スラム・デイズ 2

「待て! この野郎!」

 間抜けなことをした。ガレウは心の中で反省する。もう少し警戒して荷物の交換を行うべきだったのだ。甘かったとしか言いようがない。

「これは、俺の。俺の!」

 エンリという男は、ガレウと同じように『ウエストピッカー』ではなく『組織』に加入して生きていくことを選んだ青年だ。

 幼少のころから『ビカシア』の下っ端を務め、タダ働き同然の仕事を請け負ってきた。毎日のように理不尽な目にあわされ、娯楽など皆無。日々の楽しみである食事でさえ、一週間前から一日一食に減らされたのだ。

「はッ……はははは!」

 だが、転機が訪れた。いつも通りの憂鬱な仕事だと思っていたが、人生で一番のラッキーデーかもしれない。今回来るのは自分と同じくらいの、同類であるという事を事前に知らされていた。そして、今回の荷物がクスリであるということを、アジトから出てすぐに確認した。

 もうやるしかないと思った。セキュリティーシールを破った時点で覚悟は決まっていた。

 このクスリをどこかの『ウエストピッカー』に売って、少しずつ『組織』を築き上げていこうという野望。心に火が灯ってしまう。

「待ちやがれこのクソ野郎!」

 ガレウとしては、エンリの考えなど知ったことではない。エンリがどう思っていようが関係のないこと。捕まえて、『ドールグス』のアジトに連れていく事だけを考える。

 このまま捕まえて、荷物だけ奪って帰っても、エンリがセキュリティーシールを破っているため、盗みを働いたと疑われかねない。なら破った本人を連れていって、少しでも罰を軽減するしかない。

 エンリは全速力でゴミ捨て場を走っていく。ガレウも後に続いて全力疾走。

 『ウエストピッカー』が働いているところを、踏み荒らしていく。二人を見る『ウエストピッカー』たちの視線は冷ややかなモノだった。

 エンリはゴミ捨て場に自然にできた穴のような場所を降りていく。おそらく『ウエストピッカー』がお宝求めて掘り進んだ跡だろう。ガレウも続いて降りていく。

 いつ崩れ落ちてもおかしくないような穴の道。エンリは慎重に、しかし早足で逃走していく。ガレウも同じように、距離を離されないように早足で歩く。

 このままでは追いつくことは出来ない。ガレウはそう判断する。おそらく、穴から這い出てまた外で走り回っても、追いつけないだろう。さっき走って、走力は互角だと思ったからだ。

 このまま普通の追跡をしても、状況は変わらない。ガレウは狭い穴の道を歩きながら、右の壁に無数に埋め込まれた小さなゴミの破片を引っこ抜く。崩れないか不安になったが、破片のようなくらいのものでは崩れ無いようだった。結構頑丈らしい。

 エンリには気付かれていないようだ。後ろをうかがうような余裕がないのだろう。懸命に前を向いて逃げていた。

 ガレウは手にとった破片をみる。片手に収まるくらいの金属片。何かしらの機械のパーツだったのだろう。所々尖っており、当たり所が悪ければ突き刺さるかもしれない。

 しばらく穴の中を進むと、確かな光がみえた。穴の中は薄暗かったため、光が眩しく思える。

 エンリはここぞとばかりに走り出し、一気に穴を抜け出す。ガレウも走り出そうとしたが、ここから走り出して穴が崩れたら死が確定する。ゆっくりと歩いて、出口付近でエンリと同じように走り出した。

 ガレウが穴から出たころには、エンリとの距離はさっきよりも離れていた。ただ走って追いつける距離ではない。

 ガレウはエンリに狙いを定め、破片を力一杯投げつける。何のためらいもなかった。もしかしたら刺さってしまうかもしれない、そういった迷いはなかった。

 ドスッという、生々しい肉の音をエンリは聴いた。背に銀色の金属片が突き刺さっている。鋭い痛みがエンリの全身を襲った。

「あぁ!?」

 あまりの痛みに、エンリはその場で跪いてしまう。背中に突き刺さった金属片を抜く気も起きない。痛すぎる。

「ふぅ……余計な事しやがって……手間かけさせんなよな」

 息を切らしながら、ガレウはエンリに追いついた。背中のど真ん中に、刺さっている金属片をみて、嫌そうな顔をする。

「荷物を渡せ、でないと……もっと深くに刺し込んでやってもいい」

 これ以上深く刺すとなると、金属片の全部をエンリの背中に埋め込むことになる。

 エンリは額から汗を垂らしながら、持っていた荷物を両方差し出す。わなわなと震える手が、ガレウに痛みを訴えてくる。

 荷物を奪い取るように強引にエンリから取り上げる。ガレウは一応、荷物の確認をし始める。『ビカシア』の荷物の中身が抜かれていないか、『ドールグス』の荷物のセキュリティーシールが破られていないかどうかを確かめる。

