8月のプア:ホラー映画は用法・用量を正しくお使いください
草木も眠る丑三つ時。
このアパートにも、夜な夜な悲しそうな女の声がする。
「……ねえ、オジサン」
「…………」
「ねえってば」
「…………」
「ねえ。オジサンってばー……」
目を開けると、布団から起き上がった。
寝室のほうを見ると、案の定、襖がわずかに開いていた。
その向こうに、クリスマスの顔がのぞいている。
「……おまえなあ、いま何時だと思ってんだよ」
「だってさあ、ほら、なんか窓の向こうに誰かいるような気がするんだもん」
そんなのがいてたまるか。
ここは二階だぞ。
ため息をつくと、寝室に入っていった。
カーテンを開けて、窓の外を見せる。
「ほら。なんもいねえだろ」
「そ、外は?」
面倒くせえなあ。
「ほら。いない、いない。安心して寝ろ」
「……はーい」
クリスマスは不満そうだったが、一応は納得したようにベッドに潜り込んた。
それを確認すると、布団に戻った。
まったく明日も仕事だってのに、こんなことでいちいち起こされたらたまったもんじゃねえ。
カチ、カチ、カチ……。
「……オジサーン」
いらっ。
「あー、くそ! いい加減にしろよ!」
クリスマスが縮こまってしまった。
「で、でもさあ」
「おまえは休みだからいいかもしれねえけどな、おれは仕事なんだよ! くだらねえことで起こすんじゃねえ!」
「だって、いるような気がするんだもん!」
「だもんじゃねえ! 寝れねえでも黙ってろ!」
「こんな可愛い女の子が怖がってるんだから、ちょっとは優しくしてくれてもいいじゃん!」
「だったらホラー映画なんぞ観なきゃいいだろ!」
そうなのだ。
なにをトチ狂ったのか、最近、こいつは毎日のようにホラー映画を借りてくるのだ。
べつにそれ自体はいいのだが、問題はこうして夜ごと眠れずにおれを起こしに来ることなのだ。
こんなんじゃ、こっちが寝れなくてえらい目に遭ってしまう。
「ね、今日までだから。お願い、オジサン!」
「…………」
タオルケットを持ち上げた。
「ほら、眠るまで見ててやるから」
「わーい。オジサン大好きー」
もぞもぞ潜り込んでくると、そのまま目をつむってしまった。
「…………」
現金なもので、さっきまでの怖がりが嘘のように寝息を立て始めた。
こいつ、おれも一応は男だと忘れているのではないのか。
あまりに無警戒だが、最近は輪をかけて子どもっぽい態度が増えてきた。
コンビニのバイトでも、変なナンパなんぞに引っかかってないといいが。
……よし、そろそろいいか。
クリスマスが完全に寝たのを確認すると、布団から抜け出そうと起き上がった。
……が。
ぐいっ。
おれのシャツの袖を、いつの間にかクリスマスが握っている。
離れようとすると、眠ったままそれを引っ張ってきた。
「…………」
指を解こうとするが、これがまたすごい力で握りしめられているのだ。
まあ、力を込めれば解けないこともないのだが、それではやっと寝てくれたのを起こしてまた面倒なことになる。
仕方なく、そのままの体勢で目をつむった。
……しかし寝れんな。
目を開けて、クリスマスの前髪を払う。
その寝顔はおれを信頼しきっているようで呆れてしまった。
……もうこんな季節になった。
八月が終われば秋の空気になり、すぐに年末だ。
思えばこいつと過ごすようになって、もうすぐ一年が経とうとしている。
すぐにいなくなると思っていたが、まさかこんなにも居座ることになろうとは思わなかった。
こうなると、いよいよ本気でこいつと向き合わなくてはいけないのだろう。
いつまでもこの時間が続くわけはないのだ。
再び目をつむりながら、なんとなく寝れない夜を過ごした。
―*―
次の日のことだった。
おれが帰ると、クリスマスがどたどたと足音を響かせて走ってきた。
「ねえ、オジサン! 今日はこれ観よ!」
見せられたレンタルDVDのタイトルは『ゾンビ・イン・ザ・シティ』。
紛れもなくホラー映画である。
「…………」
「これってね、あんまり話題にならなかったらしいんだけど、特殊メイクにすごく予算かけててまるで本物みたいなんだって! バイト先でお菓子とコーラ買ってきたから! ね、ね!」
それを取り上げると、回れ右した。レンタル店は駅前だ。
「いますぐ返してくる」
「なんでよー!」
せっついてくるクリスマスに根負けし、今日も寝不足を覚悟するのだった。
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