自虐的な言葉と自己卑下
あたしは一体いつから自分を罵らなくなったのだろう。web上に言葉を綴り始めてから少なくとも最初の一年は、それほど頻繁ではないにせよ、時折そうした言葉を吐かずにはいられなかったはずだ。なのにいつの間にそれをしなくなったんだろう。
とは言え何もある日突然それをしなくなったわけではなく、少しずつその頻度というかそれをする間隔が空いてゆき、気づくともうずいぶんそんなことをしていない、というのが現在のところで、もしかするとまたいつか、あたしは自分に向かってひどい言葉を吐くのかもしれない。
けれど、今そんな欲求はあたしの内になく、己を悪し様に罵る言葉も思い浮かんではこない。おそらく自分を罵る必要がなくなったからだろう。そう、自分を罵る必要がない──自分を罵る必要がない? じゃあ以前は「自分を罵る必要があった」ということだろうか。なぜ、何のために?
夏の終わり、ある人と逢って話しているときにリストカットの話題になった。そこからどう話が展開したのか憶えていないが、会話の中であたしは、なぜ以前の自分は自己卑下したり、自虐的な言葉を吐いていたのか、の理由を話していた。そして、最初は別の理由でそんなことをするのだと口にしていたのだが、どうにも違うような気がして考え込み、そしてふと気づいた。あたしは“安心したかった”のだ。だから己を罵る言葉を吐いていた。
以前のあたしは自分が生きていなくともいい人間だと思い込んでいた。誰からも必要とされず、求められもしない、もし存在しなくとも誰にもどこにも問題はない人間なのだと。しかしそうして自分の存在を否定しながらも、あたしは基本的にとても自分自身を愛していたのだろう、「自分がなぜ誰からも必要とされないのか」と葛藤し、その理由がはっきりとわからないことに恐怖していたのだ。そしてその恐怖を解決する方法が「自分を罵ること」だった。
愛しい自分、それが誰からも必要とされないのには理由がある。誰もそれを指摘してはくれないが、きっとこういう理由に違いない。そしてそれを他人は見抜いており、嫌悪し、ゆえにあたしを必要とはしないのだ。
そう、己の欠点を暴き出し、徹底的に罵倒することで「己がいかにどうしようもない人間であるか」を明示する。そして、「だから自分は誰からも必要とされないのだ」と思うことで安心する。理由もなしに自分が誰からも必要とされないなんて耐えられない、だからこそあたしは自分自身で「必要とされない理由」を作り出さねばならなかった。
誰に限らず、己の欠点と向き合うのは嫌だろう。さらにその欠点を突き詰め、事細かにどこが悪いと言い募れば、心は決して平穏でいられるはずはなく、ひどい痛みを訴える。実際、自分を罵倒するときというのは常に痛みを伴っていた。けれどそれを押してなおそれを止められなかったのは、自分で己の心を抉る痛みより「理由もなしに必要とされない恐怖」の方が大きく、それに蝕まれて心を壊死させてゆくよりは、どれほどの痛みであろうともそれと引き換えに得ることのできる「必要とされない理由」という“安心”が欲しかったからだ。
何よりも、どんなことと引き換えにでもあたしはそれが欲しくて堪らなかった。己を罵ることで心から流れ出る血を感じなければ、「自分が必要とされないこと」に納得できなかった。だからあたしには、自分で自分を罵る必要があったのだ。
客観的に見れば「不幸だな」と思う。そうして己を傷つけることなしには心の穏やかさを得られないなど、痛みを伴わなければ安心できないなど、不幸以外に何と言えばいいのだろう。しかも当時は、そんな自分を不幸で可愛そうなどと思うことは自尊心が許さなかった。あたしはさまざまなもので己を縛りつけ、傷つけていなければ、己を保つことさえできなかった。
だがしかし、それは少し前までのあたしだ。今のあたしは「なぜ自分を罵らねばならなかったか」の理由すら忘れかけ、あれほどに恐ろしくて仕方のなかった「自分が必要とされない理由がわからない」という想いも、それがどんなものであったか、はっきりと思い出すことはできない。それほどに「自分を罵らねばならなかった自分」は遠いものとなってしまった。
そして裏を返せばそれは「自分は誰からも必要とされていない」という想いが薄らいできている、ということだろう。実際に自分が誰かから必要とされているかどうかは置いておき、「自分が必要とされない理由」を探す必要がなくなったからこそ、あたしは己を罵る必要もなくなったのだ。
自分を罵ること──それはあまり褒められることではないし、おそらく人から見てもあまり心地良いものではないだろう。しかし以前のあたしにはそれが必要で、そして、それを否定も肯定もせず、どれほど自分を悪し様に罵ってもただ見守ってくれた人達がいたということが、「自分がどんな人間であったとしても必要とされないわけじゃない」という実感を、“安心”を、あたしの無意識に生んでくれたんだろう。
決して短くはない時間、あたしは自分を罵り続けた。そうすることでいつの間にか「自分は誰からも必要とされていない」という悲しみはやわらぎ、また、真の意味での“安心”を得ることができた。人からどう見えたにせよ、自虐的な言葉と自己卑下はあたしにとって必要だったのだろう。
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