第1章 #放蕩魔術師、野に下る

第4話:下界

 はじめに意識された五感は、聴覚であった。

 ドドドドドドという低音と、ぴちゃぴちゃという高音。


 それが水の音であるということは、本能的に把握。

 把握はすれど、意識はまだ微睡まどろんでいて、思考という焦点が結ばれない。

 目を瞑ったまま、ぼーっと水音を聞いている。


 すると次は、触覚が刺激された。

 頬にぺちぺちと衝撃が走る。

 そして背中に重力を感じる。

 自分はどうやら仰向けに寝転がっている状態らしい、と判断。


 身体というものの存在を思い出したかのように、身震いした。


「う、うう……」


 息が漏れる。そして、声を聞いた。


「あっ、意識が……あの、えーと、大丈夫かな?」


 まったく聞き慣れない、透き通るような高音。


「お、んな……?」


 一気に思考が流れ込み、目を開いた。

 いつ以来だろうか、まったく久々に目にする日光に、視界はホワイトアウト――その中に、金色の髪、大きな蒼色の瞳が、フェードイン。

 目の前には、膝をついて自分を覗きこむようにした、女の子がいた。


「おにゃのこおおおおおおおおおおおおお!!!」

「ひゃ、ぁっ!」


 ゼータの突然の咆哮に少女は後ろに倒れ、尻もちをつく。

 腰を抜かしたのだろう、あられもない姿勢にも構わず足をガクガク震わせ、立ち上がれない。

 膝丈のスカートをはいていたことも、その姿勢のまずR-15さを加速させている。


 一方ゼータは、まだ混乱の中にいた。

 神秘体験、外気、日光、目前のファンタスティックウォーターフォール信じられないほど大きな滝、金髪美少女、M字開脚、ぱんつ。

 これら要素を統合し「転生完了」と親指を立てる文脈を彼は持ちあわせていない。


「おにゃのこおおおおおおおおおおおおお!!!」


 自らの存在と眼前の少女。

 それを確認するかのように再び吼えて、立ち上がると、少女を組み敷くように飛びかかった。


 それは赤子が産道を抜け発する泣き声と同種の本能的な衝動であったが、それをこの少女が知る由もない。というか知っていても言い訳になっていない。


「ちょ、い、いやぁああっ!」


 腰を抜かしたまま手と尻を使って1メートルほど後退するが、それまで。

 背後を流れていた川の浅瀬に手が浸かり、退路を失う。

 半裸で髪もひげも伸び放題、なぜか腕だけマッチョな真性変態キ○ガイ風の男の手が、迫る。


――その時だった。

 

 少女はすっと手を頭へ伸ばし、ヘアピンに触れて呟いた。


発動ラン


 ヘアピンが強い光を放ち、パチンと砕けた。

 と同時、少女の周囲に透明な膜状障壁が形成され、四方を覆う。


 で終わりかと思いきや、もう1枚。さらに1枚。もう1枚。

 計4枚。赤青緑黄の障壁が、隙間を空けつつ合成される。

 外側から見れば、それらは重なって白色に見えるだろう。


「うおおおお、おが、お、がッ!?」


 ゼータは混乱のうちに2枚目の障壁で後方へふっ飛ばされ、

 ている間に3枚目によるエリアルコンボを見事に食らって、着地直後の4枚目で強制後ろでんぐりがえり二回転を決めた。


 しかしこのファンタジーな衝撃は必要であったといえよう。

 痛みは強制力をもって認識を現実リアルにする。


 自分がなぜか見知らぬ土地にいて、少女に会って(というか襲って)、その少女が魔法――としか言いようがない謎現象を使って、自分を跳ね飛ばした。

 このように正確に認識できる知性が、ゼータの中にもやっと宿った。


 さらなる衝撃を恐れて後ろずさりながら、少女に目をやるゼータ。

 形成は逆転していた。


「ま、まったく、何? わけわかんないよ……」


 ひとりごちながら、立ち上がる少女。

 見慣れない服装――異国、EU圏のものだろうか。よく見れば色ツヤの良い生地で高級感がある。

 しかし、障壁に舞い上げられた水しぶきを浴びて、ずぶ濡れである。


「おにゃ……女よ。我のことを知っているのですか……知っているのか?」


 はじめて、人間同士としての対話が成立した瞬間であった。

 少女は一切警戒を緩めず、答える。


「……知らない。質問をしたいのは私だよ。あなたなんなの? どうしてこんなところで寝てたの? どうして私を襲ってくるの? って違う違う! そんなこと、どうでもいい」


「ふむ……」


 ゼータは冷静に現状を分析する。


 彼女は自分の第一発見者ではあるが、事情は彼女にも把握できていないこと。

 先ほどやらかした情操的行為レ○プ未遂は、おそらくきっと犯罪行為で、このままだと捕まるのではないかということ。

 しかし二度と縁などないと思っていた女性と、このような形で交流できれば望外であるということ。

 そういえば先ほどまでガン見していた布は、ひょっとしてもしかすると、彼女の……下着だったのではないかということ。

 っていうか今なお濡れたスカート透けまくって見えてるじゃねーか、ということ。


「見えているな」

「……何が? 私は何も知らない。ひとつだけ教えて。あそこにあるは、あなたのものなの?」


 少女は、俺の右斜め後方を指差す。

 振り向いたところを攻撃するという小学生並の作戦こなみさくを一応警戒しつつ、美しい景色実質的下着姿を見つめていたい本能リビドーとも戦いつつ、目をやる。


 そこには、昨夜(?)彼が振り回した凶器。

 もとい、ゼータの愛用していたキーボードが。

 ゼルなんとかの伝説的なビジュアルで、石台にぶっ刺さっていた。

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