かなしいな

身体のどこにも異常はないのに、声が出なくなったり、身体を動かせなくなったことはあるだろうか。


病院へは行かなかった。だから何が原因かは知らない。何があったかも思い出せない。憶えていたくなかったから、忘れた。


「声が出なくなったり、身体が動かせなくなった」という過去も、ずっと忘れていた記憶だ。そして、その当時(高校生の頃)の両親の反応というのは、「何をふざけているのだ」というものだった。


……ふざけていたわけじゃないんだけどね。



身体は正直だ。


心はいくらでも騙せる。見たくないものを無意識の内に追いやり、思い込みによってまったく別の認識を作り出す。けれど、そうして心を歪めた分だけ、無理矢理に身の内に押し込んだ分だけ、身体は異常をきたす。


正常であれという自らの願いもむなしく、心の痛みを感じなくなったあたしの身体は、その意志に反して狂った。



それぞれに理由は異なるけれど、ネット上で苦しみを訴える人々がいる。そしてときどき、そういう人々を罵倒する言葉も見かける。


腹は立つが、見ないふりをする。


話し合えばわかり合えるのかもしれないが、その努力を別のところで使いたい。ここでこうして、不特定多数の人に向けて、理解してもらえずとも訴えたい。その人達はほんとうに苦しいのだと。そして、そういう人々が、どうすれば少しでも楽になれるのかを。


けれど、ときどきどうしても怒りを押さえきれなくて、ぶちまけたくなるので──。



悲しいな、と思う。


「誰もが苦しいんだよ、それでもがんばっているんだよ」という言葉。


そんなもの、なんのなぐさめにもならない。誰もが苦しんでいるから、誰もががんばらなきゃいけないなんて、そんな理屈が通るとは思わない。他人の苦しみなんて本人じゃなきゃわからないんだから、自分とは比べられない。



「誰もが苦しいんだよ、それでもがんばっているんだよ」──その言葉は、あたしには「自分だってがんばっているんだから、あんたもがんばれ」「自分だって我慢しているんだから、あんたも我慢しろ」そう聞こえる。


悪気があって言っているわけじゃない。励まそうとして言ってくれる言葉だ。それがわかるから、「こんなに苦しいのに我慢しなきゃならないのか」という言葉を飲み込んで、自分を押さえつけて、それを見ないようにして、他人に感謝する。



誰もが苦しみを抱えているのは知っている。だからがんばろうとする。でも、それでも耐え切れずにこぼすと、「自分だって苦しいのだ、あんただけじゃないんだ、不幸ぶるな」と、喉元に「好意」という刃物を突きつけられて。



精神異常にならない方が変じゃないのか。それに耐えられることの方が狂っているんじゃないのか。



以前にも書いた。あたしは「自分が世界一不幸だと思うことにしている」と。悲劇のヒロインになりきり、他人の中傷など気にせずにそれに酔うと。



「世の中には自分より可哀想な人がいる」と言う人がいる。


だが、それは冗談だろう? なぜそうやって、他人の幸、不幸を決めることができる? 自分より不幸な人間がいると、それよりはマシだと優越感に浸って自分をなぐさめたいだけだろう?



「誰もが苦しいのを我慢してがんばっている、なのに自分だけが不幸だと喚くな」? 笑止。自分だって喚きたいんだろう? それができない恨み辛みを、喚くことのできるうらやましさを、ただ吐き出してぶつけているだけだろう?


──叫べばいい。



苦しいと、つらいと、悲しいと。


叫べばいいのだ。



誰もあなたの苦しみは理解できない。なんでもないことのように思ってる。自分の方が不幸だと、本当は心の底で思うから、「あの人よりはマシね」という意味の、「世の中にはもっと不幸な人がいる」という自慰的な言葉を吐く。



叫べばいい。叫んでいいんだよ。


その声が届く人は必ずいる。どれほど苦しいかわからなくても、その傷に気づいて包んでくれようとする人はいる。そして、もし誰も見つからなかったなら──。



あたしにできることなんて限られている。ただ一緒に「苦しい苦しい」と悲しむことくらいで、ときにはさらに苦しみを増やすこともあるだろう。自分の苦しみさえ治せてはいない。


けれど、「それでいい」と言うのなら、ここにおいで。



中には傷の舐め合いにすぎないと、笑ったり嘲る人もいるだろう。甘えるなと罵る人もいるだろう。けれど、言いたい人には言わせておけばいい。



あなたが望んでいるのは何? 欲しいものは? 我慢しなくていい、それを口にしていいんだよ。他人が傷つくことなんて気にしなくていい。


なぜなら、それは悪いことじゃない。あなたは、他人の苦しみをも引き受けるから、それほどに苦しいのだから。



昔、あたしはすべてのことを飲み込んだ。自分がすべての元凶なのだと思い込んで、愚痴も不満も漏らさなかった。誰に言ってもうなずいてもらえるとは思わなかった。


だから声を失くしたのか。しゃべることのない人形のように、身体を動かすことをやめたのか。



わからない、わからないけれど。


あたしはそうして十代を過ごした。

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