或る国の滅亡と切望

 ゆで卵を思わせる艶肌に愛嬌のある笑顔、小柄だがどこか安心感を覚える温かみのあるフォルム、艶やかなブラウンのショートカット…そして特筆すべきその胸に生える双丘。


それらは単なる丘ではない。はるか西欧のアルプスの山岳にも匹敵せんばかりの大きさだ。また驚くのはただ大きいばかりではなく、古代ギリシア人もびっくりの造形美を備えている点でもある。滑らかに双丘を形どる輪郭に沿って、天使の羽から作られたのかと目を疑うほどの艶と輝きを放つ膜がはち切れんばかりに膨らみ、今世の邪悪も正善も全てを包み込まんとしているのだ。これを見て動じない男などいるはずがあるまい。もし何ら関心を示さないのならばもう男ではないと言ってもいい。そういうものなのだ。

ただし先輩が女神でいるのは黙っている時に限るのだが。



「今日のディナーの説明だよ!」

洋館の大きな窓がある細長い一室、樫の長テーブルを囲んで俺、ソテー男、使節様が歓談を終え、一息ついたあたりで先輩がやってきてそう告げた。

「本日はフレンチのフルコースでございます。」

お、今日は美味そうだ。ちょうど腹も減ってきた。

「まず前菜のカレーです。」

カレーかい!一瞬フレンチを期待した俺が愚かだった。この人は料理が下手なわけではないのだがただアホなのだ。さしずめフレンチを作るつもりだったのが改良を重ねるうちにカレーになってしまったのだろう…いや何でだよ。まあよくあることなのだ。こんなことでは驚かない。

「…続いてメインディッシュのチキンソテーであります。これは鶏肉を使用しております。あと魚料理では…ええとソテーです。鶏肉を使用しております。最後にデザートです。本日のデザートは羊羹になりますが、料理の都合上残り一つとなっております。皆様で分け合ってお召し上がりください。」

このシェフの態度を一言で崩そう。俺は問う。

「先輩、食べまs…」

しかし俺が言いかけた言葉は止められる。

「まあいいじゃないか。僕はいらないよ。」

「そうね。私もいいわ。」

なんだ二人して。そんなに大人の対応をされては仕方がない。俺も賛同しよう。

「まあそうだな。先輩、次は気をつけてくださいね。」

「モシャモシャ…ん?」

こいつ、強者だ。

「まったく…ゆかりさんらしいわね。」

「ありがとね〜」

多分、褒めてない。

「では、こちらにお持ちいたしますので少々お待ち!」


先輩は何食わぬ顔で部屋を出て行った。強者だ。だが確かに先輩は強者なのだ。黙っていればどんな男も振り返らずにはいられない美貌を備えている。そしてあんな風ではあるが実は…

「はい!カレーです。」

俺の思考は一旦中断される。何だ?!とてもいい香りだ。これはカレーの香り、そうカレーだ。だがあのスパイスの効いたパンチのあるやつではなくもっとこう…そうだ、家庭の味。それだ。辛すぎず甘すぎない。強すぎず弱すぎない。濃すぎず薄すぎない。そう、そこにはただ優しさ、安心だけがある!だがこれは視覚と嗅覚の情報にすぎない。興奮してしまったが、落ち着こう。重要なのはその味だ。

「わあ、美味しそうね。」

「ベリグッドスメルだねえ。」

まあ、確かに美味そうだ。というか美味い。いやしかし増長させるのは…うん、やっぱ美味い。

「先ふぁい、むっふぁうふぁいでふ。」

「ヤッターマン!キミはゆかりカレーを一生食べて生きなさい!」

一生?まあ、それもいいかもしれない。考える間も無く手が動く。まるで魚が水をエラから取り入れるように今、俺は口からカレーを取り入れている。カレーこそ正義。違いあるまい。

「あんた、もう少し落ち着いて食べれば?」

「もっひゃ、ふぉひゅいひゅいひぇひひゅひぇふぉう。」

この女、至福の時間を壊すなど品のないやつめ。全く。そしてカレーを吸い込む。

「ハハハ、彼はいつもこうなんだ。仕方がないさ。」

「美味しすぎるのも罪だね!ハハハ!後輩クン、たくさん食べてよく働くのだぞ!」



 世の中には、「幸せがない、自分は不幸だ!」などと悲観する人が少なからずいるようだが、それらは往々にして不幸ではない。ただ幸せに思えていないだけだ。幸福の基準なんてものはいかようにでも変化しうるし、人によって違うものなのである。隣の芝生が青く見えたとしても、自分の庭は赤がいい。俺にとってのそれは、食だ。何かと肉体的、精神的に負担がかかることが多いこの社会でも食さえ、ただ食さえ彩られていれば俺は幸福なのだ。そして食という行為はその前後に充分に時間をとらなければならない。行為前には空腹にならなければならないし、行為後には満腹を満喫しなければならないからだ。だから俺は、その時間を誰かに踏みにじられた時怒りを覚える。そして、不意に爆発させる。そういう男なのだ。

