ネコのヒト

「……失敬。取り乱しました」

 こほん、と咳払いをする。先ほどのアイルビーズの声は、森全域に聞こえたのではないかと思えるほどだった。

「……なに? 今の」

「なにと言われましても。私、猫がモノ凄く好きで。ちょっと興奮しちゃったんですよ」

「……へぇ」

 ガレウは少し引きつつ、アイルビーズの横顔をみる。妙に嬉しそうなのが、見てわかる。

「ぐぎゃ、ぎゃぎゃおにゃご。っぎゃっぎゃ、にゃがゆ」

 亜人族というのは、人間とは違った知的生命体のことだ。生息域は非常に広く、様々な種類が存在し、全国各地に生息している。ガレウたちの目の前にいるのは、森林などでよく見かけることができる猫型だ。比較的ポピュラーな種類だ。

「なんだコイツら、山賊か?」

「人間の言葉を発しないからといって、山賊扱いはヒドイですよ。彼らなりのコミュニケーションなんですから」

「だけど、斧とか鉈とか持ってんだが。それに、明らかに敵意剥き出しだからよ」

「……山賊ですかね」

 そう二人が喋っている間も、猫型の亜人の群れはぎゃあぎゃあと騒いでいた。ガレウたちには、その言葉は一切理解できない。

「ほら、『スターホルダー』。出番だ出番。蹴散らしちまえ」

「『スターホルダー』は別に戦闘専門ではありませんよ。相手が攻撃してこない限り、こちらからは攻撃をしないのが『スターホルダー』の掟です」

「さっき、俺に攻撃したよな?」

「……精神攻撃と判断しました」

 アイルビーズが自分を未熟者であると言っていた理由が、理解できた気がした。『スターホルダー』がどんな修行をしているのかわからないが、アイルビーズは自分の心を律しきれていないのだ。

「ガレウさん、自己判断で勝手に逃げてください。ちなみに私は追いかけますから、私から逃げようだなんて思わないでくださいね?」

 ガレウの考えはお見通しだったらしい。事実、ガレウはこの機に乗じて別の場所に雲隠れするつもりだった。

「猫さん達。言葉、わかりますか?」

「ぎゃぎゃぐぎぎくにゃ」

「にゃびびぎ」

 どうにも伝わっているようには見えない。猫たちの敵意は、依然として変わりはない。

「ぎゃにゃげー!」

「にゃーぐがぁぁぁ!」

 二足歩行の猫たちが、斧やら鉈やらを振り回しながら突撃してくる。体長は小さく、威圧感は皆無であるが、持っているのは凶器であるため、脅威なのは違いない。

「……仕方ないですね。対応します」

 アイルビーズは≪アルマ≫の力を右拳に込める。この拳で猫を直接殴れば、猫を木っ端微塵にしてしまう可能性がある。さすがに好きな動物の肉片が目の前を飛び散るのを見たくはないため、アイルビーズはその場で右拳を前に突き出す。

「ぎゃなにゃー!?」

「にゃぎっ!?」

 ガレウとしては、もはや見慣れた。三度も見れば、それなりに仕組みも理解できてくる。猫たちに少しアドバイスをしてやりたいと思える光景だった。猫たちは一瞬だけ宙を舞い、地面に叩きつけられ、そのまま気を失ったようだ。

「なにゃ、ぎゅにゃぎにゃに……」

 ほぼ半数の戦力を失い、一匹の猫がたじろぐ。その一匹だけ、身に着けている装飾が違った。その一匹以外の猫たちは、小汚い布を身体に巻いただけのような姿だったが、あの猫は尖った耳に大きな銀のイヤリングのようなものをしている。あれがリーダーの証なのだろうとガレウは予想する。

「さて、降参してください。伝わらないでしょうけれど」

 アイルビーズは警告する。リーダー格であろう猫は、近くの猫に指示を飛ばしたようだった。

「にゃごにゃーぎゃなぎゃぎゃ!」

「ぎゃーにゃー!」

 どうやら退くつもりはないようで、徹底抗戦の構えだ。猫たちは武器を構え、アイルビーズを睨みつける。

「……引き際を見極められない司令塔は、皆を不幸にするってことを、ここで身を持って知るといいでしょう」

 アイルビーズは≪アルマ≫の力を脚に集中させる。地面を脚で踏みつけ、広範囲を攻撃するアレだと、ガレウは予想した。ガレウはその場からそそくさと退避する。この機会に、あの攻撃の射程距離を見極めておくのもいいと思えた。