「おいっ……背中のこれ……」

 エンリはガレウの足にしがみつく。

「とって……痛いんだよ」

「あん?」

 ガレウは鬱陶しそうに、しがみつくエンリを見下す。

「あぁ、すまん。でも抜くわけにはいかねーんだよ。お前、それ抜いたら逃げうかもしれないしな。『ドールグス』のアジトに来るまで、刺しっぱなしにしとく」

「そんなッ……」

「当たり前だろう、お前に対する信用なんかない。だから、枷は必要だろ。まさか、刺さったままで逃げられるとか、ないよな?」

 痛みは人を従わせるのに、最も手早い方法だとガレウは思っていた。人は痛みから逃れたがるものだ。この身をもって知っている。

「アジトまでは連れてってやる。感謝しろよな」

 エンリの腕を引っ張り、無理やり立たせる。刺しっぱなしなのは、動きを止める分にはいい方法だが、移動がかったるいのが難点だ。

「……逃げようとか、考えんなよ?」

 ガレウはエンリの背中に刺さっている金属片をなでる。ゆっくりと背中にも指を這わせた。恐怖心を湧き上がらせるためだ。

「わかったッ……だから、頼む……」

 冷や汗を滝のように流しながら、エンリは懇願する。これ以上深く刺されば、命に関わるかもしれないと思ったからだ。

 刺さった部分が熱い。血が少しずつ流れているのがわかる。無理やり引っこ抜けば、出血がひどくなるかもしれない傷だった。だが、エンリは一刻も早く抜いてほしいとしか思えなかった。背中にあるこの異物感を、取り除いてほしかった。

 ガレウはエンリの様子をうかがうことなく、エンリの事を気にかけることもなく、自分のペースでぐんぐんと歩いていく。

「おいっ……もっとゆっく」

「黙ってろ」

 ガレウはちょんっ、と金属片をつついた。それだけでも、エンリの背中に痛みが響く。エンリは悶絶するような呻き声をあげて、押し黙ってしまう。

「そうだ、それでいい」

 そのままずるずると、呻き声をあげながら苦しみ続けるエンリを引きずる。ゴミ捨て場を横切ることになるため、『ウエストピッカー』たちの視線を集めてしまう。無理もない。背中に金属片の突き刺さった男と、それを情け容赦なく引きずって歩いている男の光景なぞ、そうそう見れるものではないのだから。

 だが、誰も止めに来ない。誰もがちらりと見るばかりで、すぐに自分の作業を再開してしまう。時間が惜しい、自分の事で手一杯。他人を気にする余裕などないのだ。だから、エンリの助けを求めているかのような呻き声にも、誰も耳を貸さない。

