もう一度、ただいまを言うために 2

 話し合いの後、アイルビーズは食堂に戻り、ガレウも休養のためにまた布団にもぐりこんだ。何やら緊張しており、一睡もできなかった。

 次の日の朝には、ガレウは全快していた。もう何も異常はない。絶好調そのものだ。

 ガレウは着替えをする。エプロン姿ではなく、シャツにジャケット。そして藍色のジーパンを着用する。赤色の髪の毛以外はきちんと身支度をして、後片付けをする。

 着替え終わったところで、扉をノックされる。

「ガレウさん、おはようございます。今、大丈夫ですか?」

 アイルビーズの声。ゆっくりと扉を開けると、そこには鎧をつけたアイルビーズが立っていた。茶色の髪もきちんと整えられており、リュックも背負っている。旅支度は万端といったところだ。

「ミミカさんは、下にいるみたいです。挨拶してきましょうか」

「……おう」

「……乗り気じゃないですか?」

「いや……なんか、アレだ。緊張ってやつだ」

 ガレウは適当に言って、階段を降りていく。緊張というのは、半分本当だ。

「よう、おはよう二人とも」

 ミミカの声。聞きなれた、安心する声だ。ミミカは二人の服装を見て、何かを察したような表情をする。

「朝飯。腹いっぱい食っていけ。おかわりも自由だ」

 カウンターの上に、二つの盆が乗せられる。山盛りのごはんに、大皿に乗せられた肉。そして表面張力が働くほどに注がれたスープ。普通に考えて、朝から食べきれる量ではなかった。

 ゲップを連発するほど、ガレウとアイルビーズは朝食を腹に詰め込んだ。胃袋がはち切れんばかりの食べっぷりだった。

「……げぇっぷ」

「……控えてくださいよ」

「無理」

「あっはっは。無理して食べてくれたのか! ガレウ、あんたやっぱりいい奴だね」

 ミミカはガレウの背中をポンポンと叩く。ガレウが吐き出さないように、優しくだ。

「ミミカさん、お話があるのですが……」

「出てくんだろ」

「え……あ、はい。そうですね……なんでわかるんですか?」

「その恰好みたら、すぐわかるよ」

 ミミカは笑っていた。自分の本心を隠し通すために、表情を固定していた。

「善は急げってね。別れの挨拶なんか適当でいい。さっさと行きな」

「そういうわけにはいきません」

 ミミカは厨房に戻ろうとするが、アイルビーズに道を塞がれる。

「アイルちゃん、どいて」

「しっかりと、お礼を言わせてください。これは、ガレウさんと一緒に決めたことなんです。礼儀を尽くさないと、満足な旅はできそうにありませんから」

 ミミカは大きくため息をついてしまう。

 まったく、自分の気持ちをくんでくれない娘だ。ミミカは内心でそう呟いた。

「わかったよ。聴いてやる。聴いてやるから、終わったらすぐに出ていきな。ガレウもな」

「ありがとうございます」

 アイルビーズは頭を下げる。そして、凛とした表情でミミカをみる。

「ミミカさん。あなたには多大なるご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。私達が至らないばかりに、ミミカさんの愛するこの街を、充分に守りきることができませんでした。こればかりは、いくら謝罪しても足りないと思っています」

「……あんたらが守ろうとしたのは、この家だけだろ? なんで街のことまで謝るんだ?」

「俺たちは……戦ってる間に、街も守ろうって考えてた。俺自身も気が付かなかった。守る対象がでかくなってた。だから、俺たちはちっとも満足しちゃいない。

「ガレウ……」

 ミミカは少し驚いてしまう。ガレウの言葉に。街の破壊の責任を、ガレウはまだ感じているようだった。お前の責任じゃないと、言い聞かせたつもりだった。

「ミミカに言われて、納得はした。俺たちが悪いんじゃなくて、あのガスマスクが悪いんだって。それについては俺も納得してる。でも、満足はしてない」

 ガレウはミミカの眼を見て話す。

「俺が定めた目標には、ちっとも届いてないからだ。いつの間にか膨らんでた目標に、俺は少しも到達できてない。それが悔しくてたまらない。自分の意志を貫けなかったってことだからな。だから、意志を貫けるだけの、街を守れる強さが欲しい」

 ミミカは黙って聞いていた。

「ミミカ。あんたにゃ悪いけど、俺はどうしても街を守りきれなかったっていう後悔を感じちまう。俺は考えたよ。どうすれば、自分自身が後悔しない生き方ができるか。安心して暮らすには、どうしたらいいかをな。それで結論が、強くなること。それだけなんだ」

「強くなる……ねぇ」

「俺は二度と後悔したくない。後悔ってのは安心には不必要な感情だ。だから俺は、街を守りきれるだけの力を得て、また戻ってくる。俺が安心して暮らせるだけの力を得て、またここに帰ってくる」

