第5話 お菊の謎
専門書の棚は分類もいい加減で、力学・経路積分・バイオ工学・リー群・電磁気・脳科学・現象学・民俗学・経済学・心理学とちぐはぐな状態で並んでいた。
「あいかわらず分かりにくいんだよ」
輝喜はぶつくさ言いながら電磁気学の本を開く。そこにはたしかにお菊の諳んじた式が書かれていた。――ね、輝喜もいらっしゃいよ? 合言葉、変わってないからな!
「来いよ、か。今さらになって行きにくいったらねぇってわかって言ってるのかねぇ」
カードは最終貸出が五年前で止まっていて、そこへ今日の日付と名前を書き輝喜は電磁気学の本を持ち帰った。
「ただいま戻りました」
家に戻るとすでに家庭教師が待っていた。
「あ、おかえり、輝喜君。それじゃあはじめようか」
今日は若い人が担当か、とため息をつく。
「あ、前回の問題、ここの計算間違えてて答え合わなかったみたいだったよ」
だから言ったんだよ。先生の計算違いませんかってさ。それなのに意地かしらないけど合ってるって言い張ったのは自分じゃんか。
「はぁ、そうですか」
社員の息子で二十歳くらいだったろうか、どうもこの人とは気が合わない。
「あ、じゃあはじめよう。今日は百三十二頁からだ。ここの磁力線の密度を――」
あいかわらず二時間のはずがずるずると延び、計算が合わなければあれ、とかこうだったっけなどと自分の世界に入ってしまったりというものだった。ちゃんと教えろ!
「先生、時間です」
「あ、あ、ごめん。じゃあここの導出は次回までにやっておくから続きはまた来週で」
そういって若い男は帰っていった。本当、物理担当を変えてもらいたいが、会社の関係者だと後々まずいかもしれないと思い我慢していた。
「数学のテキストは、っと」
入れ違いのように次の家庭教師がドアをノックする。あと六時間、長いなあとため息をつき、返事をする。
全ての勉強が終わるとすぐに夕食の時間。これが輝喜の日常だった。
「ねえ、お菊のお母さんってどこの家の人なの?」
食事もひとしきり終わると輝喜は父にたずねた。
「たしか、隣の町だったかな隣の県だったかもしれんなあ。まぁどっか遠くから嫁いできたんだとよ。菊屋にわざわざ遠くから嫁いで来るんだからたいした家じゃないんだろうなあ」
「今日図書館でお菊にあったんだけどさ。あいつマクスウェル方程式理解してるっぽいんだよ」
「そんなはずがないだろ。菊屋だぞ」
喜助は声に出して笑った。
「でもお菊の話だと母方の家が電気関係の家らしいんだよ」
「それはないなあ。あれの旧姓は知っているし、電気屋なら組合書で把握してある。そんなわけがなかろう」
たまたま本で読んで覚えていただけだろうと喜助は言っていたが、たまたま読むだろうか、ましてや興味だけで覚えられるものだろうか。お菊の謎は残されたままとなった。
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