星を見た 2
堂々と門をくぐり、街に入る。
「これが……」
ガレウは感動を隠しきれなかった。街だ。スラムのゴミ屋敷とはずいぶんと違う。木材中心の素朴な家屋。あちらこちらにある石造りの頑強そうな家。どちらかというと石造りのほうが多いだろうか。ガレウにとっては初めて見る街並みだった。
「ガレウさん……? どうしました?」
「いや……なんでもない」
アイルビーズは微笑んでいた。
「ふふっ……。初めてですか? こういう賑やかなトコ」
「賑やかってだけなら、スラムだって同じようなもんだろ。ただ、喧嘩の声が全然聞こえてこないから落ち着かないな」
「そんな声で落ち着ける人は少ないでしょうね。とりあえず、宿を探しましょうか。二人が泊まれそうなとこ」
「……おい。二人だと? お前とはここでサヨナラじゃないのか?」
「はっはっは。逃げようったってそうはいきません。あなたが『スターホルダー』になるって言ってくれるまで、離れませんよ」
アイルビーズは無邪気そうに笑う。ガレウは非常に迷惑そうな表情をするが、アイルビーズは気にも留めない。
「勝手にしろ」
ガレウはアイルビーズの言葉を適当に受け流し、街の中心まで歩こうとする。
「あなたの勝手は、一切許しませんよ? 勝手に歩かないでくださいませんか?」
「ごげッ……!?」
≪アルマ≫による拘束。今度は首根っこを掴まれたような感覚がした。がっちりと掴まれており、身体の動きを封じられている。ばたばたと手足を動かしても、ちっとも自由にはならなかった。
「ズルいぞ……」
「ズルくないです。私の鍛錬の成果ですよ。とりあえず、あの食事処で泊まれる場所がないか聞いてみましょうか」
≪アルマ≫の力でガレウを引き寄せる。ガレウは力に逆らえなかった。後ろに同伴する形になる。
アイルビーズが目をつけたのは、繁盛しているとまではいかないまでも、潰れる雰囲気はないくらいの庶民派な食事処だった。アイルビーズはガラガラと店の入り口の戸を開ける。
「すいませーん」
「はーい、好きな席にどうぞー」
ガレウとアイルビーズを出迎えたのは、妙齢の女性だった。少ししわが目立つが、まだまだ若い雰囲気の女性だった。やたらとエプロン姿が似合っている。
「あぁ、どうも。ちょっと道を尋ねたくて」
「なーんだ。食いに来たんじゃないのか……。ちょっと話の前にいいかい?」
「はい?」
女性は怪訝な顔をしてガレウを見る。また暴言を言われるのだろうと、ガレウは予想していた。
「あぁ……彼は私の友人でして」
アイルビーズはガレウをフォローするように言葉を連ねようとする。しかし女性に遮られてしまう。
「そういうことはどうでもいい。そこの赤髪のガキンチョ、風呂を貸してやる」
「あん? なんでだよ?」
「ここは飯屋だ。あんたみたいな臭いのがいたら、せっかくの飯がまずくなるってもんだ。せっかく綺麗な赤色の髪をしてんだから、とっとと洗っておいで。ほら、こっち」
予想外の言葉だった。ガレウはあっけに取られてしまう。どうせ罵詈雑言を浴びせかけられるか、ねちねちとした嫌味を言われるかだと思っていたのだ。しかしこの女性は、言葉こそ悪いものの、ガレウの想像とは全くの逆。気遣ってくれたのだ。
「どうした? 何、固まってんだ?」
「……いや、なんでもない。風呂……か。あぁ、風呂だな。貸してもらえるのか?」
「だから、そう言ってんだろ。貸してやるから入ってこいって、命令だよ」
アイルビーズの≪アルマ≫による拘束はすでに解かれていた。だが、今度はこの妙齢の女性に腕を掴まれ、浴室まで連行される。
「体に染みついてるその生ごみみたいな臭いを落としてきなさい。髪の毛をしっかり洗いなよ。着替えは適当に置いとくから」
ガレウは呆気にとられっぱなしだった。一体全体、どういうことなのかわからなかった。とりあえず、つなぎ服とパンツを脱ぎ、裸になる。目の前にある木の扉を開けると、そこには浴槽があった。桶と洗身用のタオルも用意されていた。
「悪いね。少し温いだろうが、我慢して。そこにあるもん使いこなして、綺麗になっておいで。彼女を待たせるなよ?」
「彼女じゃないぞ……?」
浴室の外から女性の笑い声が聞こえてきた。からかっているのだろう。
ガレウは浴槽のお湯を、桶ですくって、ばしゃりと浴びた。全身にお湯が滴る。気分が良くなってくる。
植物の油から作られた石鹸と洗身用のタオルを使って身体を洗っていく。久しぶりの洗身だ。ガレウに自覚はないが、テンションが上がっていた。
ガレウが身体を洗っている頃、食事場では妙齢の女性、ミミカとアイルビーズが話をしていた。
「すいません、連れがご迷惑を……」
「いいのよ、アイルちゃん。まぁ、迷惑だったけど、それも解消されるわけだし。気にしないで」
「ありがとうございます」
ミミカはコップに水を一杯注いで、アイルビーズに渡した。アイルビーズは快く受け取り、少しずつ飲んでいく。歩き疲れて喉が渇いていたが、行儀が悪いと思ってチビチビと飲んだ。
