星を見た 3

 スラムでの生活は、『ドールグス』での生活と言っても変わりはない。幼いころから『ドールグス』の連中に殴られ、怒られ、いいように使われ続けた。そして最後には、ショーの見世物代わりに殺されそうになった。

「お前がギャングでどんな仕打ちを受けてきたかなんて、知らない。さすがの私もエスパーじゃないからね。でも、相当に酷いことをされてきたってのは察しが付く。小さな楽しみがあったから、乗り越えられたんだと思う」

「あぁ、小さな楽しみはあったな……」

 貧相な食事。腐りかけのような温いミルクに、決しておいしくはないパン。それでも、充分に楽しみだった。それしか、楽しみがなかった。

「でも、乗り越えられた理由はそれだけじゃないはずだ。いくら楽しみとはいえ、それは本当にわずかな物だったはずだ。それだけで、ああいう環境で人間性を保てるはずがない」

 ミミカは洗い物を終わらせて、食器を拭き始める。アイルビーズにも布巾を渡して、手伝わせた。

「お前は、自分以外を敵だと思って生活してきたんじゃないか?」

 こいつは何者だと、ガレウは思った。どうしてそこまで心の中まで踏み込んでこれるのか、わからない。

「よりにもよって、敵と認識したんだ。周りに頼れる仲間がいないから、自分一人で頑張るしかない、だから奮闘したんだ。少ない楽しみでも、我慢できたんだ。頑張ることをやめたら、生きていけないからな」

 ミミカは拭き終わった皿を、食器棚に戻し始める。

「疲れただろうに。背水の陣みたいな考え方をして、周り皆が敵だったんだから、精神的にもクタクタだろう?」

 周りの大人は、全員が自分に危害を加える敵である。そう考えていたのは正解だ。誰一人として味方はいない。おちおち眠ることもできやしない日々だった。唯一、安息の時間である食事の時間だけが、心の支えだった。

「ここまでよく頑張った。ここなら、いくらでも気を抜いて構わない。もう気張るのはよせ。あたしは、お前の味方だ」

 ミミカは、ガレウに優しくそう言った。

「味方……」

「あぁ味方だ。敵じゃない」

「そうですよ! 味方です! 友達です!」

 アイルビーズも乗っかってくる。ここぞとばかりに、強調してきた。

「……ふぅ」

 ガレウは息を吐く。

 今まで、こんなことを言われたことがなかった。今日は初めての経験ばかりだ。空を飛んだり、奇妙な力で締め付けられたり、街に入ったり。

 対等に話せる立場の、人間が現れたり。事が起きるたびに、自分を助けてくれる人間が現れたり。薄汚い自分を、『スターホルダー』に誘ってくれたり。

「……あぁ、クソッ。なんなんだよ」

 自分をスラム出身者として、受け入れてくれた人が現れた。快く風呂を貸してくれた。久しぶりで気持ちが良かった。

 水を飲ませてくれた。水道水だったが、スラムの衛生管理のなっていない汚水よりも格段に美味しかった。本当に久しぶりに、綺麗な水を飲んだような気がした。

 『スターホルダー』を志す、奇妙な女にも出会った。そいつは、殺されかけていた自分を助けてくれた。非常に面倒くさい性格だが、助けてくれた恩は忘れられそうにない。あの時の、アイルビーズは格好良かった。

 まともに会話してくれる。普通に話をしてくれる。普通に話しかけてくれる。

 それだけで、心が締め付けられるほど嬉しかったんだ。

 自分を、見てくれている。それだけで、嬉しかった。

 アイツらとは違う。こいつらは……敵じゃないんだ。

 ガレウの瞳から、一滴の涙がこぼれた。涙がこぼれるのも久しぶりだ。小さいころはよく泣きじゃくっていたが、最近は痛みを我慢していた。

 でも、痛み以外で涙を流すのは初めてだ。この涙は一体なんだ? 止めようにも止め方が分からない。心の中から、溢れ出してくるようだ。

「え、ガレウさんッ!? なんで泣いてるんです!?」

 アイルビーズが少しパニックになっていた。ミミカはそんなアイルビーズを見て、やれやれ、といった表情を浮かべる。

「ガレウ。今日はもう休みな。上の階の、一番手前の部屋を使って。布団は押し入れの中に入ってるから。勝手に準備しなさい」

「……わかった」

 とてもか細い声で、返事をする。小さな暖簾が目印の階段を、ガレウはよたよたと上がっていった。

「おやすみ、ガレウ」

 ミミカの言葉には返事をしなかった。しなかったというよりも、できなかった。今、声をだせば、ひどく情けない声がでてしまいそうだから。ちょっとしたプライドだった。

「ガレウさん……大丈夫でしょうか?」

「アイルちゃん。アイツとは仲良しでいてあげたほうがいい」

「仲良くしたいとは思いますが……ガレウさんが拒否してくるんで」

「明日には大丈夫だと思うよ。ああいう子は、結構素直だからさ」

「どうしてわかるんです?」

「あっはっは。長年飯屋をやっていれば、嫌というほど人を見続けることになる。人を見る目も、養われるってことさ」

 ミミカはアイルビーズに手招きをし、一緒に二階へ上がった。ガレウがいるであろう部屋の前は物音をたてないように静かに歩いた。アイルビーズが案内されたのは、一番奥の部屋だった。

