第10話 ――あの日、友と成せなかったことを今度は私が成そうと、そう決意した次第であります。皆さんのご声援痛み入ります!(歓声の嵐)
――昔、大馬鹿野郎が一人いた。そいつは代々続く家業が嫌で町長の家に談判しにいった。結局町長にはそういった家業をどうこうできる権限もなく何も変えることはできず、返ってそういった危険思想を持つ者として厳重注意を受けた。その一件もあり決まっていた縁談はなくなり、せめてもと腹の子を引き取ることができただけで、それ以来もめ事に首は突っ込んでも自分から人を動かすような行動に出ることはなかった。
この町はよく言えば一体感があり、裏を返せば乗せるのがうまい祭り好きな町だ。
葉太郎はそんな若い日のことを思い出しながら、あのとき、――家が電気屋だから国の方針には逆らえないと言っていた喜助の父親の言葉を思い返していた。あいつもきっと祭りに加わりたかったんだろう。そんな気が、忘れていたことを思い出させた葉一の話を聞いて、そんな気がした。
案の定昼前にはお菊が駆けこんできて葉一は再度群衆のところまで引っ張り出された。
「おいそんな無理に押すなって! 痛ぇよ」
そんな言葉も聞かず人混みの中を押しこまれ最前列まで出る。ラン太郎と輝喜がすでにいた。
「葉一も来たか。これ何か聞いたか?」
「よくわかんねえけど、父ちゃんは祭りだって言ってた。踊らにゃ損だってさ」
「そっか、輝喜も知らないらしいんだ。今朝になって急に親父さんが始めたんだとか」
町の人々の声で近くにいても叫んで話さなければならないほどで、輝喜の父はそんな中で少し擦れた声を出しながら声を大にしていた。
「科学の進化とは地位や家柄ではないのです。今の体制の妨げていることは科学の進歩そのものであります。かつて若者が立ちあがり残念ながらその望みは通りませんでした。だからといってこのまま諦めていいものなのでしょうか。私はその頃まだ子どもでした。考えが子どもでした。そして、つい昨日であります、旧友の言葉を思い出すことができたのです。彼はかつて私にこう言いました。動かなければ何も変わらない。やらずに後悔するならやって後悔したほうが万倍ましだ、と。私は今までその後悔の念を人に向けることでしかどうすることもできなかったようです。それは間違っていました。私は、この町のために、この町の未来のために、何をすべきか、何ができるのか、――あの日、友と成せなかったことを今度は私が成そうと、そう決意した次第であります。皆さんのご声援痛み入ります! (歓声の嵐)」
はたから見たら異様だったかもしれない。だがこうして目の前で町のことを考えて熱弁する友人の父親の姿を見せられては応援せざるを得ないではないか。ついこの前までいがみ合っていた電気屋が、家業の在り方について異を唱えているのだ。葉一はこれが大人なのかと思った。大人の行動力なのだろうと。
その晩は祭りの熱も冷めやらず――、電気屋では決起集会という名の飲み会が行われていた。
振舞われる食事にあやかる形で三人は輝喜の家へ上がり込んだ。
「うわー広いなぁ」
「金持ちかよ!」
好き放題言う三人。そう言えば輝喜の家に上がるのははじめてだった。
「住み込みの社員もいるから広いだけだよ」
お菊が途中にあった台所をふと覗いてみると、そこには珍しい調理器具が揃っていた。
「ねえねえ輝喜、あれ、あれ何?」
棚の上に置かれた四角い奇妙な箱を指さしたずねる。
「あぁ、あれは電子レンジっていうんだよ」
「レンジ? 電子を出す箱なの?」
聞き慣れない言葉だった。何かの実験道具だろうか。箱は光り、中では何かが回っている。
「いや、実際に電子を出すわけではなくて、電磁波の力を使って中に入れた物の水分子を振動させるんだ。その熱で温める道具さ」
「火を使わないなんて便利ねえ」
チーン。とは鳴らずレンジは音声で終了を知らせた。シブいおじさんの声で、どこか父のような温かさを感じさせる不思議な声だった。
「お菊、あんまり人ん家覘いて回るなよ」
