7月のメモリア:エンゼルは口がお達者
前略、お袋さま。
同居人がまたやらかしました。
「えっと、オジサン。これは……」
クリスマスが目を泳がせながら、必死に言い訳を考えているのがわかる。
今日は定時に帰れたから、久しぶりにちゃんとした食事でもつくってやろう。
おれはそう思って、スーパーでキャベツやら豚肉やらとけっこうな材料を買い込んできた。
そうして帰ってきたらさあ大変。
なぜ部屋に、金髪碧眼のお人形のような小娘がいるのか。
そしてなぜその小娘を、同居人であるクリスマスが膝に抱いているのか。
おれの脳裏に、二月のころの珍事がよぎる。
いまはアパートの裏庭で飼っているバレンタインという黒猫、かつてはクリスマスが半ば誘拐してきた飼い猫だった。
いや、まさか。
いくらこいつが世間的な常識に疎く、けっこう突発的な衝動に突き動かされる人間だとしてもだ。
まさか、よそさまの子どもをうっかり連れてきたなんてことないだろう。
これはあれだ。
きっと知り合いの妹かなにかの世話を頼まれたんだろう。
なにせ、こいつが通っているのはけっこうなお嬢さま学校というではないか。
なら、そんなこともあるかもしれないな。
いや、ねえよ。
どこをどうやったら、こいつにこんな外国人の知り合いができるって話だよ。
とりあえず、スーパーのビニール袋をテーブルに置いた。
「……一応、聞くぞ」
「うん」
「どこの子だ?」
見れば、まだ小学校の低学年程度だろう。
その小娘はきょとんとした顔で、おれとクリスマスを見比べている。
もはや言い逃れはできないと悟ったのだろう。
クリスマスはキッと顔を引き締めた。
「そこの道で拾った」
そのお人形さんのような小娘の襟を掴んだ。
「元の場所に捨ててこい!」
「やだあ――――!」
「やだじゃねえよ、馬鹿かおまえ!?」
「ちゃんとご飯と散歩の世話もするからあ――――!」
「バレンタインのときもそう言って、いまじゃおれが世話してんだろうが!」
いや、そこじゃねえよ。
おれもさすがに気が動転しているらしい。
「おまえな、これはさすがに洒落にならんぞ! 警察沙汰になったらどうする気だ!」
「そのときは、わたしこの子と北海道の海に身を投げるの。来世ではいっしょ、わたしの天使!」
こいつ、またろくでもないドラマの影響を受けてやがるな。
「なあなあ。おっちゃん。ちょお苦しいから降ろしてえな」
おや。
この妙に関西風なしゃべりは誰だ?
慌てて部屋を見回すが、もちろん他には誰もいない。
まさか、この部屋にはかつて関西から恋人と駆け落ちをした挙句に病気によって命を落とした若い女性の霊が……。
……やめよう。
おれにこういうセンスはないのだ。
首根っこを掴まれたお人形のような小娘がこちらを見ていた。
「いやあ、おっちゃん。助かるわあ。やっと話がわかるもんに会えて、うち感激や」
「そ、そりゃどうも」
「まったく参るで。このお姉ちゃん、いくらお母ちゃん待ってる言うても、ひとのこと迷子って決めつけて連れてきよるんやもん。ほんまどういう教育受けとんねん」
この妙に流ちょうな関西弁はともかくとして、その前に確認するべきことがある。
「……おい、こら。迷子じゃなかったのか」
クリスマスが目を逸らした。
「だって、こんな時間にこの子ひとりじゃ危ないじゃん。近くにお母さんもいなかったし、変なひとに連れてかれたら大変だよ?」
その変なやつがおまえだよ。
しかし肝っ玉の据わった小娘は動じていない。
「ほな。うち帰るで?」
「お、おう」
その小娘を降ろした。
と、玄関に向かうその小娘が、なぜか途中でふらふらぺたんと倒れてしまった。
「ど、どうした?」
「……あかん。限界や」
まさか、病気でも患っていたのだろうか。
キュルルル……、と可愛らしい腹の音が聞こえた。
「あー。うち帰ってもお母ちゃんあと一時間は帰ってこんしなー。うちこのままじゃ餓死してしまうわー。どないしよー」
「……飯、食ってくか?」
「しゃーないなあ。ほんなら、ちょっと甘えさせてもらうわ」
なんだろう。
どうもクリスマスよりも大人と話しているような感覚だ。
スーパーの袋を開けると、小娘がのぞき込んできた。
「なに? なにするん?」
「久しぶりにお好み焼きでもつくろうかと思ってな」
「ほーぉ。おっちゃん、東京もんのくせにわかっとるやん。なあなあ。山芋は? ねばねば入れると焼き上がりふんわりなんやで」
「そこまで本格的じゃねえよ」
「そりゃないで。そんぐらい常識やろ?」
「いいから黙って待っとけ」
首根っこを掴んでソファに置く。
するとすぐに降りて再び足にまとわりついてくる。
「そう言わんといてえな。うち寂しいねん。相手してえ」
「あぁ、くそ。邪魔だ。そっちでクリスマスと遊んでろよ」
「嫌や。あのお姉ちゃん恐いもん」
がーん。
クリスマスがくらりとよろめいた。
「……お、お」
「お?」