「やぁ!」

 ガレウの予想通りだった。もう三度目ともなれば、予備動作で簡単にわかる。結果もガレウの予想と同じ、猫たちは全員戦闘不能になっている。地べたにのびていた。

「そこまで離れなくても大丈夫ですよ」

 ガレウは五十メートルほどにまで下がっていた。あの地面に干渉する技の範囲は、少なくとも五十メートルより短いことが判明した。

 ガレウは地面を慎重に観察しながらアイルビーズのもとに戻った。地面に何か変化がないか調べていたのだ。

「≪アルマ≫は目では見えませんよ?」

「そんなのは体験済みだから知ってる」

 ガレウは≪アルマ≫というものを知りたがっていた。こんな便利な力を扱えるアイルビーズは、どのようなことをして扱えるようになったのかも知りたいと思う。この力を、修行とやらをショートカットして扱うことができないかと考えていた。

「そんなに≪アルマ≫に興味があるなら、今ここで『スターホルダー』になるって言ってくれればいいんですけど?」

「断る」

「というより、スラムからは脱出できたわけですし、『スターホルダー』になってくれるんじゃないんですか?」

「考えておくとしか言っていない。なるとは言ってない。それに、道に迷ってるのは誰のせいだ? その話は、なかったことにする」

 ガレウは猫たちの持っていたものを見つめる。何かいい物はと探し始める。

「ガレウさん……」

「あ?」

「他人から物を奪うような真似は、感心しません」

「知ったことか。こいつらは俺たちを襲ってきたんだ。当然の報いだろう」

 猫の持っていた鉈を使い、猫たちの物品や衣服を切り裂いていく。宝石とか金とかがあれば上出来。少なくとも、もう少し自衛用の武器が欲しいところだった。どれもこれも小さい。猫用では使いにくい。人間から奪い取った物がないかを探していた。

「ぎゃにゃ……ごにゃごにゃ」

 一匹の猫が、気が付いたようだ。呻き声のようなものを発しながら、ガレウを見る。その手に持っている鉈を見て、猫の眼差しは鋭く変わる。

「にゃ! ぐぎゃにゃごやにゃ!」

「……キレてんのか? 分かるように言えよ。お前の言葉はさっぱりなんだ」

 ガレウは鉈を置いて、猫と対峙する。ガレウと猫では身長差がありすぎる。猫に武器はない。まともにやりあえば、ガレウは確実に勝利する。

「ぐあぎゃにゃ、にゃががに」

「だから、分かるようにって言ってんだろ」

 ガレウは猫の身体を持ち上げ、ぶんぶんと縦に振る。猫は嫌がっていたが、ガレウは振るたびに力が抜けていった。

「ほらほら、どうした?」

「ぎゃ……に……」

 猫はしばらく意地で気を持っていたが、ガレウが振りを強くして数秒でぐったりとしてしまう。ちっとも動かなくなったところで、ガレウは振るのをやめる。

「所詮は猫もどきだよな」

 ガレウは猫の身体を地面に捨てる。

「ガレウさん、もう止してください。でないと」

 ガレウはアイルビーズの方を向く。アイルビーズの表情はひどく険しいものになっていた。

「おいおい、武力行使か? 俺はお前に何もしてないだろ」

「ええ、私には何もしてません。でも、この亜人の皆さんの物を盗むようなことをしています。それは充分に罪に値することです」

「罪? こいつらが襲ってきたんだぞ。もしかしたら殺す気だったのかもしれない。俺がやってることは、こいつらに比べれば善良なモノだろう。俺はこいつらを殺そうとなんて、思っていないしな」

「そうかもしれません。でも、あなたのやっていることは悪です。この亜人の皆さん程でないにしろ、悪は悪。それ以上、作業を続けるというのなら、私があなたを罰します」

 ガレウは作業の手を止める。アイルビーズの言葉に心が動いた訳ではない。戦っても勝ち目がないと踏んだからだ。

 アイルビーズの攻撃のうち、二種類は見切っている。だが、アイルビーズにはまだ隠し玉があるかもしれないし、よしんば攻撃を回避できたとしても、アイルビーズが着込んでいる鎧のせいで、有効打を与えられない。

