深刻にならない
家の事情で昨年から少しずつ心の状態が悪化……というか以前に逆戻りしているような気がしないでもない今日この頃。昨年11月に祖母が施設に入りホッと一息ついたものの、父の認知症による言動が少しずつひどくなっていっている。
物事の認識や理解力が小学生程度まで下がっている感じで、けれど本人は至ってふつう、健常な大人のそれだと思っているっぽい。些細なことが気に障って怒鳴り散らし、心配ごとが思い浮かぶとその場で解決させたがり、しかしそれが常識的に考えて難しかったり無理なことであっても、自分の思い通りになるのが世間一般的に当たり前なのだと思い込んでいる。
病気だ、そういうものなのだ、と思っても一緒に生活するのがつらい。父の機嫌の良し悪しや、仕事から帰ると怒鳴り散らしていないだろうかと怯える日々がひと月以上も続いていて、デイサービスに行く日は多少気が休まるものの、それも半日だけ。怯えによる緊張、どうにもならないことからくる切迫感、それが続くことによるストレス。それは吐き出すことが出来ず溜め込まれてゆく。心の状態も悪くなる訳だ。
このままこんな状態が続いたらいつか限界が来る。少し前、「また父を殺したいと思うようになるんだろうか」とときどき考えた。でも今はそんなことは考えない。そんなことを考える余裕がなくなった。そしてこのままだと本当にまずい。10代の頃のように父を殺すか自分を殺すかの二者択一になってしまう。
だがそんなことを考えていたとき、ふと思った。深刻になるからいけないんだと、もっとテキトーでいい加減でいいんじゃないかと。物事には抜け道や逃げ道がある、正面から向き合って深刻になるより、捉え方を変えて気持ちが楽になるよう受け流せばいい。
父と一緒に暮らす限り、決して緊張感や切迫感はなくならないだろう。それをそのまますべて受け止め続けたらきっと袋小路に追いつめられ、自覚もなく決断してしまいそうな気がする。そんなことをあたしは望んでいない。怯えずにすむこと、追いつめられないこと、望むのはそれだけだ。そしてそのために必要なのは深刻にならないこと。
これからどんどんひどくなってゆくのだと思う。1年前、2年前のことを思い返すと確実に悪い方へ進んでいる。この状態がいつまで続くのか、いつ急激な変化があるのか、考えるとただただ気がふさぐ。けれどそうやって不安に怯えて過ごすだけではもったいない。出来るなら軽い気持ちで楽しく過ごしたい。
未来に何が待っているのかなんてわからないけど、きっと自分の捉え方、考え方次第で別のものに変わるはず。ならば変えてみせよう、笑って過ごせるように、楽しい気持ちで過ごせるように。そう、今年の目標は「深刻にならない」にする。自分に都合のいい解釈で捉え方で。
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