「あの……ガレウってのは、スラムの?」
「はい、私も詳しくは聴いてませんが、スラム暮らしが長かったみたいですね」
「そうか、苦労してきたんだろうね」
ミミカはコップの水を、何気なく揺らした。
「スラム育ちってのは、一目でわかるものでね……」
ミミカは過去を思い出すように話し始める。アイルビーズは真剣な表情で聞いた。
「どいつもこいつも、目つきの悪いことで。あいつ、ギャングか何かの下っ端だったんじゃないのか?」
「よくわかりますね……。確かにガレウさんは『ドールグス』という組織に所属してたみたいです」
「あはは、だろ? アイツの眼は、スラムのゴミ拾いや、威張り散らしてるだけのギャングのでもなかったからさ。野良犬根性が身に沁みついてるって感じの眼差しだった」
ミミカはガレウの眼差しを思い出す。まだ少ししか会話していないが、何となくこういう奴だろうというのは、長い人生を生きてきた経験でわかる。
「アイルちゃん。ガレウの奴のこと、しっかり見ていてあげなよ。ああいうガキは、ほっとくと何をやらかすか、わかんないから。いつ悪に染まってもおかしくないと思う。だから、あのガキのストッパーになってあげたほうがいい。……他人のあたしが、何を偉そうに言ってんだろうね。忘れていいよ」
「いえ、忘れません。しっかり覚えておきます」
ミミカの言葉は、的を射ているかもしれないとアイルビーズは思った。確かに、ガレウはいつ悪に染まってもおかしくないような性格をしているのだ。だから、『スターホルダー』である自分が、しっかりしなくてはならないと思えた。
「……失礼なことをお聞きするんですけど、いいですか?」
「なんだ?」
「……おいくつですか?」
「あんたの歳の三倍くらいだ」
アイルビーズは絶句する。アイルビーズは十七。その三倍となると五十一。くらい、と言ったことから正確ではないのだろうが、五十一だ。見た目はまだ三十路といったくらいだというのに。アイルビーズは人間の可能性を垣間見た気がした。
アイルビーズとミミカが談笑していると、ガレウが浴室から出てくる。白いシャツの上に、真っ黒なジャケット。小奇麗なジーンズを着用しているため、アイルビーズにはパッと見て誰だかわからなかった。つなぎ服で見慣れていたからだ。
「ガレウさん?」
「なんだ?」
「マジでガレウさん?」
「そうだけど」
綺麗な服に清潔な印象だけで、人の雰囲気が変わることを、アイルビーズは初めて知った。面がいいのはわかっていたが、綺麗になることでさらによくなっていた。
「おや、結構似合うもんだね。見てくれだけはいい男だよアンタ」
「……この服、洗って返したほうがいいのか?」
「いや、構わないよ。それ、古着屋の友達から譲ってもらったやつだから」
「それならなおさら、返したほうがいいだろ」
「新しい服の素材にって、くれたんだよ。あたしには、服を作るって趣味があってね。孫だけ似合うなら、くれてやるよ。あたしが作り直すよりいいかもしれないしね」
「……そうか。ならもらっておく。つなぎ服は、捨てておいてくれるか?」
ガレウにとって、あのつなぎ服は、『ドールグス』から支給された、負の記憶そのものだ。新しい服を手に入れたのなら、すぐに捨ててしまいたいと思っていた。
「アンタがそう言うなら、わかった。捨てておくよ」
台所に行き、ミミカはコップに水を注ぐ。その水をガレウに渡すと、ガレウは水を一気に飲み干してしまう。
「まだ、いいか?」
「水道の水だ。そんなもん好きなだけ飲め」
「……恩に着る」
ガレウが素直に感謝の言葉を述べたことに、アイルビーズは少し驚いた。感謝の念など知らないような男だと思っていたからだ。
「なんだ、結構お礼とか言える人だったんですね。今まで私があなたにしてあげた施しについて、感謝してくれてもいいと思いません?」
「やなこった。お前には、言いたくない」
「なんでっ!?」
「あっはっは。仲がいいね。そういや、二人とも泊まるところを探してるんだろ? ここに泊まっていくといい。店を手伝ってくれればだけどね」
ミミカは二人の事を気に入っていた。というより、気になっていた。二人がこの店の戸を開けて、対面した時から気になっていたのだ。ガレウの生い立ちについても、アイルビーズの生い立ちについても。初めて見た時から分かった。この二人は、とても壮絶で、波乱万丈な人生を歩んでいると。もっと話を聞いてみたいという欲が出てきていた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「……おう」
アイルビーズは丁寧に感謝の言葉を述べた。ガレウは少し照れくさそうに、一言だけ言い放って、ちびちびと水を飲み始める。
すでに空は暗く、街に明かりが灯り始めていた。そろそろ夕食の時間だ。食事処にしてみれば稼ぎのチャンス。ミミカは厨房に行って、食材を準備し始める。