葉一に言われ少しむっとした顔をして見せる。こういうさり気なく気にかけてくれてるところは嫌いじゃなかった。
「ここがぼくの部屋。散らかってるけど、気にしないでほしい」
「またまたぁ。そんなこと言ってピッカピカなんでしょう?」
そう言いつつガチャリと葉一は戸を開けると、そのまま静かに閉じた。
「……倉庫ですか?」
「……いいえ、自室です」
しばしの沈黙。
「いやいやいやいやいや、本しかない! あと机! 寝床は? テレビもあるんじゃないの?」
「いやいやいやいやいや、寝床あるからロフトあるから! テレビはリビングだから!」
「ああ、とにかく入るわよ?」
そう言ってドアを開ける。たしかに本棚が壁沿いに並び机がぽつんとあるだけの部屋ではあったが、散らかっているというよりも物寂しい印象を受けた。ひんやりとした部屋は薄暗く、勉強のための部屋ということがよくわかった。
電気が点く。唯一本棚のない面はグラデーションのかかったカーテンがされていた。
「うおおお! オーロラだ!」
葉一が声を上げる。言われてみればたしかにそう見える。
「変な色のカーテンだろ? 親が勝手につけたんだよ」
「いいなあ。かっこいいなあ」
葉一は輝喜のいう変なカーテンに夢中だ。本当、こういう感性だけは理解できない。男だからとかいうのでなく、葉一独特の感じ方なのだろう。
「まあ適当に座ってってよ。食事持ってくるから」
輝喜はそう言って部屋を出て行った。お菊は本棚を眺めながら、たまに手にとっては開いて閉じて戻していた。その間も葉一はカーテンをいじって見たり、離れて見たりしている。
「あんたそんないじくって壊さないでよね」
「ああああああ!」
注意をすると葉一がまた声を上げた。
「ちょっと、壊したんじゃないでしょうね」
慌ててカーテンを見るが破れてはいないらしい。葉一はカーテンの裏に隠れて見えないが、どうやら外を見ているようだ。
「警察が来た! なんか大変だぞ」
「葉一、まずいおじさん捕まるかもしれないぞ!」
本を読んでいたラン太郎が立ちあがり言う。
「え? 捕まるってどういうことよ」
カーテンを翻し戸を開ける葉一に続いて部屋を出ながら聞く。
「おじさんが言ってたことは間違ってないかもしれない。だけど国の方針に反してるじゃないか。きっと誰かが告げ口したんだ」
「一体誰がそんなことするのよ」
お菊はなぜこんなことになったのか整理のつかないまま走った。
途中輝喜とすれ違いざまに事を告げ輝喜も加わる。
せっかくこの町が変わるかもしれないのに。家族がばらばらになるなんてこともなくなるかもしれないのに。一体何が間違っているんだろう。お菊の思考は同じところを回っていた。
「お菊! 遅れてるぞ」
葉一の声が前方から聞こえ前を見る。玄関口の戸は開かれたままになっていたため、庭の様子が四角く切り取られて映る。
大人たちの怒声、罵声、喧々騒々。先程までの喋々呶々とした庭は一転し、戦国映画か幕末戦争物を見ているようだった。お菊は足が竦むという言葉の意味を初めて体験しその場から動けなかった。
「こんなの間違ってる!」
お菊の叫びは空しく霞む。
ラン太郎も葉一も、輝喜も皆戸から向こうへと行こうとできずにいる。
「葉一、どうするよ」
輝喜が言葉を漏らすように言う。
「どうするったって、俺たちじゃどうにもできるもんじゃないだろう」
ふと気付くとラン太郎の拳がふるふる震えているのが目についた。
「なあ輝喜、俺は甘かったよ。昨日の朝、親父が自分から動いてくれたらそれですべてが戻ると思っていたんだ。何も、むしろひどくなっちまった。やっぱり何もしないほうがよかったんだ。きっと――」
ラン太郎が呟く。外の音にかき消されておかしくない言葉は一つひとつしっかりと耳に入ってきた。
「ラン太郎、お前は何も気に病むな。昨日言っただろう? うちの親は正気じゃなくなってるんだって。やっぱり、やることが正しくてもやり方が違ってたんだよ。だからこんなことになってるんだ。俺たちの誰も悪くない。あの人が悪いんだ」
パチーン!
