6月のバースデイ(2)



「おい。おれのネクタイ知らないか?」


 クリスマスはこちらを見もせずに、ゆったりと朝食をとっている。


 聞こえていないのか。

 おれはもう一度、聞こうとしてやめた。


 いや、これは無視をしているのだ。


 今週の日曜に外に出ていてもらう約束をしてからというもの、どうにもこの調子だった。

 いったいなにが気に入らないというのか。

 これまで散々、こいつの都合に合わせてきたつもりだった。

 それなのに、たった一日、こっちの都合に合わせてもらっただけでこうもふて腐れられてはたまらない。


 普段ならいざ知らず、朝のバタバタとした時間にこれではうんざりだ。

 特に今日は朝一で大事な会議のある日だ。

 時計を見ると、もう出ないと間に合わない時間だった。


 いちいち探すのも面倒くさい。

 昨日に使ったやつも掛けてはあるが、しわくちゃのやつをつけて行くと印象が悪い。

 ネクタイくらいコンビニで売っているだろう。


 慌てて家を出て、どうにか電車の閉まるドアに滑り込む。

 この時間のものに乗ってしまえば、あとはコンビニに寄るくらいの余裕はある。


 しかし、なぜクリスマスはあんなに怒っているのか。

 正直に言って、今回のものは本当に理由が思いつかない。


 自分の時間を持つということが、そんなに罪深いことなのか。

 それだとしたら、あいつはどうだ。

 ちゃんと学校に行くから大目に見ているが、帰ったらごろごろと漫画を読み、衣服は脱ぎ散らかし、挙句にトイレの便座はいつも下ろしたままだ。


 まったく、少しは同居している人間のことを考えて行動するべきだろう。

 というか、あの部屋はもともとおれの住居だ。

 それにずかずかと上がり込んでいるという自覚が足りないのだ。


「先輩。なんか機嫌悪いですね」

「そ、そうか?」


 いつの間にか昼休憩が終わり、夕方にまで及んでいた。


「そんなに会議、よくなかったんですか?」

「それもあるんだが」

「あるんだが?」

「……いや、なんでもない」


 真紀には関係がないことだ。

 いや、そもそもとしてクリスマスのことを話せるはずがない。


「それより先輩。今週の日曜、楽しみにしてますね。せっかくなんで、わたしご飯つくりますよ」

「おう。楽しみにしとく」

「先輩。嫌いなものって……、あ、ないですよね」

「おい、どういう意味だ」

「アハハ」


 ―*―


 そうこうしているうちに、その日曜日はやってきてしまった。


 おれは前日から、クリスマスの痕跡を消すために部屋を掃除していた。

 あとは歯ブラシや食器などの日用品を戸棚に隠すだけだ。

 もう昼前だから、いつ連絡があってもおかしくないだろう。


 しかしまあ、三十手前にもなって女性を部屋に上げるだけでこんなにも慌てなければいけないとは情けない。


 そう考えていると、寝室の襖が開いた。

 クリスマスはいつの間に起きていたのか、すでに身支度が整っているようだった。


 彼女は案の所、なにも言わずにふらりと部屋を出ていこうとする。

 不機嫌はまだ治っていないのだ。


「おい、今日はどこに行くんだ?」


 彼女は面倒くさそうに振り返った。


「べつに、どこでもいいじゃん」

「いや、そりゃそうだが」

「心配しなくても日付が変わるまでは帰らないであげるよ。オジサンはゆっくりお楽しみください」

「こら、どういう意味だ」

「女でしょ? 案外、オジサンも普通の男のひとなんだね。わたしもこれから気をつけよーっと」


 いちいち棘のある言い草にカチンときた。

 この一週間、ずっといらいらしっぱなしだったが、とうとう我慢がならなくなった。


 気がつけば、おれは声を荒げていた。


「おまえな、いい加減にしろよ! 黙ってたのは悪かったが、そんな言い方はねえだろ。というか、おれが自分の部屋で誰となにしようが勝手だろ」

「わかってるよ。わたしはどうせ居候だもん。だからこうやって出てってるじゃん。なんか文句あんの?」

「いちいち突っかかるんじゃねえよ!」

「突っかかってきてるのはオジサンでしょ?」


 いがみ合ってもらちが明かない。

 というか、どうしてこいつは今回はこんなに噛みついてくるのか。


 おれが苛立ちを隠さずにダイニングへ戻ろうとすると、ふと彼女が言った。


「オジサン、そういえば……」

「な、なんだよ」

「机の引き出しに隠してあったやつ、燃えるゴミの日に捨てたから。また買って来れば?」


 ――バタン! と、叩きつけるようにドアが閉められた。


「…………」


 おれは恐る恐る机に近づく。


 もとは寝室に置いてあったものだが、そちらをクリスマスが使うようになってこっちに移したのだ。

 引き出しを開けると、確かにあったはずの箱がなくなっていた。

 代わりに一枚のメモ用紙が折りたたまれてある。


『スケベオヤジ。ジゴクニオチロ』


 ……なんだ、この気持ちは。


 穴があったらいますぐ入りたい。

 いや、タイムマシンで一週間前に戻っておれを殴ってやりたい。


 それは確かにこんなものがあれば今日の招待客が女性で、どんな関係の相手かと宣言しているようなものだ。


 いや、もう見つかったものは仕方がない。

 それに、どちらにしたってここがおれの部屋であることに変わりはないのだ。

 そもそもプライベートな空間である机を覗くほうが悪いに決まっている。


 と、ふとスマホが震えた。

 画面を見ると真紀からだった。

 あと一時間ほどで駅につくという。

 慌てて部屋の日用品などを戸棚に隠した。

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