6月のバースデイ
6月のバースデイ(1)
不思議なもので五月のころはあんなに天気が優れなかったのに、いざ梅雨の本番となった六月はなかなか雨が降らない。
天気予報は『雨量は過去最低のものになる見通しで……』と、水の減ったダムを映している。
よく覚えていないが、去年も同じようなことを聞いた気がする。
それでもどんよりと厚い雲が垂れこめていて、決して気分のいいものではないが。
そういえば、今日は洗濯物を洗わずに出てきた。
どうしようか。ひとりなら二日か三日は洗濯もしないでいいが、もうひとりいるとなれば話は別だ。
コインランドリーの使用方法は教えたとはいえ、あのクリスマスが気を利かせてやってくれているとは思えない。
そういえば高校のころに読んだ星新一の掌編に、ロボットがすべての家事をやってくれる男の話があった。
死んでも会社に送り届けられるなんて御免ではあるが、しかしそのうちの一台くらいは家にあると便利だと思う。
毎日、洗濯物が勝手に洗って干されているなど、きっと神に感謝してやまないだろう。
とはいえ、人間の欲望は無限大だ。
きっとすぐにその状況にも慣れ、また次のロボットが欲しくなるのだろう。
そしてやがては、あの男のように……。
「あの、先輩。聞いてますか?」
その声で、ふと現実に引き戻された。
指先の煙草の灰が、ぽろりと落ちる。
靴に落ちたそれを、慌てて払った。
「な、なんだ?」
おれの仕草のどこがツボに入ったのかは知らない。
しかし後輩は――名は真紀という――彼女は可笑しそうに笑った。
「先輩。さっきから上の空なんですけど」
「す、すまん」
四月の末、花粉も多少は和らいだころにふたりで出かけた。
それから、あれよあれよという間に、いわゆる深い仲になっていた。
会社の人間には一応、黙っている。
しかしこうやって喫煙所で休憩のふりをして会っていることは、おそらく先輩にはばれているだろう。
――あんたって案外、ドライなのね。
姉貴の言葉が、ふと思い出される。
確かに自分も、こんなにあっさりとよく知りもしない女性に手を出すような人間だとは思わなかった。
まあ、女との関係など、比べる対象はひとりしかいないのだが。
ドライといえば聞こえはいい。
ただ流されているだけのような気もする。
流されやすいということは、つまり生活が満たされていない証拠だ。
いったいなにが不満なのか。
特別に幸福と思ったこともないが、それほど不幸だと思ったこともない。
確かにまあ、男としての欲求は以前と比べてだいぶ制限されているように思う。
それは仕方がない。思春期の同居人がいるのだから、彼女に悪い影響がないようにするのは当然のことだ。
「先輩。ですから、聞いてますか?」
おっと、悪い癖だ。
いまは彼女との会話を優先させなければいけない。
「それで、なんだったか?」
「もう。来週の日曜日。先輩のおうちに行きたいって話ですよ」
思わず、煙草を取り落とした。
「うわ!?」
「せ、先輩!?」
慌ててそれを払った。
灰皿の中にそれを押し込んで、コホンと咳をする。
「えっと。すまんが、またの機会にしてくれないか」
「またですか?」
「あ、あぁ」
「どうして?」
「えっと、ほら。雨が降るかもしれないだろ」
「……先輩のおうち、屋根ないんですか?」
何度か、同じような申し出を受けていた。
しかし、そのたびになにかと理由をつけて断ってきた。
それもそうだ。うちにはクリスマスがいる。
親戚でもない女子高校生と同居しているなど、口が裂けても言えない。
「だって、先輩。いつもそうやってはぐらかすじゃないですか。そんなに家になにかあるんですか?」
いかん。ここまで積極的におれの生活に入ってこようとする女性は初めてだ。
こう考えると、本当にさゆりは距離感の心地よい女性だったと実感する。
いや、可愛らしい女性に好かれて悪い気はしないのだが……。
「ど、どうしておれのうちに来たいんだ?」
「え? えっとー……」
彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。
「その日、わたしの誕生日なんですよね」
「…………」
「だめですか」
「……ちょっと考えさせてくれ」
さすがに恋人の誕生日のお願いを無下にすることはできない。
おれはとりあえず保留を選択した。
―*―
その夜。おれは部屋を見回した。
相変わらず、部屋には乾かない洗濯物が干してある。
あれだけ言ったのに、やはり彼女の服をこちらに干しっぱなしだ。
それだけではない。
クリスマスの鞄や化粧道具。
ゆるキャラの描かれた食器や女物の洗顔剤などなど。
彼女の痕跡はいたるところにある。
やはり、こんなところに真紀を上げるわけにはいかない。
これほどのものを隠すとなると、当日にちょっと、というわけにはいかない。
気は進まないが、クリスマスには事前に言っておくべきだろう。
彼女と夕飯をとりながら、さりげなくたずねた。
「おまえ、来週の日曜はなにしてる?」
「…………」
クリスマスはなぜか、ぽかんとした顔でおれを見ていた。
「な、なんだ?」
聞くと、彼女は箸を置いてずいと顔を寄せてきた。
「お、オジサン。どうしたの? え。来週の日曜日?」
「あ、あぁ」
おれはそんなに変なことを聞いただろうか。
いや、確かにこれまで、休日の予定など確認したことなどないが。
「い、いやな。来週の日曜、ここにその、……友人を招くことになってな。できれば、友だちとでもどこかに遊びに行ってほしいんだが。あ。おれの都合だし、小遣いくらいなら……、ん?」
見れば、クリスマスがじっとおれを見ていた。
いや、これは睨みつけている。
さすがにもう半年も同じアパートに住んでいれば、彼女がどういった気分かは察せるようになる。
簡単に言うと、なぜか彼女は怒っていた。
すると、彼女はそっと目を逸らした。
「……わかった。学校の友だちと遊んどく」
やけに聞き分けがいいな。
まあ、変にごねられるよりはずっといい。
少しだけ罪悪感があるが、もともとここはおれの部屋だ。
いつもわがままを聞いているし、たまにはいいだろう。
とりあえず安堵すると、食器の片づけをするために立ち上がった。
クリスマスが、なぜかおれを見ているような気がした。
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