「わかってくれましたか……」

「全然。俺とお前は、本当に噛み合わないみたいだな。もう俺を『スターホルダー』に勧誘するのは、やめたほうがいい」

「……噛み合わないのはわかりますが、いずれ噛み合わせを良くして見せましょう。そのためにも、『スターホルダー』への勧誘は続けさせていただきますから」

 アイルビーズから敵意が感じ取れなくなる。ガレウはアイルビーズに単純なヤツという印象を抱き、猫の持っていた鉈を手に持つ。

「これくらいはいいだろ? これを持っているせいで、犠牲者が増えるかもしれないからな」

 鉈はひどく錆びついており、刃もボロボロ。手入れがまったくされていないことが分かる。何よりも、ポケットにすんなり入るくらいにミニサイズだ。あんなのは子供の玩具と同じだと、アイルビーズは判断した。

「……そうですね。それだけですよ。それ以外は処分しますから」

 アイルビーズは猫たちの持っていた武器を集め始める。

「おい、俺に言ったこと忘れてんのか?」

「いいえ? 物は盗みません。武器だけを地面に集めてるだけです」

「処分ってのはなんだよ」

「この猫の亜人の皆さまは、明らかに過剰に武器を持ちすぎです。狩りに使うにも、こんなには必要ないですし。自己防衛とか、必要最低限まで武器を減らします」

 アイルビーズは大量の武器を一か所に集めきる。主に刃物などが中心。棍棒など、あまり脅威にならない程度の武器は、猫の亜人たちのために残しておいてあった。

「武器を取り上げるってのかよ」

「世の中から戦いを無くす。それが『スターホルダー』の究極の目的です。一歩でも貢献したいんで、こうやって武器を破壊するんですよ」

 アイルビーズは≪アルマ≫の力を使い、武器の山を真上から押しつぶす。バキバキと、金属や木材などが折れていく音が響いてくる。

 数秒後には武器の山ではなく、ガラクタの山に様変わりしていた。

「ふぃー。結構疲れました」

「……へぇ」

 ガレウは≪アルマ≫の力に、ほんの少し恐怖を抱いた。武器の山をいとも簡単にガラクタに変えてしまったのだ。鉄も多かったはずなのに、バキバキにへし折ってしまった。

 脅威的な力だ。何が何でも手に入れたい。使ってみたい。

「……どうしました?」

「ん、別にどうもしてねーけど」

「なんか、すっごい怖い顔してたものですから……」

 ひどく、ニヤついていた。ガレウの、内に秘めた欲望の片鱗をみた気になってくる。

「そうか?」

 ガレウは心の中で反省する。どうやら顔に出てしまっていたらしい、ガレウはポーカーフェイスに徹することを決めた。

 元々、ガレウはひどく欲深い男だ。

 アイルビーズから見れば、その欲望は異様だった。ちらりとしか見えなかったが、それでも何かを欲するという望みが異常に強く感じ取れる。幼いころからスラムで過ごしてきたことが影響しているのかもしれないと、アイルビーズは考えた。

「ガレウさん、≪アルマ≫の力は『スターホルダー』しか扱えません。今のガレウさんでは、到底扱いきれる力ではないんです。そのこと、わかっていますか?」

「……やってみなくちゃ、わかんねぇだろ。そういうこと言って、俺を勧誘してんだろ?」

「勧誘ではありません。これは忠告です。あなたは強い≪アルマ≫を持っていらっしゃる。ですが、それを独学で使いこなそうだなんて、思わないでください」

 ガレウから感じ取れる≪アルマ≫は、自分よりも強い。アイルビーズは、そう感じざるを得なかった。自分も強いほうだと思っていたが、ガレウを見ると自信を無くしそうになるくらいだ。

「≪アルマ≫ってのが、どんな力なのかよくわからんが、俺が欲するに値する力だってのはわかった。お前のおかげだ」

「ガレウさん、もう一度だけ言います。独学はやめてください。きちんとした師のもとで、基礎から丁寧に学んでください。そうでないと、あなたの身が危ない」

 ガレウは鬱陶しそうな表情をして、倒れている猫たちを避けながら道を進む。アイルビーズも猫たちにお辞儀をしてから、ガレウについていった。

 この男を、ひとりにしておいてはいけない。監視が必要だ。アイルビーズは、『スターホルダー』としての使命だと思えた。ガレウに、下手に≪アルマ≫を学ばせるわけにはいかない。アイルビーズの見立てでは、悪の道に進みかねない。

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