第7話 大人三人が座ると長椅子が弧になる
「つま屋の次は菊屋とは、明日は魚屋あたりでも押し掛けるつもりかい?」
菊屋の女房は店先でそう笑った。
「いやなに、お前んとこのが、勉強できるみたいなはったりかましてるらしくてな。本当ならと思って確かめに来たまでよ」
少し険しい表情を見せたがすぐ戻すと、
「あら、うちのはよくできる娘でしてよ。運動もお勉強も。いったい誰に似たのかねぇ」
「あんたがわざわざ隣県から嫁いできたのは知ってるんだよ。あんたの実家は何屋だったんだい。ええ?」
また人だかりができると面倒だと思い喜助は声を張り上げないよう言う。
「何屋だっていいじゃないですか。家がどうの、身分がどうのだなんて歴史上のお話ですよ。私は菊屋の女房なんです。それでいいじゃないですか」
喜助は教えたくない理由があるに違いないと思い、それを隠し通そうとする菊屋が気に食わなかった。
「よくねえからわざわざ聞きにきてるんだ。電気屋としての保身に関わる問題だからな。聞かせてもらうまでは帰らんからな」
言うと店先の長椅子にどんっと腰かける。
「そんなところに不機嫌そうな顔があったら売れる花も売れないじゃないか」
そこまでされては堪らないと思ったのか、菊屋はあっさり態度を変えて中に招く。
戸を閉めると誰にも言うんじゃないよと念を押してから話し始めた。
「実家の家業は電磁気系の研究職だったんだよ。それも先々代までの話さ。電磁気学の研究が世界レベルで停滞してこれ以上の発展は見込めないと科学協会が決め電磁気学を素粒子学と統合しちまったから仕事はすっからかん。それで祖父の代までで辞職手続きをしてうちは解散しちまったのさ。父と母は地元で手伝いとして電気屋に勤めてるがね。子どもらまではどうにもいかず、運よくというか女兄弟しかいなかったうちはみんな近くに嫁に出されたってわけさ」
喜助はさらっと言われた事の大きさに驚いた。職とは代々継がれることがあたり前であるはずなのに、国の意向であっさりと途切れてしまうこと。その国レベルの決断が一町の一家の身を脅かすこと。そのあまりにもピンポイントかつ直接的な影響力は決して人ごとではなかった。万が一、発電業が昔のように国営に切り替えられたなら今の生活は泡のごとく消えてなくなるだろう。そのとき自分はどうするだろうか。残された輝喜はそれまでの勉学をすべて無駄だったと思うだろうか。それとも、あっさりと家を捨ててしまうのだろうか――。
「さ、教えたんだ。さっさと帰っておくれ」
ガラッと戸を開けられる。喜助は店を出ると長椅子の隅に腰かけた。
「ちょっと、何また腰かけてんのさ」と言うも表情から何かを察したのか菊屋はそれ以上何も言わずに店支度を再開した。
喜助の心境は、明日世界が終ると宣言された人のようだった。いや、想像すらしていなかったことが起きると知らされた感じがしていた。信じられないことなのに、現実は確かに目の前に存在していて、それがいつ我が身に降りかかってくるか知れないもののようだった。
立ち上がる。
「なあ、俺はいったい何を為せるだろう」
誰に言うでないように呟く。
「そうねえ。町のためになることをしたらいいんじゃない? つまらないより楽しみがあるほうがいいじゃないか。私はそう思ってるよ」
「そっか――、そうだよなあ。でもよ、俺は後悔したくねえんだよ。何をして喜べるかなんてちっともわからねえんだ」
電気屋はそう言いとぼとぼと歩きだした。
「あんまり悩んでもつまらないよ! 話くらいなら聞くからいつでも来な」
去りゆく電気屋の背中に声を送った。聞こえなかったのか聞こえたのか、少し背筋を伸ばした電気屋は通りをゆく人の中へと消えていった。
消えていった方向と反対からはつま屋の姿が現れた。ラン太郎と輝喜のふたりがあとをついているのが見える。菊屋は不思議な組み合わせだと思いつつ、打ち水をはじめた。