「ここに、だって……?」

「あぁ。ここにだ。ここは、俺が安心できる、初めての場所だ。安心できるなら、戻ってくるのは当たり前の事だろ?」

 ミミカは感激していた。また、ここに戻ってきてくれるというだけの、たったそれだけの言葉に、涙を流しそうになってしまう。

 ガレウはもう、充分にこの街の復興を手伝った。ガレウは充分に役目を果たしたと思っていた。これからどうしていくのだろうかと、ミミカも気に病んでいた。親心に近い感情だった。

「ははっ……そっか。そうだよな。ガレウ、お前はすごく変わったよ。まさか、そんな……ねぇ」

 これが若者の成長なのだと、ミミカは痛感する。初めてであった時のガレウは、自分以外を信用しない、臆病者だったのに、今では他人のためになるようなことを成し遂げようとしている。これは立派な成長だ。

「もう……そこまで言うのなら、私はもう何も言わないよ」

 涙をこらえながら、ミミカはガレウと向き合う。ほんのわずかな間だったが、ミミカはガレウを家族の一員としてみていた。

「強くなっておいで、ガレウ。もう後悔しないように、満足いくまで頑張っておいで。そして、またここに帰ってきなさい。ここは、お前の家なんだから」

「ああ。世話になった」

 ガレウはミミカに握手を求める。涙腺から溢れ出そうになっている涙を、二人は堪えつつ、固い握手を交わす。またこの家で、安心して暮らすために。

「……では、ミミカさん。今まで本当に、ありがとうございました。この御恩は決して忘れません」

 握手が終わったことを確認して、アイルビーズはお辞儀をする。

「なんだいアイルちゃん。もうここには戻らないってのかい?」

 目元を袖で軽く拭ったミミカは、いたずらな笑みを浮かべてアイルビーズに問いを投げる。

「いえッ……そんなことは……!」

「なら、そんなつれない別れのセリフはないよ」

「……そうでしたね。すいません」

 アイルビーズはガレウをちらりと見る。その視線に何の意味があるのか、ガレウは全く分からなかった。

「ガレウさんはお任せください。私がしっかりと面倒を見ますから。……しばらく留守にしますが、必ず戻ります」

「あぁ、よろしく。絶対だからね?」

「はい!」

 アイルビーズとミミカは、握手を交わした。ガレウの時とは違う、柔らかな雰囲気の握手だ。この家も、街も、すべての場所に安心を与える存在になるために。

 ミミカは結局、涙を堪えきれなかった。いつの間にやら、ぽたぽたと床に涙が落っこちていた。

 ミミカの涙をみて、アイルビーズも涙を流してしまう。ガレウも、ほんのりと涙を浮かべてしまう。

 三人はその涙を恥とは思わない。人前で涙を流すことは、誇りのために控えるべきだが。これは例外だ。涙を流していい場面だ。

 家族と離れ離れになるのなら、涙を流して当然なのだから。人を愛しく思うことは、立派なことなのだから。

 しばらくの沈黙の後、ガレウとアイルビーズは店の出口に立つ。

「いってきます」

「……いってくる」

「おう! いってらっしゃい!」

 別れの言葉は簡潔なのが、ミミカ好みだろうと、二人は何となく察しがついていた。だから、これで終わり。もう何も言い残さない。

 二人が店に背を向けて、どんどんと遠くに歩いていってしまうのを見て、ミミカは何故か誇らしく思えた。自分の家族が、外の世界に旅立っていく瞬間を、この眼でみることができたのだ。

 この世界は自由だ。だから、存分に楽しんでほしい。

 スラムで培った経験を糧に、この街で学んだ優しさを胸にして。ガレウには、いろいろなことを体験してほしいと願う。

 不思議な力をもっと深く掘り下げて、この街だけじゃなく、全世界を守れるくらいに強く、頼もしくなって。アイルビーズには、夢と希望をいつまでも抱いていてほしいと願う。

 二人が、安心して暮らせるその日まで。ミミカは、また二人に会うその日まで。この家を、この街を守り抜くと決めた。


 門を抜けて、街を出た二人はなんとなく、街の風景を小高い丘で眺めていた。

「いやぁ……いいところでしたね」

「未練でもあんの?」

「ない……といえば嘘になりますね。私、あんなに楽しく人と一緒にいたの、初めてです」

「ふぅん……まぁ、スラムよか何万倍はマシだったな」

「そういう比較はよくありませんよ。それぞれいいところがあるはずです」

「俺はまだ二カ所しか知らないんだから、少しくらいいだろ」

「あー……そういやそうですね。ガレウさん、『スターホルダー』になる前に、どっか寄り道でもしますか?」

「しねーよ。さっさと≪アルマ≫の使い方を覚えて、また戻るんだから。寄り道なんてしてる暇はない」

「そうですね。出てきたばかりですが、すぐに戻れるように頑張りましょうか」

 二人は小高い丘を降りて、唯一の『スターホルダー』とされる老人の元へと歩きだす。

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