5月のヒナドール(2)
クリスマスがベッドに寝転がり、足をぶらぶらさせながら漫画雑誌を読んでいる。
「おい、こら」
クリスマスはこちらを振り返った。
「なに?」
「なに、じゃねえ。この洗濯もんだよ」
ダイニングに干してある洗濯物を指さした。
そこにはおれとクリスマスの服がずらりと並んでいる。
本当はコインランドリーにでも持って行きたいところだが、生憎とこの数日は仕事が忙しくてそのひまもなかったのだ。
普段着や制服ならいい。
問題はこれだ。
「こっちにパンツを干すんじゃねえって言ってんだろ」
「えー。だってこっちに干すと湿気っぽくなって臭いんだもん」
「空気洗浄機があるだろうが。だいたい、年頃の娘が男の部屋に自分の下着を干すなよ」
「いまさらー? いっしょに洗ってるんだから気にすることないじゃん」
「おれが嫌なんだよ!!」
「オジサン。変なとこデリケートだよねえ」
やかましい。
おまえがずぼらすぎるだけだ。
クリスマスの制服などをとると、それを彼女に押しつけた。
「ほら。半分はおまえの部屋だ」
「ねえ、交換しない?」
「は?」
「オジサンの服をこっちに干して、わたしの服はそっちに干すの」
「おまえ。ひとの話、聞いてたか?」
「だってさー。なんか、自分の下着が目に入るとこにあるのって嫌じゃない? でもオジサンのパンツだったら干してても平気かな」
いや、おまえのこだわりなんて知らねえよ。
「とにかく、おれが帰ってもこっちに干してたらぜんぶ捨てるからな」
「え。オジサン、どっか行くの?」
「この前、言っただろ。ちょっと実家に顔を出してくる」
「わたしも行く!」
慌てて立ち上がろうとする彼女の頭を押さえつけた。
「ふざけんな。家で大人しくしてろ」
「ぶー。ひまです。わたしはオジサンが構ってくれないと三日で死んじゃいます」
「ならあと二日は放っといても大丈夫だな。じゃあ行ってくる」
おれは家を出るとき、ふと振り返った。
「ついて来たら張っ倒すからな」
「しないよー。信用ないなあ」
そんなものは、もとからない。
―*―
いつも仕事に行くために乗り換える駅で、いつもとは違う路線に乗った。
同じ東京とは言っても、西側はずいぶんとのどかなものだった。
子どものころはそれが嫌だったが、いまになるとこちらへ引っ越すのも悪くないんじゃないかとも思う。
やがておれは駅で降りて、近くの大型スーパーに寄った。
一階のテナントがひしめき合うフロアで土産の和菓子を買うと、久しぶりの実家へと向かった。
実家は郊外の一戸建てだ。
猫の額ながら庭もある。
お袋の趣味の家庭菜園が少し増えているような気がした。
「ただいまあ」
戸を開けるが、迎えがない。
この時間だと伝えていたはずだが。
まあ、いいか。
許可がなければ入って悪いということもあるまい。
鍵も開いているし、いるにはいるのだろう。
奥から話し声も聞こえる。
しかし、やけに会話が弾んでいるように思えた。
靴を見ると、両親のものだけではなく、姉貴のものらしい黒い革靴もある。
……おい、嘘だろ。
その隅に、ちょこんと置いてあった赤いスニーカーに目をやる。
いや、別に珍しくもないものだ。
ただ、おれはどうにもその靴に見覚えがあった。
靴を脱ぐのもまどろっこしい。
おれは急いで居間に向かった。
そして、その光景に思わず土産の和菓子を落としてしまった。
「あ。オジサン」
なぜかクリスマスがちょこんと座って手を振っている。
その前には、なぜかおれの高校時代の卒業アルバムが開かれていた。
「あ。おかえりー」
姉貴がさきいかをつまみながら、平然とした顔で言った。
「…………」
姉貴に返事もせずに、クリスマスの襟を掴んだ。
廊下に引きずっていくと、彼女を睨みつけながら言った。
「おまえ、ひとの話を聞いてたか?」
「別行動だもん。ついて来てないじゃん」
なんだか、前にもこんな会話をしたような気がする。
「そっかー。これはオジサン、一本取られちゃったなあ」
その頭にチョップをかました。
「あいた!」
「どうして場所がわかった!?」
「免許証の本籍地を見た」
「来るなと言っただろ。おまえ、どう言い訳するつもりだ!」
「どうって……」
クリスマスがちらと居間を見た。
そこにちょうど、お袋が台所からお茶をのせた盆を持ってきた。
「あら、あんた帰ってたの?」
「お、お袋。こいつは……」
「あぁ、あんたの上司の娘さんだってね」
は?
クリスマスを見ると、彼女は首を振った。
「お袋。その情報はどこから?」
「みち子が言ってたわよ」
みち子とは姉貴の名前だ。
そちらに目を向けると、彼女はにやにや笑っていた。
「あんた。とうとうさゆりに愛想尽かされちゃったんだって?」
なっ!?
「ど、どうして知ってるんだ!」
「だってこの前、本人が言ってたよ」
「会ったのか?」
「うん。たまに映画、いっしょに観に行ったりしてるもん。あんた知らなかったの?」
……知らなかった。
いくら彼女のことを見てなかったとは言っても、ここまでとは……。
少なからずショックを受けていると、姉貴はさらに追い打ちをかけてきた。
「いまは中学校の先生とつき合ってるんだってさ。あんた、うかうかしてると先に結婚されちゃうよ」
「…………」
な、なんだ。この気持ちは。
いや、自分はもう吹っ切れたはずだ。
未練がないと言えば嘘だが、それでも過去は乗り越えたはずだった。
待て。落ち着け、おれ。
それよりも確認しなければならないことがある。
「……こいつのことは、さゆりが言ったのか?」
「うん」
「な、なんて言ってた?」
姉貴は訝しげに首をかしげる。
「その子のご両親が海外出張で? でも高校に通うためにひとり暮らしで? たまたま同じアパートに住んでたあんたが様子を見てやってて? それで懐かれて、こうして遊びに来ちゃう変な子で?」
「……そ、そうなんだ。こいつ、本当に困ったやつでな。ずっとマンション暮らしだったから、一軒家が見てみたいとか言ってなあ」
クリスマスが不機嫌そうにわき腹を肘で小突いてきた。
やめろ。ここが瀬戸際なんだ。
うまく信じ込ませないと、本当におれは牢屋にぶち込まれてしまう。
しかし、そうか。
さゆりのやつ、本当のことは言わなかったのか。
助かった。もしおれだけの言葉なら、おそらくは信じてもらえなかっただろう。
もう少し、ちゃんと別れを言えばよかった。
「ほら。あんた、いつまでも突っ立ってないで。夕飯は食べてくんでしょ?」
「あ、あぁ。そうするつもりだ」
上司の娘と聞いて、お袋は媚びる気満々である。
まあ、本当のことがバレて揉めるよりはいいか。
ため息をつくと、土産をテーブルに置いて顔を洗いに洗面所に向かった。
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