菓子のひとつをつまむ。


 プリッツなんて、何年ぶりだろうか。

 空腹に塩味が染みる。


「あー。おっちゃん、それ、うちのやで」

「一本くらい、いいだろ」

「その一本だって、うちが買ってきたものやで」

「わかった、わかった。明日、また別のを買ってやるから」

「いやあ。おっちゃん、ほんま話がわかるひとやで」

「そりゃどうも」


 テレビを見た。

 さっきレンタルショップで借りてきたアニメが延々流れている。

 仕事帰りのおれとしては、もっとこう、ニュースとか軽めのやつがいいんだがな。


 あぁ。そういえば、飯はどうするか。

 クリスマスも用意していないし、外で済ませてもいいが。

 しかしそうなると、警察から帰った天使の母親と鉢合わせる可能性もある。


 うーむ。


「おまえは、なにが食いたい?」

「そやなあ。うちはやっぱりお子様らんちがじゃすてぃすやな」

「そうか。おい、おまえは?」


 クリスマスがテレビからこちらに顔を向けた。


「うーん。わたしはなんでもいい」


 そういうのがいちばん困るのだが。

 まあ、いいか。

 適当になにかコンビニで買ってくるか。


「で、だ」

「なんや?」

「おまえ、いつ帰るの?」


 おれとクリスマスの間にちょこんと収まった天使が、首を傾げた。

 なぜかサングラスをかけて、髪の毛をパンチパーマにしている。


「なんで?」

「いや、なんでって。お母ちゃん、探してただろ」

「嫌や」

「嫌って、おまえ。そもそも、今日はどうしたんだ?」


 するとやつは、にやっと笑いながらプリッツをかじった。


「うち、家出してきたんや」

「へえ。そうか。よし、わかった。さっさとお家に帰ろうな」

「ま、待ってえな! 後生やから匿まってえ!」

「…………」


 とは言ってもなあ。

 警察まで出てくる以上、おれたちが誘拐犯扱いされてしまうかもしれないじゃないか。


「理由を言ったら考えてやる」

「あ、うち知っとる。それ、おとなの常とう句なんやろ」

「わかった。じゃあ、いますぐお母ちゃんを呼んできてやる」

「は、話すからあ!」


 まったく、最初からそう言っておけばいいのだ。


「お母ちゃんと派手な喧嘩してきとんねん」

「へえ」

「そんで、うちはぐれたんや」

「ほう」


 それで、その変なサングラスとパンチパーマなわけね。

 さっきからプリッツを人差し指と中指だけで食べてるのはタバコを気取っているらしい。


「なんで喧嘩したんだ?」

「そりゃおっちゃん。ないーぶなお年ごろやさかい、秘密のひとつやふたつ……」

「もしもし。あぁ、天使のお母さんですか」

「嘘やで! おっちゃん、なんでも前置きは大事やと思うで!」

「ハア……」


 携帯をポケットに戻した。

 まあ、通話なんてしてないんだけどな。


「……お母ちゃん。うちの誕生日を忘れとってん」

「え?」


 おれはカレンダーを見た。


「いつ?」

「昨日や」

「そうか。それはおめでとう」

「とってつけたような感じやなあ。まあ、いいわ。ありがとさん」

「で、それで拗ねて出てきたと?」

「う、うん……」

「へえ。ふうーん」

「な、なんや!? うちがぐれたら悪いかい!」

「いや、別に」


 なんか、意外だな。

 もっと大人びているかと思ったが……。


 天使が顔を真っ赤にして「ぐぬぬぬ」と唸っている。


「そ、それでうちはぐれたんや。言ったからしばらく匿って!」

「いや、それとこれとは別だろ」

「うがあ! おっちゃん、だましたなあ!」

「おまえな。子どもが行方知れずって大変なことなんだぞ。さっさと仲直りして帰れ」

「で、でも……」


 すると、なぜかクリスマスが声を荒げた。


「オジサン、見損なったよ!」

「え、なに?」

「らぶりーまいえんじぇるがこんなに困ってるのに、それでも男なの!?」

「いや、それとこれとは別だろ。常識として……」

「すでにわたしを匿ってるくせに、なにいまさら常識人ぶってんの!?」


 がーん。

 そ、そうだった。


 あまりに溶け込んでるせいで、こいつが家出少女だってすっかり忘れていた。

 いや、でも、さすがに相手が小学生ではなあ。


「……わかった。じゃあ、こうしよう」

「な、なに?」

「しばらくここにいてもいい。ただし、おまえがいることはお母ちゃんに言う」

「え、でも……」

「ダメなら追い出す」

「…………」


 天使はついに折れた。


「わ、わかった」

「決まりだな」


 ため息をついて靴をつっかけた。

 さっそく、天使の母親に報告に行かなければ。


「ついでに飯を買ってくるけど、なにがいい?」

「うち出前のお寿司がいい」

「わたし出前ピザ」

「…………」


 こいつら!

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