 数分後、予定よりもかなり遅めにアジトに到着した。さすがに人一人を引きずってくると、かなり時間がかかってしまった。

「おい! テメェなにしてやがったんだ!」

 出入り口付近で男が二人、ガレウをこき使う『ドールグス』の大人たちだ。

 やはり時間が遅すぎたのだろう。二人の男は両方とも怒りの表情を浮かべている。

「……すいません、この『ビカシア』の男が……」

「いい訳なんてどうでもいいんだよ。荷物はどうした、さっさと寄こせ」

「ったく、面倒くさそうな奴連れてきたな」

 ガレウは二つの荷物を、片方の男、ソフトモヒカンのチンピラに渡した。

「二個……? おい、交換のはずだろうが」

「こいつが、持ち逃げしようとしやがったんで……とりあえず話をさせようと連れてきたんですよ」

「持ち逃げだァ?」

「おい、ベレク。見てみろ、セキュリティーシールが破られてる……」

 ベレクと呼ばれたソフトモヒカンのチンピラは、荷物の中身を確認し始める。『ビカシア』からの荷が減っていたりしないかどうか調べようとしていた。

「トーネル。俺ぁ、荷物の量の確認をしてくる。こいつらの事、頼めるか?」

「任せろよ。お前よりも平和的に話し合いをしてやろう」

 トーネルという名のサングラスのアクセサリー盛りだくさんの男が、ベレクの肩を叩く。選手交代の合図らしい。ベレクは神妙な顔をして、アジトの中に戻っていった。

「さて、ガレウ。そいつの背中に刺さってるソレ。抜いてやったらどうだ?」

「……了解です。血が噴き出すかもなんで、なんか抑えるもんありますか?」

「この雑巾でいいだろ」

 エンリの顔はすでに蒼白で、血の気がなかった。ガレウはエンリに合図も出さずに金属片を引っこ抜いた。その痛みでエンリの顔から血の気が引いていく。

「がぁああああああ!?」

「騒ぐなよ」

 トーネルからもらった雑巾で傷口を抑える。雑巾の腐臭で鼻が曲がりそうになるが、我慢するしかない。とにかく血を止めなくては、エンリが出血多量で死んでしまうかもしてない。死んでしまったら、事実がねじ曲がってしまうかもしてない。

「おい、『ビカシア』の小僧。このガキの言ってることは……本当か?」

 痛みで下を向いて唸っているエンリの頭を無理やり上に向かせて、トーネルは睨み付ける。エンリは怖気づいてしまう。

「おい、何か話せよ。本当の事が聞きてぇんだ。お前は荷物に何をしたんだ?」

 エンリに答えを催促する。当のエンリはビビってしまい、声がでないようだった。エンリはガレウに助けを求めるように、視線を向ける。

 このまま本当の事を言えば、自分は殺されてしまうかもしれない。どんな殺され方をするのか、想像したくもなかった。

 トーネルの眼光が、時間を過ぎるごとに恐ろしいものに変化していく。

 必死に考え、エンリはある答えを思いつく。

「……こいつの言ってることは、嘘っぱちだ!」

 ガレウはその答えに愕然とする。この状況でこんな嘘を吐けるエンリという男を尊敬しそうになる。

「どういうことだ。うちのガレウが嘘ついてるって?」

「そうだ、コイツが『ビカシア』のセキュリティーシールを破って、荷物を持ち逃げしようとしたんだ。それを俺は止めようとしたら、いきなり刺してきて……」

「じゃあ、なんでここに戻ってくるんだよ。持ち逃げなら、そのままドロンでいいだろう」

「俺を持ち逃げ野郎ってことにして、アンタらから物をせびるつもりなんだ……泥棒捕まえたから、報酬をって」

 いい訳にしても苦しすぎる。ガレウはそう思った。

 だが、エンリの言葉はガレウにとって非常にまずい。このままでは、セキュリティーシールを破ったのがガレウということになってしまうかもしれないのだ。

「じゃあ、セキュリティーシールを破ったのは、このガレウなのか?」

「ああ、そうだ。俺じゃない。こいつだ! 荷物を受け取った瞬間に、ばりばりと破って中身を見たんだよ!」

「ふざけたこと言ってんじゃない!」

 ガレウは思わず、エンリの頭を殴ってしまう。ついカッとなって、自分の拳が制御できなかった。あまりに軽率な行動だった。

 殴ったことで、ガレウが真実を隠そうとしたと思われても不思議じゃない。

「ガレウ、テメェ……」

「いや、違うんだ。持ち逃げしようとしたのはコイツだ!」

 トーネルからすれば、どちらも信用できない。どちらもクスリを奪い取っていきそうに見える。別に同じ『組織』に所属しているからといって、ガレウを信用などしていない。むしろ警戒しているくらいだ。

 トーネルは思った。いい機会ではないかと。ガレウを始末して、死体を金にするチャンスではないかと思った。

 スラムには、死体買い取りの専門業者がいる。何に使うのかは全く分からないし、知りたくもないが、とにかく死体を高値で買い取ってくれる業者がいるのだ。

「ガレウ、そいつを連れて中に入れ。詳しいことは中で話そう」

 ガレウは従うしかない。変に逆らえば、疑いはますます強くなるからだ。ここは素直に言うことを聞いていくしかなかった。

 トーネルはガレウよりも先にアジトの中に入り、ベレクに話しかける。

「よお、クスリは手をつけられてないようだった。マジであの『ビカシア』のガキ、持ち逃げしようとしてたのかもな」

「そんなのはどうでもいい。大金手に入れるチャンスだ。合法でな。誰にも責められることなく、大金が手に入るぜ」

 トーネルは、心が躍っていた。

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