背中を思い切り叩く。驚いた顔で輝喜が振り向く。
「何よ! 誰が悪いとか悪くないとか。そんなこと言ってたらいつまでたってもなすりつけ合ってるだけじゃない。誰も悪くないに決まってるでしょ! やり方が違ってたならやり直せばいい。間違っているなら正せばいい。そうやって人は今までうまくやってきたんじゃないの? そのうまいやり方を模索することを放棄したのは国の偉い人じゃない! 町の人は誰ひとり悪くないし、悪いとすれば悪を決めることで悪をつくった決まりが悪いのよ! どう? 決まりを変えなけらば評価は変わらないわ。分かったでしょ。これは私たちにも大人にもどうにかできる問題じゃないのよ」
お菊は何に対してなのか涙を流していた。
確かにお菊の言うことは正しかった。解決することはできない。でもこの惨状じみた現状を治めるだけの力が欲しかった。それすらないと感じている自分を悔いている三人。状況は変わらぬまま時だけが、長い時間が過ぎているように感じられた。
「――屋あああ! 電気屋ああああ!」
一際大きな声とも呻りともつかない言葉が群衆の向こうから聞こえてくる。その声は警官も町人も背の高い草のように掻き分け、目的の人物のもとへと近づいていく。喜助もその声に気付いた様子でその男を見る。
ツンツン頭と髭ぼさの大男が対面する。
電気屋は男の顔面を思いっきり殴った。
「へい! 電気屋、やっちまえ!」
大衆がどっと沸く。それは喧騒を止め敵味方なく視線を集めるのに十分であった。
殴られた男、バラン屋は表情を変えず同じように電気屋を殴った。ただ違ったのは微動だにしなかったバラン屋に対して電気屋は後方に飛ばされるように倒れた。
「……ヨウちゃん。俺はさ、俺はよ」
鼻血を拭いながら電気屋は立ち上がる。
「俺は本当は、お前とあん時やらかしたかっただよ。こうやってさ……」
鼻血と鼻水と涙でぐしゃぐしゃにした顔をバラン屋の胸に押し付けて言った。
「――喜助。祭りはもう終いじゃ。同じ過ちをしようなんてお前らしくないじゃないか。なぁ?」
「俺は、どうしたらいい?」
もう大人も子どももなかった。そこにいるのは町を想い、人を想う人間がいるだけだった。
謝ればいい。葉太郎はそれだけ言うと大衆に向き直り声を上げた。
「おうおう、みなの者聞いてくれや」
バラン屋が波を押し消す大声で言う。あたりが一瞬で静まる。空気は鋼線のごとく張っている。
「電気屋はただ自分の理想を熱く語っただけだそうだ。それをみんなが盛り上げちまったから引くに引けなくなったそうじゃないか」
なぁ電気屋? と言葉を電気屋へ向ける。
「――ああ。ああ、そうだ! みんな、すまない。俺はやりたいことを今日一日みんなに言った。だがそれを実行することは俺にはできない。言うことしかできないんだ俺は。みんな、本当に申し訳ない!」
「だそうだが、思想の自由、言論の自由でも警察はこいつをしょっ引くのかい?」
職業の自由の代償に国は思想・言論・表現の自由の規制をだいぶ緩めていた。それゆえ実行犯でなければどんな危険思想たりとも警察程度では対処できない。
それを知っているのは、町長と、かつて同じ理由で釈放された者くらいだった。
「それであれば、我々の役目ではないが、以後気を付けるように」
そう言うとすっかり落ち着いた人々の後方に集まっていた警察隊は熱も冷めたと引き返していった。
「世の中まで変えなくても、電気屋が電気を作ってくれれば家も町も明るくなるじゃねえか。電気屋が暗い顔しててどうするよ」
葉太郎は人々が捌けるとそう静かに言った。
喜助は思う。大きなことを成すには時間がかかる。――能力がいる。――タイミングがある。今はそのときではないと。
そして自分にはその何もかもが足りなかった。残された人生で出来ることと言えば電気屋としての仕事くらいだ。電気屋として子どもたちにできることは――。
冬の夜空は透明でどんな小さな星も見えるようであった。まるでオーロラのように星の光が滲んで見えたのは電気屋だけではなかったようだ。
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