「オジサンの馬鹿あ――――! この幼児性愛者! アル中! 陶片朴! もうお風呂のあと肩もんであげないからあ――――!」
言うだけ言って、玄関から出ていってしまった。
いいから馬鹿やってないでキャベツの千切り手伝ってくれよ。
うんざりしていると、小娘がくいくいと袖を引く。
「なあなあ。おっちゃん」
「おまえもなんだよ」
「あのお姉ちゃん。おっちゃんのコレ?」
そう言って、小指を立てる。
「妹だよ、妹」
「えぇー。うそやー。隠してもわかるんやでー」
「へえ。どうして?」
「そりゃあれやで。女の勘ってやつや」
「大変だ。そのセンサー壊れてるぞ。今度、お母さんに頼んで修理に出しときな」
「もう。照れんでええのになー」
なにを言うか。
まったく、クリスマスといいこいつといい、近頃の餓鬼はませてるな。
背伸びしたい気持ちはわかるが、子どもっぽくしてたほうが可愛げもあるもんだ。
しかし、この小娘。
どこかで見たことがあるような気がするんだが、どうにも思い出せない。
まあ、いいか。気のせいだろう。
「ほら。焼くぞー」
「うちやる!」
「火傷すんなよー」
小娘の身体を持ち上げて、フライパンの前に持って行く。
お玉で生地をすくうと、少しずつフライパンに垂らしていった。
「なかなかうまいじゃねえか」
「お父ちゃんが好きやったから、よくうちでやってたんよ」
「へえ。お父さんは?」
「うちが小学校に上がったころに離婚してもうたわ。それで、こっちの小学校に来たんや」
「あー。変なこと聞いてすまんな」
「なに言うとんの? べつにおっちゃんが悪いわけやないやろ」
「ま、まあな」
「しかし参ったもんやで。お母ちゃん、それっきりお好み焼きつくってくれんなってなー。うち大好きなんに、ひどいやろ?」
「ふうん」
「おっちゃん、いいなあ。お父ちゃんと似てるわー」
「へえ。そいつは褒め言葉なんだろ?」
「あー。うーん。どないやろなー」
「なんでやねん」
「アハハ。おっちゃん、ほんま下手やわあ」
そうこうしているうちに焼き上がってきた。
時計を見て、ハアとため息をつく。
暖かい湯気を立てるお好み焼きを持って玄関を開けた。
「おい、こら。さっさと入って来い」
クリスマスが膝を抱えていた。
「……はーい」
―*―
「ねえねえ。おっちゃん、かつぶしはー?」
「あ。そういえばこの前、餌の代わりにバレンタインにやっちゃったな」
「えー! ないわー。おっちゃん、お好み焼き言うたらかつぶしダンスやろー?」
「いいからさっさと食えよ。そんでお母さんのとこ戻れ」
「しゃーないなあ。今日のところは勘弁したるわ」
そこでふと、チャイムが鳴った。
……なんだ?
口元のソースを舐めながら玄関を開ける。
「はい」
「あ、すみません!」
それは階下のOLさんだった。
なにか慌てた様子である。
「どうしました?」
「あの、うちの娘を見ませんでしたか。大家さんが、妹さんと遊んでるところを見たっておっしゃってたんですけど」
……え?
するとダイニングのほうの小娘が声を上げた。
「あ。お母ちゃん!」
なに!?
いくらふたりを見比べても、血のつながりがあるなど思えない。
あ、いや。よくよく見れば、確かに目元などは似ているような気もしなくはないが……。
OLさんは慌てて説明してくれた。
「あ。その、わたしの夫が向こうの生まれでして。勝手にお邪魔してすみません。迷惑だったでしょう?」
「あ、いや。それは別に……」
むしろ、クリスマスが勝手に連れてきたんだが。
しかし、知り合いのお子さんでよかった。
本当に警察沙汰になったらえらい目に遭うところだった。
なにせ、うちにはすでに厄介な先客が居座っているのだ。
「なあなあ。お母ちゃん。このおっちゃんのお好み焼き、むっちゃうまいで。いっしょに食べよー」
「こら。はやくお暇しないと迷惑でしょう」
「あ。いえ、うちは別に……」
とはいえ、ここで引き留めては変なことになるだろう。
小娘ならともかく、大人を上げるような部屋でもない。
キッチンに戻ると、大きめの皿をとった。
それにお好み焼きを何枚かのせて、ラップをかける。
「よかったら食べてください」
「え。そんな……」
「まあ、こいつも手伝ってくれたんで」
OLさんは少しだけ躊躇ったあと、それを受け取った。
「あ、ありがとうございます」
「いえ。うちの妹もずいぶん遊んでもらったみたいなんで」
見ると、小娘はにやにやと笑っている。
その額を人差し指で軽く小突いた。
ふたりが帰ったあと、クリスマスが自信満々に言った。
「ほらね。わたしのおかげでちゃーんと無事にお家に帰れたじゃん」
「おまえ明日から一週間、風呂掃除な」
「なんでよ――!?」
ため息をつくと、お好み焼きを口に運んだ。
……今度はかつぶし買っとくか。
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