7月のメモリア:浜辺のきみに恋をした
ある休日の昼下がり。
おれがソファに寝転がってビールを飲んでいると、隣でもたれかかるように座っていたクリスマスが言った。
「ねえ、オジサン」
「あん?」
「海に行きたい」
「やめとけ、やめとけ。鮫に喰われちまうぞ」
テレビには観光客で賑わう湘南の浜辺が映し出されている。
今年も相変わらず海の家だ騒音だ治安だなんだと大騒ぎしていた。
関係のないおれたちには、もはや夏の風物詩だ。
テレビにリモコンを向け、チャンネルを動かした。
ピッ。
「オジサン。山に行きたい」
「熊に喰われちまうぞ」
ピッ。
「キャンプに行きたい」
「蚊に喰われちまうぞ」
ピピッ。
「お祭りもいいよねえ」
「的屋に財布を喰われちまうぞ」
プツンッ。
あー、やれやれ。
ビールの空き缶をテーブルに置くと、ごろんと背を向けた。
いい感じに眠気が襲ってきた。
風は気持ちいいし、最高の午後だ。
やはり休みは昼間から酒を飲んでごろごろしているのに限る。
起きたら夜になってるだろうな。
まあ、それもいいか。
「ねえ、オジサぁ~~~~ン」
ゆっさゆっさ。
身体を揺すられて、無理やり起こされる。
「なんだよ!」
「暇なの。どっか連れてってよお」
「知るか。おれは疲れてるんだよ。休みの日くらい寝かせてくれ」
「せっかくの夏休みなんだよー。青春の一瞬はかけがえのないものなんだからあ」
「眩しいね。おれにとっちゃ遠い過去だよ」
まったく、平日も家でごろごろできる癖に、なにが不満なんだか。
わざわざ休日に体力を消費して遠出するなど、正気の沙汰とは思えなんな。
「ねえ、オジサァン」
ゆっさゆっさ。
「…………」
ゆっさゆっさ……。
「オジサン……」
ゆっさ……。
「…………」
…………。
やれやれ。ようやく諦めたか。
少し悪い気もするが、せっかくの昼寝日和をぶち壊すようなことはしたくない。
今週はあのクレームのせいで特に忙しかったのだ。
明日からまた溜まった仕事を消化しないといけない。
あまり健全とは言えないが、三十の大台に乗ったこの身体は休息がないと耐えられないのだ。
クリスマスよ。
おまえもあと10年もすれば、きっとおれの気持ちがわかるようになるはずだ。
いまは辛いだろうが、どうか耐えてくれ。
そう思いながら、おれは静かな眠りの世界へと旅立った。
―*―
翌日のことだった。
仕事から帰ると、部屋がアロハになっていた。
「あーら、タフガイさん。今日もお仕事お疲れさまね」
水着姿でソファに寝転がり、優雅にオレンジ色のドリンクを飲むクリスマスが言った。
そのサングラスを上にあげて、こちらにウィンクする。
足元に丸まるバレンタインが、眠たそうにあくびをした。
「…………」
呆気にとられていると、彼女は立ち上がった。
「うふふ。初心なのね? こっちで遊びましょう?」
手を引かれるまま、ソファに腰かけた。
首に花輪を掛けられて、どこからともなく取り出したアロハシャツを着せられる。
そしてさっきクリスマスが飲んでいたトロピカルな色のドリンクを渡された。
オレンジジュースだった。
そして隣の寝室から引っ張ってきた緑色のビニールボートを置き、その上に座らせられる。
クリスマスは向かい側に座ると、膝を抱えて憂いの表情を浮かべた。
「夕日が綺麗ね。このまま時間が止まってしまえばいいのに……」
彼女の頭に挿したハイビスカスの花よりも、その澄んだ瞳のほうが綺麗だと思った。
……じゃねえよ。
立ち上がると、その頭を叩いた。
「なにしてんだ!」
「だって、オジサンどこにも連れてってくんないんだもん!」
「だから部屋をハワイにしましたってか? あほかてめえ!」
花輪とアロハシャツを脱ぎ捨てると、そのまま浴室に向かった。
「上がるまでに片付けとけよ」
振り返ると、クリスマスがうるうるした目でこちらを見ていた。
「だってえ……」
「…………」
……ああ、くそ。
―*―
次の土曜は、よく晴れていた。
その熱気に頭がうだるようだった。
……暑い。
電車で一時間のところにある大型レジャー施設のプール。
避暑を求めてやってくる場所のはずなのに、そのあまりの人混みのせいでむしろ外よりも暑いと感じてしまう。
やっとの思いで確保したベンチに座って、ぼんやりとその光景を見ていた。
流れるプールが人間で詰まり、本来の機能を失っていた。
大プールのほうもひとでごった返し、ウォータースライダーは一時間待ちだ。
そもそも、あれでは泳げないではないか。
まったく、こんなことならやはり家で寝ていたほうが涼しいはずだ。
「オジサぁ――――ン」
と、向こうから水着に着替えたクリスマスがやって来た。
おれの手を握ると、やっと手に入れたベンチから立ち上がらせようとする。
「ねえ、あっちで遊ぼうよ」
「やだよ。ひとりで遊んで来い」
「えー。ひとりじゃつまんないよ」
うるうる。
「…………」
あー、くそ。
こんなことなら学校の友だちでも連れてこさせるんだった。
立ち上がり、彼女に引かれるまま大プールのほうに向かった。
しかし、あの人だかりはなんだ?
その中央にいた監視員がこちらに気づくと、スタスタと歩いてきた。
「あのう」
「な、なんですか?」
ま、まさか大人が高校生を連れてきちゃいけないなんていう規則はあるまい。
おれがどきどきしていると、彼は面倒くさそうに指さした。
「あれ、あなたのですか?」
「は?」
見ると、プールの前になぜか大きな緑色のビニールボートが置いてあった。
「……おい」
「え。なに?」
「片付けてこい」
「え、やだあ!」
「やだじゃねえだろ!」
こうして、おれは休日をへとへとになるまで満喫して帰ったのであった。
もう二度と行かねえ。
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