「おはよう。電気屋は来てないかい」
案の定つま屋は声を掛けてきた。
「電気屋なら用件済ませて今しがた帰っちまったよ」
後ろで子どもたちがつま屋に申し訳なさそうに安堵していたので、お菊とヨウちゃんなら二人ででかけたよと言うと、二人はありがとうと駆けていった。
「子どもらは元気でいいね」
「彼らももう大人ですよ」
それにしてもつま屋が電気屋のもめごとに首を突っ込みに来るだなんてめずらしかった。
「まだまだ、もっとあの子らは成長していくよ。それにしても珍しいじゃないか」
「珍しいって何のことだい?」
つま屋は長椅子に腰かける。
「電気屋に何か言うことがあったんだろ?」
「ああ。もう済んじまったことだからいいんだけどね。私ももう少し大人にならないとってあの子らに背中押されて来たようなものですから」
なるほど、あの子らに説得されて来たわけかと菊屋は経緯を察した。
「なら今度はあんたの意志でぜひ来てもらいたいもんだね」と言って菊屋も腰をかける。
「今度からはぜひそうさせてもらうよ。あの子らに、この町で何ができるかって考えさせられたからね」
つま屋の顔つきはいつもの気弱そうな細目でなく、何か遠くにある眩いものを見ているような顔をしている。
「笑って身守ってやればいいんじゃないかね。大人にできることなんてそんなもんだと思うよ」
「そうなんだろうね。だけどさ、技術や知識やそんなものだけじゃなくて何か残してやれるものがないだろうかってね」
菊屋は吹きだした。
「あんた死んじまう人みたいな物言いはよしておくれよ。おすそわけでいいんだよ。何事もさ。お国のお偉いさん方がどういう意味で言ってるのかは知らんがね。私はこう思ってるよ。おすそわけってのは、悩みや辛さ、悲しみ、喜び、そういったもんをみんなで共有していくことだってね。小さな町じゃないか。みんな笑って生活したいと思ってるよ。少なくとも私は思ってるよ」とお菊の母は笑顔を見せた。その顔に一瞬どきりとさせられた自分がいることがつま屋は恥ずかしかった。
「そういや、電気屋に変なこと言われなかったかい?」
「変なこと? たいしたことは何もなかったねえ」
そっかとかあいつら大げさに言いやがってとかぶつくさつま屋が言っていると後ろからぬっと毛深い腕がその首にかかる。
「店も畑もいねえと思ったらこんなとこにいたのか。二人して朝から何話しこんでるんだい?」
バラン屋は二人並ぶ椅子にどかんと座る。さすがに大人三人が座ると椅子が弧になるのを感じる。
「何、将来について語ってたのさ」
菊屋が言う。
「将来ねえ。俺は大きくなったら、――やっぱりバラン屋がいいねえ。バラン屋は楽だぞお、バラン切ってりゃいいんだからな」
そう言ってバラン屋は笑う。
「ヨウちゃん、あんたそれ以上大きくなられても困るって」
「そうだよ。熊みたいな図体してるんだからさ。そのうちパンダみたいになっちまうよ」
菊屋もつま屋に同意した。
「なんだい二人して人を大男みたいに言いやがって」
三人並んで話していると、昔の、子どもの頃にした他愛もない話をしているような気持ちになって懐かしい、愛おしい気がした。
こんな日々を守っていくのが大人の役目なのかもしれないと、そう思った。
「おう、三人して朝から賑やかだねえ」
向かいの八百屋が声をかけると、その隣の魚屋が加わり、そのうち鶏屋、雑貨屋、金物屋に乾物屋、お茶屋と次々人が集まりめいめい話し始める。町の日常は人が作りて、かくあるべし。そう言ったのは何代目の町長だったろうか。
小春日和の温かな一日のはじまりだった。
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