第4話 必殺の少女 4



ㅤ卑しい程に輝きを放つ満月が、既に枯れた桜の木と、境内を照らす。

ㅤ左手で、だらりと下げた右腕をそっと抱いた。極寒に晒されているような震えが、左手に伝わってくる。


「──ッ─」


ㅤ…目前の少年はまだ立っていた。

ㅤその、今の私より儚く、醜い姿に、私は目を向けることができないでいた。一方的に死という運命を背負わされながら、生きる事を未だ諦めず渇望し、「まだ生きていたい」という気持ちだけで立っているのだろうが、それももう長くはない。

ㅤこんな時、知り合いの男はこう言うのだろう──その姿こそ、儚さこそが、人間の成す、唯一無二の美しさだ──と。


ㅤもう一度だけ、少年へ視線を移す。


ㅤ少年の手に持っていた刀は折れ、胸の中心──つまり心臓には、針山の如く無数の針が突き刺さっており、血が止めどなく溢れて滴り落ちていた。


「──…っ」


ㅤ口、傷口から溢れ出した血液は、本堂の前に禍々しい血溜まりを作り上げる。

ㅤ私はこの姿を、美しいとは思えない──いや、これは私がしたものだからそう思えないだけなのだろうか。

ㅤ目を背けずっと月を見上げていると、やがて物が倒れる音がした。

ㅤだが、それは乾いた音ではなく、べちゃりという血溜まりに落ちる音。


「…必殺であり、必中。必ず殺し、必ず射止める──例えそれが、世の理に反しても……」


ㅤ受け売りの言葉をそのまま口にした。

ㅤそれは、つまりそういう事なのだ。

ㅤ絶対なる、必殺必中の力。


「──後…一人…」


ㅤ掠れた声で、月に呟く。

ㅤ気分は最悪だった。


「あらら…やってしまったね…お嬢さん」


ㅤ唐突にため息混じりの声がし、瞬時に腰に装着したホルダーの中から右手の指の隙間に畳針を計三本挟み込み、身構える。

ㅤ見ると、いつの間にか本堂の前の血溜まり──血だらけの少年の横には美しい和服の女が立っていた。


ㅤその女は、本堂の前に転がっている、真紅に染まった男の屍へ哀れむような目を向けた。

ㅤそして、帯の中から小瓶を取り出し、胸に突き刺さった針を、慣れたような手つきで丁寧に素早く抜き取ると、小瓶の中にある粉塵を傷口へ撒く。最後に布の様なものを傷口に置いた。