「うおおぉおおおぉおおおぉおぉおおい!」

「なんだね?五月蝿いぞ、後輩クン?」

「てめ、なにしとるんじゃ?」


俺がちょっとした用事を終えて、自室に戻ると、主人の為に役目を果たさんと朝、整えられた状態で主人の帰りを待ち続けた俺だけのベッドに異物が我が物顔で寝そべっていた。

「…そこは…俺の…場所…だ。」

「どけええああああ!」

「えぇ。そんな怒る?」

俺は異物に対して最終警告を発し、強制退去の為、一歩踏み出した。

「ちょ、ちょっと待って。ちょっと待ってくれたまえ!」

「なんですか?遺言なら聞きますが?」

「いや〜怖いね〜。私は別に後輩クンの邪魔に来た訳じゃなくて、連絡があったからなのだよ。」

「連絡?嘘つきは泥棒のように意地汚いので死刑ですよ。」

「なんか違う気がするけど…いや本当だよ!明日、午前10:00から商工議会と会談だって。」

流石に用事はあるらしい。死刑は取り消しだ。

「なるほど。使節もですよね?」

「多分、そうだね。」

俺は手元の手帳にメモする。

「了解です。では会場への護衛は俺ですね。」

「うむ、頼んだぞ〜!頑張りたまえ、後輩クン!」



翌日午前9:50、商工議会集会所討議場。

俺と使節、数体の魔導兵が少し早めに入るとそこは大荒れの最中にあった。


「おい!ふざけるなよ?借りた金は返せ。」

「ですからね、あの件はですね、我々善意工房には仕方がない判断だったのです…」


「明後日、ゴルフしません?いやあ、いい所がありましてねえ。」

「しかしねえ、家内が…」


「おたくの新作、見ましたよ。いい出来ですね〜」

「いやぁ、どうもありがとうございます。完成までには色々ありましてねえ…」


「それでよお、そいつが言うんだよ。辞めるのは肩の不調だってよ!」

「ハハハハハ!」「ハハハハハ!」


誰も聞いちゃいない。元々活気のある所だとしても、五月蝿過ぎるだろ。必死で議会の開始を伝えている進行役が哀しい。

「議会はすぐに開会しますう!議員の皆様、ご着席ください!」


その時、長方形の議場の、俺から丁度反対側、議長席の方から光が差し込んだ。ぎいい、という重く深みのある音が場内に響き渡る。議長室の黒い扉が開いていく。

1人の男が姿を現した。年齢は50代、顔は若くは無いがすらりと長い体躯をしており、年より若く見える。その表情は縦皺が数千本は刻まれているかというほど苦く、重々しい。だかそのおかげか、場内に冷気をもたらす冷酷で厳格な雰囲気が醸し出されている。男が出てきただけで、場内は自然と静まりかえった。

「始めていいかね?」

男は進行役に尋ねる。ついに来たかと勇んで彼は宣言する。

「第167回商工議会臨時会合の開会を宣言します。」

全ての議員が一斉に起立する。もう私語をする者などいない。いや、そんな勇気は誰にも無い。

そして一斉に唱える。

「我ら光ありて陰なし!ここに誠実の証しるさん!」

議会開会の合図だ。これはここの伝統らしい。


 

全議員が着席した後、まず男が口を開いた。

「ではまず始めに、今回議会から除名する事業者及び団体を発表する。TonightOkBar、麻雀かけ太郎、サイコ自殺支援協会…」

次々に団体の名前が呼ばれる。その全てが今、紛れもなく消滅していく。議会からの除名はシントーキョーでのその商売の死を意味するからだ。どこも土地や店舗を貸さないし、誰も一銭たりとも貸さなくなる。それほどに議会の権威は強い。その権威を大いに振るってシントーキョー経済界を牛耳るのがあの男、第36代商工議会最高議長、ロッド・マルケルス。

相当の切れ者でかなり弁がたつ。当然、今日の議会も彼主導で進んでいた。


数時間、何の問題も無く審議は進んでいく。まあほとんどマルケルスの独断発表会なのだが。

しかしつまらん。いつになったら始まるんだ。そんなことを考えていたら、もう終わりかという頃にやっとそれは来た。

「最後に本日商工議会に来賓客の方がいらしております。サイタマ自治政府使節の方です。どうぞこちらへ。」

「おい、行ってこい。」

 俺は促す。彼女も頷く。

 俺の横に立っていた彼女は純白のドレスの裾を持ち、議長席の前に出た。

「サイタマ使節の者です。今回はこの素晴らしい関東の一大都市、シントーキョーの調査に参りました所、このような歓迎をいただき誠に感謝しております。」

(「歓迎?何のことだ?」)

(「さあ、知らんね。」)

 途端に場内がざわつき始める。

「静かにしたまえ。場を弁えよ。使節殿を前にして無礼であろう。この方はただの使節では無い、我らが友好国にして関東随一の商業国、サイタマよりお越しになったのだぞ。この方が我々に配慮し、旅人としてこの街の調査に当たっておられたのを偶然、傭兵団が発見し、おもてなしをさせていただいたのだ。またその点では傭兵団が独自のその場の適当な判断で行動したことに議会としてこの場を借りて謝意を表明する。それでこの調査は十分にされることができましたでしょうか?」

「はい。ご配慮いただき、大変感謝しております。」

「そうですか。それは良かった…」

議長はそこで沈黙する。何かを感じた議員たちは今度は動かない。


息を吐き、議長がゆっくりと口を開いた。

「使節殿へのご挨拶とともにこの場でお伝えしなければならないことがあります。大変残念な事ですが、我がシントーキョーとサイタマ自治政府は先程、11月2日正午より戦争状態に入りました。傭兵団からの確かな報告です。よって…」

議長が一息つく。その静かな間に魔導兵六体が議場の中心、議長席の前に近づいていく。そして議長は一気に言った。

「サイタマ調査局シントウキョー担当調査官、もといサイタマ第一商工統合会会長玄翁権一げんのうがんいつ氏が御息女、ユリア様、我々商工議会の名においてあなたを拘束します。」


議長が宣言を終えたところで、俺が合図し二体の魔導兵が横から一歩近づくと、腰の短剣を抜き放ち彼女も言う。

「認めましょう。私は玄翁ユリア、サイタマの次期総統です。そして私も次期総統として要請します。サイタマの人民の未来を救って下さい。お願いします。」


この請願をもって、長きにわたって栄えたサイタマの地はシントーキョー軍、初の派兵目標となった。













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