忘れていいよ

『不実』を書いてから9ヶ月が経った。あの頃のあたしというのは「忘れられること」を非常に恐れ、その恐れは怒りに転化してしまうほどだった。世の中のさまざまな出来事──起きたばかりは人の口に上るそれが時間と共に忘れ去られ、ただ消費されてゆくことに自分自身の姿を重ね、己の存在そのものや感情が消費され忘れられてゆくことに怯えたのだ。


だが今は、「忘れられること」「忘れてしまう人」に対しての恐怖はそれほどない。大きな事件が起きたとき、その場だけで喚き立てる人々に対する不実さは感じるけれども、それを糾弾しようという思いはほとんど消えてしまった。そしてそれはなぜかと言ったら、「どれほど忘れてしまう人が多くても、必ず憶えている人はいるだろう」と思えるようになったからだった。


web上で言葉を発していると、いろいろな人がそこを訪れ、通り過ぎてゆく。その中には本当に素通りしてゆくだけの人もいれば、一時留まってくれる人もいる。そして全体として見れば、おそらくそのほとんどは去ってゆくのだろうと思うけれど、しかしそんな中で、あたしという存在を忘れることなく、四六時中ではないにせよ気にかけ、思いを向けてくれる人はいてくれる。


「自分は誰からも必要とされていないのではないか」「自分には思いを向けてくれる人などいないのではないか」と思い込むうちは心が萎縮し、視界も狭められ、短絡的な思考に陥り、正しい判断ができない。だがその思いが取り除かれれば心は安定し、落ちついて周囲を見、自分の置かれている状況や、己に関わろうとする人々のこともわかるようになる。


あたしはずっと「自分のすべてを理解し、受け止めてくれる人」を求めていた。だが、そんな人は世界中を探したところで見つからないと気づいた。そしてその事実に絶望したけれども、その後わかったことがある。「あたしのすべてを理解せずとも必要としてくれる」あるいは「思いを向けてくれる」そういう存在はあるということだ。


すべてを理解し、また憶えていてくれる人など存在しない。けれども、だからと言って「己は誰にも必要とされないか」「誰からも忘れ去られてしまうか」というとそうではない。人それぞれに思いの深さは違うけれど、あたしが今ここにこうして生きていることを好ましく思ってくれている人は、確かにいる。


おそらく、「自分はまったく理解されない、必要とされていない」と強く思い込んでいたからこそ、あたしは「すべてを理解し、受け止めてくれるたったひとりの誰か」を探し、その誰かへ依存しようとしていたのだと思う。その誰かに必要とされることで己の問題はすべて解決し、他の人間とのコミュニケーションも上手くゆくようになるのだと勘違いしていたのだと思う。


けれど世界はあたしと、あたしを必要とする誰かの二人だけで出来ているわけではなく、好むと好まざるとに関わらず、多くの人々と関わってゆかねばならない。だからこそ、誰かひとりに己のすべてを預けるのではなく、関わり合うひとりひとりにそれぞれに適当な理解と受容を求め、またあたし自身も、相手に対してそうすることが大切なのだと思う。


そうして、「たったひとり特別な誰か」ではなく、関わり合う人々それぞれに適切な理解を得ることが必要なのだと気づき、また「あたしを必要としてくれる心はある」のだとわかったとき、あたしの内から「すべてをわかって欲しい」という思いと、「己を忘れられてしまう」という恐怖はずいぶんと薄らいだのだった。


それほど怯えなくとも、あたしを忘れずにいてくれる人は存在する。多くの人は忘れてしまうかもしれないけれど、それでもすべての人が忘れてしまうわけではない。それに、「忘れること」は決して悪いことでも罪でもない、と最近思うのだ。


世の中はたくさんのことで溢れていて、心を痛めたり神経をすり減らすことがあまりにも多く、そのすべてを憂い、忘れずにいようとしたら、それこそその人自身が疲れはて、命を縮めてしまう。だから、その人自身にとって生きてゆく上で大切なこと、重要であること、それ以外を忘れてしまっても、それは決して人が責めていいことではないと思う。


人はみな己のために生きている。そしてそのために忘れることが必要だったのなら、それは責めることではなく「そうなのだ」と受け入れて良いことなのだと思う。なかなかにそう思えることはないかもしれないし、どうしても忘却を許しがたい場面もあるのだろうけど、それを受け入れることでまた、己の心が安らぐこともあるかもしれない。


忘れること、というのはときに人に衝撃や悲しみをもたらすもので、それは自分自身ばかりでなく、関わり合う人々をも巻き込むものであったりする。けれど、それでもあたしは「忘れていいよ」と思う。


あたしのことを、あたしの内にある感情を、忘れていい。あたしのことばかりでなく、世界にたくさんばらまかれたさまざまな出来事を、事件を悲劇を、忘れていい。憶えてくれている人はちゃんといる。そして忘れてしまう人々も、きっと己が生きてゆくために忘れてゆくのだろう。


だから忘れていい。忘れていいよ。

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