第5話ㅤ必殺の少女 5

──気付けば僕は、巫扇さんの手首を握り締めていた。


「ああ、もう。遅いじゃないか。神憑くん」


ㅤ巫扇さんはいつもの様に口元に微笑みを浮かべつつ言い、畳針を握っている手から力を抜いた。畳針は、カランと音を立て力無く落下する。

ㅤ同時に僕も、巫扇さんから手を離した。


「遅いって…無茶言わないでくださいよ……」


ㅤ寝起き早々に走り、眩暈がしていた。

ㅤ息も乱れ、正直に言って巫扇さんの手首を握っていたのも最早意味を成していなかっただろう。

ㅤいや、結果的には有意義なものだったのかもしれないが。


「──ッ」


ㅤ視線を感じ、少女の方へ目をやると、少女は膠着状態に陥っていた。

ㅤ僕を還付無きまでに殺した少女。

ㅤその少女の力は正に、人知を超越した化け物の様なものだったのだけれど、少女は僕をそれ以上の化け物でも見るかの如く、少し潤った目で僕を見つめていた。


「なぜ…貴方が、生きているの…」


ㅤ震える声で彼女はそう僕に告げる。

ㅤそうだ、僕はなぜ生きている。

ㅤアレだけの事がありながら──心臓を打ち抜かれながら、僕の体には、傷の一つもなかった。

ㅤもしかすると、殺されたのは夢かとも思ったけれど、それだと僕の背中にべっとりとついた血痕や、本堂の前にある血溜まり、心臓の部分が破れた寝間着の和服に対する明確な理由付けが見当たらない。


「──それは、私が教えよう」


ㅤ巫扇さんは、済ました顔でそう口にした。


「──」


ㅤ少女と僕は、二人して息を飲み巫扇さんを見る。


「──と、その前に、こんな話を立って話すのもなんだし、中に入ろうか」


ㅤそう巫扇さんが告げると巫扇さんはさっさと、部屋へ入って行く。


ㅤ僕は息を吐いてその後へ続く。

ㅤその後に続いて、少女は躊躇いつつも、恐る恐る中へと入って行った。






「──さて、いつか話さねばとは思っていたけれど、こんなに急かされるとは予想打にもしなかったな」


ㅤ茶の間に入り、それぞれ座ると巫扇さんは、独り言のように語り始めた。

ㅤ座っている位置は、机を挟んで巫扇さんの向かい側に、僕と、少女が正座をして座っている感じだった。

ㅤ先程僕を殺そうとした犯人が横に座っているというのも、些か不思議である。


「…ところで、君の名前は?」


ㅤ話を進める前に、巫扇さんは思い出した様に問いかけた。


「大刀洗凛夜、です」

「──!?」


ㅤあまりにも驚き入ってしまい、反射的に声が漏れ出てしまった。

ㅤこの人が、大刀洗──。

ㅤよくよく顔を見る。

ㅤ腰まである艶やかな黒髪に、それに対になるような白肌。恐ろしい程に整った顔は、どこかで見た事がある気がした。

ㅤそうか、この人が大刀洗凛夜──。

ㅤ次第に惚けていた記憶が鮮明に想起されていく──。……ああ、一年の頃、廊下ですれ違ったのか。

ㅤなぜそんな記憶があるのかは曖昧だが、それは彼女が美しいが故の物だと思えば合点がいった。


「なんだ神憑くん。顔見知りか。…まあ、神憑くんが一方的に知ってるだけだろうけど」


ㅤ巫扇さんは嫌味の様にそう言い、僕は少しむっとした。


「さて、まずは神憑くん。君が殺されるまでの話をしてもらえないか。…そうだな、君が土蔵の掃除に取り掛かったあたりから」

「はい──」


ーーー


ㅤ僕は土蔵に入り明かりを灯した瞬間、おどろきのあまり言葉を失った。

ㅤその土蔵は、最早武器庫と言った方が正しいと思う。

ㅤ地面から棚の上にまで病的なまでに置かれた幾数もの日本刀。素人の僕はその全てが業物に見えた。

ㅤとりあえず僕は、地べたに散乱している刀を丁重に持ち上げ一つ一つ棚の上に並べた。

ㅤある程度の仕事を終えたところで、一息付き刀達を見渡す。

ㅤ一通り思案してみたものの、これといって知識の無い僕はその殆どが同じものに見えてしまっていた。

ㅤなので、一番高そうな装飾がしてある刀を貰おうかとも思案したが、豪華絢爛な装飾がされていた所で、誰に見せるわけでもないと思い鮮明な水色が入れられている鞘が特徴的な刀を手に取った。


ㅤどこかいたたまれない気持ちになりながら、部屋へ戻るため木造の軋む廊下を歩いていると、綺麗な満月が目に止まり見上げる。

ㅤ縁側で見る月も良いが、こういう明かりのない所で輝く月を見るというのも、また一興。

ㅤなんて大人ぶった感想を抱いていた、その時。


──ぐちゃ。


ㅤ体の中から、何かが弾ける音がした。

ㅤその後に襲ってくる、激痛。


「──っ──ぁ……!」


ㅤ声にならない声を漏らし苦悶に顔を歪めつつ、僕はなんとか立っていた。

ㅤ見下ろすと、心臓へ大きな針が突き刺さっていた。

ㅤそれは、単純に説明できるが、単純ではない事柄である事に間違いはなかった。


ㅤ血が溢れ、僕は初めて〝死〟を直感する。


──ジャリ。


ㅤ本堂の階段前に敷かれた砂利を踏む音がして、なんとか首を上げそちらを向くと、少女が立っていた。

ㅤ月明かりに照らされ、病的までに白く見える肌に、凛とした表情。その風貌はまさに月下美人と呼ぶに相応しく、またその少女がだらりと下げた右手に握られた大きな針数本は、余りにも自然で、この後に及んでも美しいという感想が、脳裏をよぎった。


ㅤしかし、目の前のこの少女が犯人である事に間違いはなかった。


ㅤ息を荒れさせながら、湯水の如く漏れ出す血を抑えつつ、僕はとにかく何か太刀打ちしようと、僕は貰ったばかりの刀の鞘へ手をかける。


──その瞬間、少女は針を真上へ放った。

ㅤ月と針が交錯する。

ㅤ数にして…十本。

ㅤ針は──天空で静止していた。

ㅤ僕はそれを、凝視する事しかできなかった。


「──行け」


ㅤたった一言。少女は右手を振り下ろし、凛とそう告げた。

ㅤそして、そのすべての針がこの身を貫かんと一斉に降りかかる。

ㅤ右手で乱暴に抜刀し、右へ鞘を投げた。

ㅤ左手は柄を握り締め、右手は刀身の中心に添える。そして、一本目の針が襲いかかり、その方向へ刀を傾けた。


──そして。


──針は、刀をも貫いた。


ㅤ刀身が中心から砕かれる。

ㅤそうして尚、その勢いを失う事無く、針は掌の中心を貫き、心臓に全て突き刺さって行った。


「──っ…」


ㅤそこから、暫くは曖昧な時間が続いた。

ㅤまだ僕は立っていて、なぜ立てているのかも不思議なくらいだった。


ㅤ…滴る血が気持ち悪い。


ㅤまだある視界の中に映る少女は、月を見上げながら震えていた。


ㅤ…そんなになるなら、やらなきゃいいのに。


ㅤ次第に視界が闇に侵食される。

ㅤ外側から、黒色に塗りつぶされ、やがて足から力が抜けて行く。


ㅤそして。


──僕は、命を絶った。

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