白夜行・零

 喪失と再生は必ずしも一致しない。




 幽玄の渓谷。あらゆる界域から切り離され隔絶された、修羅の制する間。

 黄桜亭と同じく、それを認められたもののみが、通行することを赦される。


「さて……ようやくここまで来たか」


 冥闇を従える死神――ヒュプノスは、巨大な両門の前に立っていた。

 左右を見る。壁はない。門だけが建っている。

 横を抜けることは出来る。けれど、それではのもとには辿り着けない。


「開くかな……開くよね。ここまで来れたんだし、会ってくれるってこと……だよね?」


 やや不安げに眉根を寄せるが、それも門の前に立つ人物を見つけるや楽しげな笑みに消えた。


「嗚呼そうか、君が……なるほど、道理であっさり来れたと思ったら……そういうこと」


「……何のことでしょうか」


 答えたのは執事――そう、である。

 とんでもなく場違いなはずなのに妙に溶け込んでいるフォーマルスーツは白と黒を基調としたハイコントラストを演出し、その者の個性を食い潰し背景の一部に取り込んでしまう。

 その手に白い手袋を嵌め直しながら、執事は無表情に問う。


「残念ながら、は客人を迎えられる状態にありません。お帰りを」


「君がいるから厳格の守護が不要になったのか……それだけ君をしているのか、それともしているのか。

 どっちだと思う?」


 執事の言葉を無視し、ヒュプノスは問いかける。


「前者であれば、光栄ですね」


 対し、執事は冷静を徹した。




 ――りぃん――




 再び、鐘の音が鳴る。


「さ、時間が押し迫ってる。もうすぐが目覚めてしまう。さくさくいくよ、《満たされぬ器》」


「…………」


 ヒュプノスの左手に鈍光を放つ鎌が顕れ、執事の両の手には銀のナイフが握られる。


「君は知らないだろうけど、こうして君と対峙するのは――


「え……?」


 訝しげに眉を顰めたその隙は一瞬。だが、ヒュプノスにはだった。

 鎌を振り上げ、疾る。霞の残像を棚引かせて、執事の懐目掛けて鎌を振るう。


「……っ」


 危ういところで、執事はナイフを振るい、迫る鎌を弾く。


「おぉ〜間一髪。だけど……!」


 弾かれた鎌を勢いのまま振り回し、柄尻を突きこむ。


「く……!」


 身を翻し、後方へ跳躍。人間離れした跳躍力で、門扉の上まで辿り着く。


「逃がさないよ――」


 一度深く身を沈めると、霞となって消えた。




 ――否。跳んだのだ。




「チッ……!」


 振り下ろされる刃を受け止める。

 金属と金属が擦れ合う音が耳障りに響く。




 ――りぃん――




 その音に混じり、鐘の音が響いた。


「君と戯れるのも楽しいけど、今はそれどころじゃないんだよね」


 カシン、と。

 鎌が、左手と右手で両断される。


「だから――」


 左腕一本で抑えているだけにも関わらず、その刃はギリギリと音を立て執事に迫っている。上方からの抑え込みで、執事は引くこともできずにただ苦悶する。

 分離した柄先を右腕に握りこみ、その切っ先を執事の胸へ――心臓へ向け、




「――さよならだ」




 


 くず折れる執事の身体を抱き支え、ヒュプノスは静かに門扉の前に降り立つ。


「君を壊したりしたら、は怒るだろうなと思って、ちょっと本気出したよ」


 そっと執事の身体を横たえ、再び一つとした鎌もその横に添える。


「また彼に会うことがあったら、返しておいてね。彼の大事な宝物なんだから」


 執事に囁きかけ、ヒュプノスは笑みを浮かべる。

 そう――彼はまだ死んではいない。眠っているだけだ。深く、深く。


 重々しい音を立て、門扉が開いていく。




 ――りぃん――




 鐘の音が、細く高く響き渡る。


、ってことかな……やれやれ、ようやく逢えるね――クイーン。

 チェック・メイトってやつかな……どちらがだろうね?」


 冥闇を置き捨て、本来の白に戻ったヒュプノスは、霞だけを連れて門扉を潜る。

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