「ごめんね。物置みたいなとこで……」

「いえ、そんな。私、どこでも寝れますので」

「布団は敷いて寝れるだけのスペースはある。確か押し入れの中に……あったあった」

 ミミカは押し入れから布団を取り出す。アイルビーズも一緒に手伝い、布団を敷き始める。布団を敷きながら、二人は話し始めた。

「アイルちゃんは、スラム出身じゃなさそうだね。どこの出身だい?」

「私は、『ホシツナギ』の生まれです。いろんなとこを旅してまわってるんです」

「へぇ……『ホシツナギ』から遥々とここまで、よく来たね」

 『ホシツナギ』というのは、『帝国』から遥か北にある地域の名称だ。そこには特有の民族がいて、『帝国』が支配するのを諦めたといわれる逸話が残る地域だ。

「ガレウとは、今日出会ったんだろ? ってことはスラムにも行ったのか?」

「はい、少し気になることがあって。そしたら、トラブルに巻き込まれてるガレウさんがいたので、助けたついでに一緒に行動してます」

 『スターホルダー』については秘密にしておく。というよりも、話しても信じてもらえない可能性のほうが高いから話さないだけだ。ミミカは信じてくれそうだが、話したって意味がない。

「ふぅん……アイルちゃんも苦労しただろうね。今日はゆっくり寝るといい」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

 布団を敷き終えると、ミミカはすぐに退室した。おやすみ、と言葉を交わしていった。アイルビーズはランプを消す。明かりが消えたことで、部屋は真っ暗だ。

 アイルビーズは、布団に寝転がり毛布をかぶる。一分も経たないうちに、夢の中に誘われていった。

 ガレウも、アイルビーズと同じように疲れ果てており、布団を敷いて、そこに倒れこんでしまう。ふかふかの布団というのは初めてだ。今まで、床に雑魚寝か寝心地の悪いハンモックだった。布団というのは、こんなにまで寝心地がいい物だったのか、と感動した。ガレウは、毛布すら掛けずに寝てしまった。

 この夜、二人は熟睡していた。お互いに、楽しい夢をみる余裕がないほどに、疲れ果てていたのだ。


 深夜、誰もいない道のど真ん中で、二人の男が話をしていた。街すら眠りについているこの時間帯に、外に出ているだけでも怪しく思える。

「例のガキと小娘、本当にこの街にいるのかよ」

「知らねぇよ。朝にはボスが到着するし、さっさと探すぞ。アイツらの事だから、きっと野宿してるだろうし」

 二人は『ドールグス』の構成員だ。警備員には賄賂を渡しておいた。入るときに、ガレウたちのようなトラブルはなかった。

 二人が命じられたのは、ガレウとアイルビーズの捜索だった。それなりに綺麗な服を着て、街中でも目立たないようにしている。こっそりと探して捕まえて、ビクトンに報告しなければならないのだ。

「まったく、『ドールグス』も人使いが荒いんだよな……」

「それをいうなよ。ボスに聞かれたら、俺たちのほうが見せしめにされちまうぜ」

 二人は小声で話をしていた。誰にも会話の内容を悟られないようにしているつもりだった。だが、夜だからという油断か、いつもの内緒話よりも少しだけ声が大きかった。

「貴様ら。何をしている」

 二人の男は、身体を震わせた。暗闇でいきなり声をかけられたのだ。この反応はどうしようもない。

 二人の男は、声がした方を見る。懐中電灯を持った、真っ白い装甲服を着た若い男だった。ただ顔が見えない。何故かガスマスクをつけていた。

「何をしているのかと聞いている」

「なんだお前……?」

「その装甲服、『ギリピス・コミュニティ』の兵士か?」

「いや、私は『テリトリーポリス』だ。今のところはな」

 ガスマスクの男は少しだけ得意げに答えた。

「貴様ら、この街の者ではないとみた。先ほどの会話から察するに、貴様らはスラムの『ドールグス』だな?」

 ガスマスクの男の声色が、どんどんと低くなっていた。『ドールグス』の男たちは少したじろいでしまう。しかし、任務があるため引き下がるわけにはいかなかった。

「あぁ、そうだ。天下の『ドールグス』だよ。『テリトリーポリス』風情が邪魔すんな」

「怪我したくなかったら、あっち行ってろ」

 男たちはナイフを取り出す。サバイバルナイフだ。普通のナイフよりも殺傷力は高い。しかし、ガスマスクの男は恐れることをしなかった。

「ほう、天下……ね。スラムのネズミ風情が粋がるな。貴様らは処刑だ」

 ガスマスクの男は、『ソード・バーナー』を取り出し、スイッチを押した。赤色の炎が、暗い夜道を照らし出す。

 わずか三分で、二人の構成員は、この世から、文字通り跡形もなく消え去った。

 そして、ガスマスクの男は関所から街の外に出る。二人の会話から、『ドールグス』のボスがこの街に近づいていると確信していた。

 数時間後、街の外の森の中で大勢の人間の断末魔が聞こえてくる。街には一切、その声は届いていなかった。誰も助けが来ることもなく、『ドールグス』は一人のガスマスクの男によって壊滅させられてしまった。目撃したのは、野生の動物だけだ。

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