「働く前に腹ごしらえをさせてやる。あるもんで適当に作ってやるから、座って待ってろ」
その言葉からわずか五分で、ガレウとアイルビーズの目の前には、おにぎりが二つずつ、皿に置かれて並べられた。
「すまん、塩むすびだけど、これで勘弁してくれるか?」
「ありがとうございます! いただきます!」
アイルビーズとガレウは礼儀作法というものをぶん投げて、夢中になっておにぎりを食べた。少し塩辛いが、疲れている体には丁度良かった。かなり大きめだったが、三分もしないうちに二人とも食べ終えてしまう。
アイルビーズにとって、久しぶりのまともな食事だった。ガレウにとって、久しぶりの清潔な食事だった。
「じゃあ、さっそくだけど手伝ってもらおうか。あたし一人で注文聞いて、作って、運ぶのは面倒なんだ。あんたらにはウエイターをやってもらおうか。そこにエプロンがある。それつけて準備しな」
「はーい」
アイルビーズはやる気に満ち溢れていた。厨房で水をちびちびと飲んでいたガレウも、ミミカに摘み出されてエプロンを強制的に着用させられる。柄は花柄で、ガレウのイメージとはかけ離れていた。ミスマッチもいいとこだ。
「……お似合いですね……フフッ」
「……やかましい。あと笑うな」
笑いをこらえるのに必死なアイルビーズは、ガレウとは対照的に似合っていた。無骨な胴鎧はミミカに預けているようだった。チャーミングな花柄エプロンが、アイルビーズの可憐さを際立たせている。
「ほら二人とも、お客が入ってきたら元気よく挨拶しなよ。特にガレウのガキンチョ」
「……ガキっていうな」
「お前なんか、アイルちゃんに比べればガキンチョなんだよ。呼ばれたくなければ、きびきび働きな。愛想よくね」
「……ババアが」
その瞬間、ガレウの首筋に冷たい水滴が飛ばされる。油断していた。突然の事で、身体がはねてしまう。
「警告さ。次はどうなるか、想像にお任せするよ」
「……わかったよ」
年上の迫力というものに気圧されて、ガレウは素直に従うことにした。アイルビーズはミミカの迫力を羨ましく思える。アイルビーズのように戦闘能力は高くないものの、芯の強い、アイルビーズにとって理想の女性だ。
その後、お客が続々と入ってくる。外見上では繁盛しているようには見えない店であったが、予想に反して結構な客の量だった。アイルビーズはてんてこ舞いで働いた。ガレウも失敗は多いが、しゃにむにに働いた。アイルビーズの考えていた光景とは真逆だった。ガレウの事だから適当にやって、大体はサボるのではと思っていたが、当のガレウはミミカに怒られまいと必死だった。数時間は、この状態が続いた。
「お疲れさん。もうピークは過ぎたね。あとはゆっくり洗い物でもしようか」
「すいません……お役に立てたでしょうか……?」
「もう何もやりたくないぞ」
ガレウとアイルビーズは疲れ果てていた。慣れない仕事で疲労困憊だった。ミミカはなれているため、疲れている二人を見てにっこりと笑う余裕があった。
「役に立ったさ。普段はあたし一人でやってんだから、労力が激減したね。アイルちゃん、ありがとうね」
「そう言ってもらえると、助かります」
「ガレウも、失敗多かったけど、助かったよ。ありがとう」
ガレウは何も言えなかった。人にお礼をされたことなど、ほとんどなかったからだ。むず痒くて、どうにも落ち着かない。
「はっはっは、ガレウ。これが感謝されるってことだ。スラムでは学べないことだったか? ギャングたちは、教えてくれなかっただろ?」
「……俺がギャングのパシリだったって、知ってるのか?」
ガレウはアイルビーズを睨む。アイルビーズは首を横に振る。喋っていないという意思表示だ。
「アイルちゃんには、答え合わせをしてもらっただけだよ。私は人を見る目には自信があるんでね。あんたを一目見ただけで、どんな人間なのかわかったよ」
ミミカは手際よく洗い物をしながら話していた。話をしながらでも、食器の汚れは綺麗に落ちていた。
「ガレウ、あんたは今の今まで、人とまともに話したことないだろ。周りの大人からいいように扱われて、指示とか命令とかそういうのばかりだったはずだ」
「……そうだが、アンタには関係ないことだろう」
「あぁ、関係ないかもな。なんてったって、ほんの数時間前に会ったばかりだからな。でも、あたしはアンタの事を心配する。関わってやる」
鬱陶しいと思うだろうけどな。ミミカはそう言った。
「お前は、ずいぶんと荒んじまってる。今まで生きてきた場所が場所だから。だから、人と話すのをお前は怖がるんだ」
「……怖がるだと?」
「あぁそうさ。怖がってる。恐れてるといってもいい。お前にとって、他人というのは害悪でしかない。だから怖がるんだ」
ガレウの内面。ガレウ自身も自覚していない心だった。
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