3月のスターチス(3)


「忘れ物って、なにか送り損ねてたか?」


 あのクリスマス・イヴから二週間ほど経ったころ、おれは部屋にあった彼女の私物をすべて送っていた。

 衣類やアクセサリー、それに本や化粧品など。

 それになにか、漏れがあったのだろうか。


 しかし、彼女の返事は歯切れが悪かった。


「えっと、その……」


 もしかして、なにを忘れたのかわかっていないのだろうか。

 いや、そんなはずはないだろう。

 わざわざ自分から別れを切り出した相手の部屋を訪ねるのだ。

 なにか明確な目的がなければできることではない。


「しおり、なんだけど……」

「しおり?」


 クリスマスがどや顔で解説してくれる。


「オジサン、知らないの? 本に挟むやつだよ」

「そんなこと知ってるわ」


 こいつはどれだけおれを馬鹿にしてるんだ。


「どんなやつだ?」

「えっと、淡い紫の押し花のやつ」

「確かにおれの部屋にあるのか?」


 こくり、とうなずく。


「……あれから、本を捨ててなければだけど」


 おれは漫画の散らかった部屋を見回した。

 クローゼットには、まだ手をつけていない本が段ボールに詰まっている。


「まあ、ちょうど整理してたところだ。ついでに探してみるか」


 クリスマスがこちらを見ているのに気づく。


「……なんだ?」

「オジサン、なんか優しくない?」


 ぶっと吹き出した。


「ば、馬鹿なこと言うんじゃねえよ!」

「えぇー。だって、わたしがヘアピン探してって頼んだときも、自分で探せって言って手伝ってくんなかったじゃん」

「おまえのは自業自得だろうが。結局、風呂場の棚の裏に落としてただろ」


 と、背後から視線を感じる。


「……お風呂、ここの使ってるんだ」


 さゆりの視線が、なぜか虫でも見るかのようなものに思えたのは、きっと気のせいではなかった。


「いいから探すぞ! ほら、おまえも手伝え!」

「やだー。わたしバレンタインと遊んでくるー」

「だめだ。見つかるまで昼飯なしだからな」

「えぇー。さっきは外に出とけって言ったじゃん!」


 逃げようとするクリスマスを捕まえる。

 こうして本の分別がてら、彼女のしおりを探すことになった。


 ―*―


 てっきりすぐに見つかるかと思いきゃ、しおり探しは意外にも困難を極めた。

 あれから二時間も、黙々と本をめくっては部屋の隅に積むを繰り返す。


 その間、これといって会話はない。

 気まずいばかりで、気が狂いそうだった。


 それもそうだ。

 いくら十年来のつき合いとはいえ、いまのおれたちは別れたばかりの元恋人だ。


 ……いや、あるいは別れる前からこんなものだったのかもしれない。


 思えばここ数年、さゆりと仕事のこと以外の会話をしたことがあっただろうか。

 あったのかもしれないが、その内容もまったく覚えていない。

 所詮は心のない言葉を並べただけだった。

 そんなふたりが、ここにきてよくしゃべるなど、あり得ないのだ。


「アハハハ」


 その能天気な笑い声に、いらっとした。

 目を向けると、早々に片付けに飽きたクリスマスがソファに寝転がって漫画を読んでいる。


「おい、こら」


 その尻を軽く蹴飛ばした。


「れ、レディーに向かってなにすんの!」

「なにがレディーだ、ちんちくりん。遊んでる暇があったら、そこのいらない本を紐で縛ってろ」


 むっとしたクリスマスが、ソファの上に立ちあがった。


「どうやら、わたしの魔貫光殺法をお見舞いするときがきたみたいだね!」

「やってみろ。おれのかめはめ波で消し飛ばしてやる」

「ようし。吠え面かくなよう」


 両手を上げて謎のポーズをつくる彼女の頭を、学生のころに使っていた辞書で小突く。


「いいからさっさとやれ! ほんとに飯抜きにすんぞ」

「……はーい」


 クリスマスはしぶしぶとビニール紐を手にして、いらない本の山に手を出した。


「ったく」


 と、さゆりがこちらを見ているのと目が合う。


「……す、すまんな。こいつも悪いやつじゃないんだが」

「いや、そういうわけじゃなくて……」


 と、うしろでどさどさと本が崩れる音がする。

 振り返ると、クリスマスが縛っていた本が雪崩を起こして崩れていた。


「オジサン! これ縛れないんだけど!」

「はあ?」


 見ると、クリスマスの縛り方はめちゃくちゃだった。

 ただぐるぐる巻いて結んでいるだけでは、崩れるに決まっている。


「いいか。こういうのは、こうやって左右の紐を交差させてな……」

「へえ。オジサン、器用だねえ」

「普通だ、普通。ほら、やってみろ」


 彼女は教えた通りにやってみるが、どうにも力の入れ方が弱い。


「それじゃ緩くてすぐ解けるぞ」

「こんなの無理だよー」

「無理じゃねえ。ほら、いっしょにやるぞ」


 クリスマスが握っている紐に手を添えて引っ張ってやる。


「あ。できた!」

「そんな感じで、ひとりでやってみろ」


 一度やり方を覚えると、それ以降は喜々としてやるのが彼女だった。

 まるで子どもが新しいことをなんでも繰り返すようなものだ。


 おはらはらしながら見守っていると、ふいにさゆりが肩を叩いた。


「ねえ、ちょっと」

「あん?」

「話があるんだけど」


 クリスマスをちらりと見る。

 彼女は新しく縛る本を楽しそうに積み上げていた。

 さゆりに向かってうなずくと、クリスマスに言った。


「ちょっと飲みもん買ってくる」

「わたし午後ティー」

「はいはい」


 そうして、おれはさゆりと部屋の外に出た。

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