白夜行・朧

 悪夢が現実に成る可能性は、極めて低い。




 ――りぃん――




『…………』


 彼女は待っていた。

 ずっと、ずっと、いつかこの時が来ることを。


「…………」


 彼は求めていた。

 きっと、きっと、いつかこの時が来ることを。


 ――けれど。


「やっと、会えたね……」


 彼の表情は浮かない。発する声は弾んでいても、表情は苦悶を示している。




 ――りぃん――




『何故……』


 何故、ここに来たのか。

 何故、会いに来たのか。

 何故、そんなに嬉しそうなのか。

 何故、そんなに苦しそうなのか。


 何故――。


貴女あなたに会いたかった。ずっと……ずっとね」


 大粒の汗が額から頬を滑り、顎先から滴り落ちていく。

 いくつも、いくつも。


「でも……じゃ此処に居られないみたいだ……」


 崩れ落ちる彼の身体を、彼女は優しく抱き留める。


『ヒュプノス……眠りの子……どうして――』


 どうして、こんな目に遭うと解っていながらここへ来たのか。


「ほら、やっぱりだ……貴女は、……」


 汗に湿る白い手を、彼女の頬に滑らせる。


「夢の中なら、何てこと無かったけど……今は解るよ。

 貴女は、……母さんじゃ、ないんだね……」


 相似と同等は、全く違うもの。

 よくよく見れば判る。その瞳の奥底にある力、指先から伝わる肌の温もり、纏う雰囲気。

 その何もかもが。


 


『ええ、そう……私は魔女王ウイッチクイーン。貴方たちを生み出した夜の女神ははなるものとは違う』 


 彼女の言葉に、彼は微笑みを浮かべ、その手を下ろし、瞳を閉じた。


『ヒュプノス――』


「残念だけど……時間みたいだ」




 ――りぃん――




 ――りぃん――




 ――りぃん……――




「もうすぐ、は目覚めるよ。貴女やが植え付けたものじゃない、を取り戻してね……。

 彼があの部屋を出たとき、僕は制約に従ってあの部屋に戻らなくちゃならない。

 嗚呼、でも心配だな……彼が存在を取り戻したなら、もうあの場所に縛られなくていいんだから、彼は……また自由を取り戻すかもしれない……」


 彼は、けれど、彼女の存在を瞳に映して微笑む。


「嗚呼、でも……そうか。きっと彼は、貴女との誓約は守るね。

 なら……大丈夫、かな……」


『ヒュプノス……』


 彼女の腕の中で、彼の存在は虚ろと成り往く。


「さようなら、母の面影を持つ人…………逢う事もできるでしょう」


『えぇ……今度は、夢の中で……』


「貴女に、を――」




 そうして、彼は夢霞に散った。

 空ろとなった腕に残る幽かな重みの残滓を、彼女はその胸に抱く。




「――ウィッチ・クィーン」


 背後からの声に、彼女は振り返る。


 そこには、冥闇を従え、死を携えた死神が立っていた。

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