ㅤ布には一瞬にして血が滲み、真紅に染まりあがる。


ㅤ…応急処置、か──無駄な事を。


「…誰」


ㅤ私は問いかけた。

ㅤおおよそ、検討のついた問いを。


「私は、この海枷神社の神主さ」

「──貴方が…」


ㅤ畳針を握る手に力を込める。

ㅤ集中を高め、荒れる息を抑えようと務めた。


「冷たいね…。冷たいと言うより、冷やされている、というのかな。だからこそ君の心は、容易く見透かせる」


ㅤ私はその煽るような言葉に癇癪を起こしそうになるのを抑えつつ、目を細めた。


「…それが、何だと言うの」

「お嬢さん、人殺し、初めてかい?」

「──っ」


ㅤ初めてに決まっている。

ㅤ絶大なる力に圧倒され、運命に抗う事も許されず、風船を針で割るかの如く安易に潰され行く命──その惨さを、私は初めて知ってしまった。

ㅤこんな事を幾度も繰り返しできるほど、私は強くない──。

ㅤそれに、心でそう強く否定しなければ、おかしくなってしまいそうだった。


「初めてのようだね?震えているし、息も荒れている──」

「──では聞くけれど、貴女は人を殺した事がある、というのかしら」


ㅤその逆撫でする様な言葉がとうとう癪に触り、咄嗟にそんな事を聞いてしまっていた。


「はっ。殺した事なんてないよ──人はね」


ㅤ女は微笑している。

ㅤしかしその目の奥にある感情が、よくわからない。


「人は──?」


ㅤ含んだような言い方に、思わず聞き返した。

ㅤすると、女の目の色が変化する。

ㅤそれは、まるで獲物を見定めた鷹のような、鋭い眼光──。


「──そう…お嬢さん──私は君みたいな奴を…人と認めてないからな」

「──っ!」


ㅤ圧倒的な威圧にたじろぎ、反射的に畳針を構える。


「──そして次は、私を殺すんだろう?」


ㅤ女は一歩こちらへ踏み出しつつ、煽るように問いかけをした。


「──!!」


ㅤ返答の代わりに、畳針を三本真上へ放つ。

ㅤ放たれた三つの畳針は、私の上の虚空へと留まり、そのきっさきを女へと向けた。

──そして。


「──行け…!!」


ㅤ覚悟を決め、そう命を下す。

ㅤその三つの針先は、私の命を受け、従順な下僕の如く、女へと直進する。


「ふ──」


ㅤしかし、女は乾いた声で笑っていた。

ㅤ心臓へと狙いを定め直進するその針二つは、更に勢いを増す──。

──が、その針は、女へと当たることは無かった。


「──!?」


ㅤ今、何が……!?

ㅤ女はただ不敵な笑みを浮かべ立っていた。

ㅤだが、まだ…!

ㅤ余計な思考を削ぎ落として、意識を集中させる。

ㅤ女を通り過ぎた針三本は、弧を描いて引き返し、再度背後から後頭部付近を狙う。


「──」


ㅤだが、女は再度笑みを浮かべた。

ㅤそればかりか、今度は地を蹴りこちらへと間合いを詰めてくるのだった。

ㅤしかし、走っているという訳では無い。

ㅤ爆発的なその一歩により、間合いは一瞬の内に消滅する。


──殺される…ッ!!


ㅤ気付いた時には、立場が逆転していた。

ㅤ腕を固定され、私の胸の前には本来女の心臓を射抜いている筈の畳針三本が突き立てられている。


──あの間に、針を掴んだ…?


ㅤそれは、人の成せる業ではない事は確かだった。なぜなら、私の投げた針は必ず必中であるものなのだから。


…人では無いのね」


ㅤそう言うと、女は眉をひそめた。


「……何か勘違いをしているようだが、私が君を人と認めないと言ったのは君がその力を使って、人を一人殺めてしまったからさ」


ㅤ女は、私に説教を説くかのように語る。


「…君は多分、人ではない──と思ったのだろうけれど、その力はある種の病気の様なものでね。どう努力を積もうが、どう願おうが、勝手に憑いてしまうんだよ。しかし、その力を法に欺く良い手立てに使った時点で人でなくなる──多少独断的であるが、私はそう考えるのだがね」

「──そう…」


ㅤしかし、そんな事を説かれた所で──私は──。

ㅤ…ああ、遣る瀬無い。

ㅤ世の中は、余りにも理不尽だ。

ㅤ全てが私の敵になって、私を的にして──責め立てる。


「…まあこれは。君を殺すためのこじつけと思ってくれて構わないさ」


ㅤ…ふざけている。ふざけているけれど、これは仕方が無い事だ、と私は踏ん切りをつけてしまっていた。

ㅤ世には因果応報という言葉がある。

ㅤ悪い事をすれば必ず、悪い事が帰ってくるのだ──だからこそ、理不尽というものなのだが。


「さて、君はここで死ぬ運命を迎え入れる事になるのだが──」

「──」


ㅤそれは、どこまでも絶望的な一言であった。

ㅤ奥歯を噛み締め、目を閉じる。

ㅤ受け入れきれない感情をどうにか受け入れようとする。


「──最期に一言、遺言ことばを残せ。その刹那に──君の命を絶つ」


ㅤこの感覚は何だろうか。

ㅤ心臓を掌握されている様な、彼女に従属し、支配されている様な。


「──っ」


ㅤ取り敢えず、言葉を残すため口を開いた。

ㅤ一言残せなんて、今までの人生を一言で纏められる程、私は空虚な人生を送ってきたつもりは更々無いのだが──。


「……ごめんなさい…お母さん…」


ㅤだが、その言葉は単純にも心の最下層から溢れ出た──。

ㅤ目元に雫が溜まり、後悔と、悔しさが滲み出る。

ㅤそして、無慈悲にも女は畳針を大きく振り上げ、下ろした。──瞬間、目を瞑る。

ㅤ目元から一粒の雫が滴れ落ちる──。


「──…」


──しかし、暫くたっても痛みを感じる事は無かった。ㅤ


「…ああもう、遅いじゃないか、神憑くん」


──え?

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