女であることを受け入れられない

本を処分しに行き、買い取り金額を計算してもらってる間に店内をうろうろしていると、中村うさぎ『私という病』がふと目に入ったので手に取った。


中村うさぎは数冊読んだことがあったが、帯の「《ああ、お願い。誰か、私に欲情して。》女としての価値を確かめるため、私はデリヘル嬢になってみた」というアオリが気になってページをめくると、まえがきに次の一文があった。


『私としては、「中村の面白おかしくスケベなデリヘル体験記が読みたい〜」という動機で多くの男性読者が手に取ってくれることよりも、数は少なくていいから、「私は、女であることに、どうして馴染めないんだろう」とか「中村と同じように自分も性的自己確認に悩んだことがある」といった想いを抱えている女性読者の手に、この本が届くことを望んでいる。』


あたしは10代の頃、男になりたかった。正確に言えば「弟になりたかった」わけだが、それは「弟になりさえすれば母親からの愛情を得られる」と思い込んでいたからだった。潜在意識に隠されていたそれに気づいてからはその願望は消えたのだが、しかし「男になりたい」という想いが消えはしたものの、今現在も自分が女であることに対する違和感というか、自分が女であるということをすべて受け入れることができずにいる部分がある。


たとえばそれは「かわいい」と言われること。まぁこんな性格なのでそう言ってもらうことは稀なのだが、数年前、そう言われてひどく落ち込み精神状態がよろしくなくなったことがある。好意的な言葉であることは充分理解しており、だがそうであるからこそ精神的なダメージとなった。なぜなら──これは「男になりたかった」とも関係することなのだが──あたしには「かわいくないこと」が必要だったのだ。


あたしには誰かに庇護されたという記憶がない。実際にどうだったかは置いといて、あたしは両親や家族に限らず誰かから「庇護された」ことによる安心や安堵を感じたことがない。なのでずっと「自分は庇護されることのない人間なのだ」と思い込んできたわけだ。そして「なぜ自分は庇護されることがないのか」の理由として必要だったのが「かわいくないから」なのである。


「かわいい」と言われてしまったら、自分が庇護されないことの理由がなくなってしまう。幼い頃から理由もなく誰からも庇護されたことがないなんて、そんなの「自分が必要のない人間だから」としか思えないではないか。自分が必要のない人間なのだとは思いたくないため、あたしには「かわいくないこと」が必要であったし、「かわいい」と思われないよう振る舞ってきたのだと思う。


と、ここまで読んだ方の中には「かわいいと言われることがなぜ『女であることを受け入れられない』ことと関係するのか」と思う方もいるかもしれない。だがこのふたつはあたしの中では関係している。あたしには男尊女卑というか、「男は女を支配し庇護するもの、女は従属し庇護されるもの」という強い意識が根底にある。この「庇護されるもの」という点でこの二つは繋がるのである。


まぁ「かわいいと言われることが嫌」と「女であることを受け入れられない」を繋げてしまうのはかなり強引な気がしないでもないが、あたしの中で「庇護されないこと」というのは「女であると認められないこと」になっており、実際庇護されない理由が必要なあたしは「女であると認められない理由」を探しはしないにせよ、女として扱われることにいつもどこかしら居心地の悪さを感じるのだった。


もしかすると女であることを受け入れられないのは「男(弟)でないと家族から必要とされないから」だと、そう思う気持ちがあるからなのかもしれないが、まぁそんなわけで時折「なぜ自分は女であることを受け入れられないんだろう」と考えるあたしにとって、上記引用は気持ちを引き寄せられるものだった。これを読んでその理由がわかるようになるとは思っていないが、何らかの光明をあたえてくれそうな気がしたのである。


なので速攻購入決定、先ほど半分ほど読み終えたのだが──万人に薦めはしないが、本のタイトル『私という病』が示すように「自分は必要とされているんだろうか」と悩んだり、あるいは心を病んでいそうなあたしと同年代以上の女性にはお薦めする。若い女の子が読んでもいいが、ある程度以上の年齢でないと実感が湧かないこともあるように思う。



以下覚え書き。


『私たちは、自分を肯定したいのである。社会的にも性的にも人間的にも、「私はこれでOK。ちゃんと、周囲の皆に認めてもらってるわ」と安心したいのである。仕事場の上司や同僚や後輩たち、取引先の人々、友人、恋人、家族から、自分の「存在意義」をそれぞれ肯定されて、初めて私たちは自分が一人前の人間であることを確認する。人間はひとつの役割だけで充足できるものではない。「社会的な役割と価値を持った私」「プライベートなコミュニティ(家族や友人関係)での役割と価値を持った私」「性的な役割と価値を持った私」と、さまざまな方向から多角的にアイデンティティを承認されることで、私たちはようやく一個の完全な人間としての存在を達成した気になれるのだ。』


「自分は必要とされていない」「どこにも身の置き場がない」ってのはつまりこういうことなんだな。

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